ある時、深刻な顔をして6年生生徒が相談にやってきました。
普段から目立たぬ、おとなしい生徒です。
おや、珍しい。どうした?
社会科が壊滅的だそう。
最近受験したテストの答案用紙を手に持っています。
確かに。
100点満点で37点。
これは壊滅的です。
答案用紙の余白には、丁寧な赤字で、「間違えた原因は? これからどう勉強したらいい?」と書き込まれていました。あきらかにお母さまの字と思われます。
おそらく母親からひどく叱られ、「先生に聞いてきなさい!」と言われてきたのでしょう。
まずは、この姿勢に問題があるのです。
自分で問題意識を持たねば、どんなアドバイスも意味を持ちません。
そういって追い返そうかとも思いましたが、泣きそうな顔を見ていると、そうもいきません。丁寧にアドバイスをすることにしました。
1.知識の不足
答案用紙を分析するまでもなく、点数を見ただけでも原因は明らかです。
知識が足りない!
私に言わせれば、満点が当たり前のテスト、少なくとも8割はとらねばならないテストで、4割に達していないのですから。
明らかに知識が不足しているのです。
中学入試の社会科は、一部の学校を除き、知識の有無で勝負がつくものです。
このあたりが、社会科は知識教科であるといわれる所以ですね。
ところで、一部の学校とは、麻布・武蔵・海城・鴎友の4校。その他に、公立中高一貫校の適性検査や、一部私立の適性検査型入試・思考力系入試がありますが、いずれもこの生徒の志望校ではありません。
勘違いしてはならないのは、これらの知識の有無で勝負がつかない学校は、知識が不要の学校というわけではないのです。
知識があることを前提に、思考力・記述力が要求される学校なのです。
このあたりの学校の問題については、日を改めて分析したいと思います。
さて、社会科が知識教科であるといわれるために、こんな誤解もまた敷衍しています。
「社会科は受験直前の半年で知識を暗記すれば何とでもなる」
はっきり断言します。
大嘘です。
今の中学受験で要求される知識レベルは、高校受験レベルをも超えています。
中学生が3年かけて学ぶ知識以上の知識を、わずか半年で体得できるはずがないのです。
しかも、知識は使いこなせるようになってはじめて役に立ちます。付け焼刃で丸暗記した知識だけでは何ともならないような出題が増えていることを考えると、じっくりと計画立てて4年生から取り組むべき教科なのですね。
「社会科は知識教科ではない」というのが私の持論ですが、正確には「知識をベースとした思考力教科である」と思っています。思考力や記述力を発揮したくとも、ベースとなる知識がなければ何ともならないのですね。
例えば、優秀な日本の中学生がイギリスへ交換留学したとしましょう。日本の中学校の教育内容については非常に優秀で思考力や記述力も備わっている生徒です。そこでイギリスの中学校の授業でこんな記述問題が出されるのです。
「ワット・タイラーの乱が起きた背景について論ぜよ。」
「ヴィクトリア朝の時代の人々は都市をどのように掃除したのか?」
「イザムバード・キングダム・ブルネルの業績について説明せよ。」
これらはイギリスの中学校の教科書に載っているレベルの問題ですが、これにすらすら答えられる日本の中学生はいません。
基本的な知識が無いからです。
まずは知識を身に着けることが重要となってくるのです。
2.今から知識を覚えるプログラム
この生徒の相談が、4年生、せめて5年生の春の段階の相談なら、「今から知識を覚えるプログラム」を発動させるだけですみます。
大げさな名称をつけてみましたが、何のことはない、基本知識を網羅した本やプリントを用意し、ひたすら暗記させていくだけです。
まだ地理の学習を行っている段階で「社会が苦手」という生徒の100%は、
覚えていない
←覚える努力をしてこなかった
←覚えなくても怒られなかった
←覚えなくても何とかなると高をくくっていた
←覚えるのが面倒くさい
というだけの話です。
本人の責任というよりは、周囲の大人たちの責任だと思います。
小学生の柔軟な頭脳であれば、きちんと指導してあげれば、地理の知識を暗記することなどたやすいものです。それを指導してこなかった、周囲の大人の責任は重大ですね。
知識の土台の上に、思考力・得点力は築かれます。歴史の学習に入る前であれば、まだまだ何とかなるものです。
しかし。6年生の春といえば、もう地理の学習も歴史の学習も終わっています。これから公民分野に入ろうとするところです。
このタイミングでの知識不足は痛い!
そこで、この生徒には「合格することだけを目標とした緊急避難ブログラム」を発動することにしましょう。
3.合格することだけを目標とした緊急避難プログラム
私は、中学入試に向けての社会科の学習は、「大人になるための基礎教養」を身につけるためのファーストステップだと考えています。
中学入試社会科の知識レベルは、高校入試レベルを超えていると申しました。
これくらいの知識をきちんと身に着けることは、将来に向けて大きな意味を持つと思います。
その上で、知る喜びや理解する楽しさを味合わせてあげたい。そう考えているのです。
だから、単に合格することだけを目標とすることは本意ではありません。
しかし、そうも言っていられないこの生徒の場合、緊急避難プログラムを発動させねばならないでしょう。
(1)小学校の教科書の徹底読み込み
そう、小学校の教科書です。
できれば複数の出版社のものを用意します。
以前、海外での学習法として小中学校の教科書をテキストとして紹介しました。
やはり学習の第一歩は教科書から始まります。
これくらい社会科が壊滅的な生徒の場合、小学校の授業すらきちんと聞いていないと思われます。
中学受験勉強をしている生徒によく見られる傾向なのですが、小学校の学習を馬鹿にしてしまい、集中してはいないのです。
まずはここを矯正します。
小学校の教科書を、何度も何度も声を出して読ませます。図版・写真も丁寧に読み解きます。
また、教科書には学習のヒントとなるような問題提起やアドバイスが書かれているので、そこも押さえていくのです。
なにせ薄いテキストですし、学校でも既習内容なので、真剣に取り組まない生徒は多いものです。
そこで、教科書をテーマに様々な質疑応答をしかけ、生徒の脳に刺激を与えることが大切となってきます。説明できる状態になっていないと、その知識が身についているとはいえないからです。
例えば、雨温図を見てその都市を選ぶという基本問題があります。4年生の初めに習います。札幌の雨温図を選ぶことができたとして、「なぜ札幌の雨温図はこのようになっているのか」を的確に説明できないと意味がありません。江戸時代の享保の改革で足高の制が答えられたとして、「なぜこの制度が必要だったのか」まで説明できないとその知識は身についているとはいえないのですね。
(2)中学校の教科書の読み込み
次のステップは、夏休みまでの残り時間次第で量を調節しながら、中学校の教科書を読みこんでいく過程となります。
これはどの出版社のものでも、1種類用意すればOKです。
地理・歴史・公民の3分野それぞれで3冊ありますが、用意するのは歴史編のみとなります。
本来なら、地理編・公民編も扱いたいところなのですが、この生徒の場合は、そんな余裕はありません。
中学校の教科書のうち、地理編は世界地理に多くのページを割いています。これも本当は身に着けたい知識なのですが、ここでは思い切ってカットします。
また、公民編には現代社会の問題や経済・国際社会についての部分が過半数を占めていて、これもとても重要なのですが、これも思い切ってカットします。
とにかくこの生徒の場合は「緊急事態」ですので。
歴史編についても、世界史は除きましょう。
日本史について、細かい人物名どころか、時代の前後関係も曖昧な生徒なのです。
中学校教科書を読むことで、漠然とした時代感覚をつけるのが目的となります。
だから、章ごとに丁寧に暗記することはしません。何度か繰り返して通読するやり方でいきましょう。
教科書を、日本史を概観した薄い読み物として扱うのです。
※注意
ここで、歴史漫画は絶対に与えないでください。
この段階であんなものを読ませることはマイナスでしかありません。
歴史漫画は、多数のエピソードをつないでいるだけな割には意外と細かい人物名や事件が登場するので、かえって歴史の因果関係が混乱するのです。
「東大生がお勧めする参考書」といった類の情報で、歴史漫画が取り上げられているのを見かけたことがあります。
この「東大生が・・・」というフレーズは実に魅力的で、ついつい同じ参考書や問題集を買いそろえたくなってしまいますね。
だが冷静に考えてください。
その東大生君と我が子が同じ頭の良さなのかどうかを。
その東大生君は、「歴史漫画」によって歴史を取得したのではなく、「歴史漫画」は歴史取得時のスパイス程度のものだったということなのです。
歴史の学習法として歴史漫画を扱うためには、読む時期・目的・生徒の学習段階、この3つを考慮せねばならないのですが、いずれもこの生徒には該当しません。
3.入試問題の演習に突入
いよいよ、夏休みに入ります。このタイミングで、過去問演習に突入します。
地図帳・歴史資料集を除き、もう他の教材は使いません。
まだまだ知識は足りません。
しかし、知識網羅型教材(社会科に必要な知識をコンパクトにまとめたもの)をやる時間はないのです。
その過程をバッサリと切り捨て、いきなり問題演習に入ります。
解けません。
知識不足はまだ解消されていません。おそらく4割前後の得点がせいぜいでしょう。
だが、それで構わないのです。
目的は、入試問題に出てきた知識を、その場で覚えることにあるからです。
したがって、解けた問題(あて勘禁止!)は無視して、解けなかった問題=知らなかった知識を、問題の文脈の中で覚えていきます。
例えていえば、英単語を覚えるようなものでしょうか。
「必須3000単語」といったような単語集を、頭から順番に覚えた経験はお持ちでしょうか。私などは、途中で挫折し、アルファベット順の早い単語しか覚えられなかったものです。そして、そこで覚えたはずの単語も、実戦にはさほど役立ちませんでした。
やはり、単語は文章の中で覚えていかねば役には立たないです。
入試問題を解く。
そこで出てきた「自分は持っていなかった」知識を一つずつ覚えていく。
できればメモ帳に書き出して。
おそらくは、また同様の問題で間違えることでしょう。またメモ帳に書き出して覚えなおす。
3回目くらいに間違えたとき、「あれ、この知識、前にもやった気がする。」と、メモ帳をめくってみる。2回も書いてある。
4回目に同様の問題が出てきたとき、今度は解けるようになっています。
これで、「問題を解くのに使える知識」が身についたことになるのです。
残念なことに、このやり方には弱点もあります。
◆知識の総量は不足する
入試に出題されることの少ない知識は身につかないのです。
社会科には、入試には出なくとも、理解するために必要な知識というものがあります。
平安末期の浄土教を理解しないと、鎌倉時代の浄土宗はわからないですね。
しかし、入試にはめったに出題されません。
あるいは徳川家斉。化政文化のころの将軍ですが、やはり問われることは少ないのです。
こうした知識をバッサリと切り捨てた学習法なので、知識の総量はどうしても不足することになります。
したがって入試で満点をとることはできないでしょう。
だが、それで構わない。
8割の得点を目標とした、あくまでも緊急避難的な学習なのですから。
◆ねちっこい間違い直しが必須
この学習法で効果をあげるためには、そうとうねちっこい間違い直しが必要となってきます。
私の普段の講座でも、15分で解かせた問題の解説に60分くらいかけています。
それくらいのねちっこさが必要なのです。
だが、小学生にはそれができません。ここは大人の手助けが必要なところですね。
◆問題量が重要
この学習法では、解く問題の量が重要です。
少なくとも、50校分以上、できれば100校分は問題を解きましょう。それくらい解けば、だいぶ得点力は安定してくるでしょう。
同様の悩みをかかえている6年生なら、ぜひ試してほしいと思います。
もしまだ4・5年生なら、こういう事態にならぬように。
※知識網羅型教材について
書店に行けば、さまざまな教材が目に付きます。
◆「四科のまとめ 社会」(四谷大塚)
いわゆる三大塾がそれぞれ出していて、四科のまとめは四谷大塚の直販サイトで、その他は一般書店で購入できます。
これ以外にも、「でる順〇〇」、「語呂合わせ〇〇」といった類の薄い書籍が、書店の棚に並んでいるのを見かけます。
これ1冊で、社会科は何とかなりそう!
そう錯覚し、思わず手を延ばす方も多いことでしょう。
これは錯覚です。
塾や出版社は、受験生を持つ親に、そのように錯覚させるために書籍を出版するのです。
考えてもみてください。
このような教材を今から暗記できるのなら、すでにとっくに知識の暗記は終了しているはずです。それができてこなかったから、現状となっているのです。
これらの教材を使って効果があげられるのは次の2つの場合だけですね。
①すでに知識は持っているが、入試直前に、抜けがないかどうかの確認でつかう場合
②初めての単元を学習している生徒(4~5年)が、少しずつ知識を暗記する場合
知識が無い生徒が、入試直前に手を出す教材ではないのです。
※入試問題集について
この「緊急避難プログラム」でお勧めの入試問題集は、
「中学入学試験問題集 社会編」(みくに出版)です。
みくに出版とは、日能研の出版部門。銀色の表紙で書店で目に付くからすぐわかります。
これをお勧めする理由は、シンプルに社会科の入試問題だけが150校ほど並んでいることにあります。ただし、解答はあるが、解説は一切ありません。