中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

教えやすい教科、教えにくい教科



大学生になった教え子から相談を受けたのです。

「先生、今度塾でバイトしようと思ってるんだけど。」

「そうか。事務のバイトかな? それともまさか?」

「講師のバイト。」

「おお! まあ、君は先生向きだとは思うよ。」

「どうして?」

「だって、勉強が嫌いな生徒の気持ちがよくわかるだろ?」

そうなのです。彼は、小学生時代は勉強が好きとはいえない、いやむしろ勉強から全力で逃げ出すような生徒でした。しかし、6年生後半に目覚めた彼は、奇跡の追い上げを見せて見事第一志望校に進学することになりました。そうした経験を持つ彼なら、良い指導者になれるかもしれません。

「それでさ。4科目のうち、どれにしようかなって。」

「どれでもいいだろう。好きな教科にしなさい。」

「いや、どの教科も嫌いじゃないんだ。だから、どの教科が一番教えやすいか聞きたいんだ。」

なんて虫のいい! そうは思いますが、今時の若者はこんなものでしょう。

そこで今回は、塾教師側から見た、教えやすい教科・教えにくい教科について書いてみたいと思います。

1.そもそも教えやすさとは?

 まず根本的な疑問を明確にしましょう。「教えやすさ」「教えにくさ」って何なんでしょうか?

 教えやすさ=指導のしやすさ=理解させやすさ、と考えられますね。

例えば、ソクラテス「不知の自覚」について小学生に説明しようとします。

私なら嫌です。どんなに言葉を尽くしても、理解させられる自信はありません。

つまり、これは明らかに「教えにくい」ことはおわかりいただけるでしょう。

しかも、教える前提として、教師側が理解していることが必須です。ソクラテス哲学については表面上をかじっただけの私に教える資格などありません。

つまり、

教師が理解しやすい→伝えやすい→生徒が理解しやすい→教えやすい

となります。

ここでもう一つ重要なファクターがあります。

それは、教師の権威というものです。

全く同じ情報でも、親が子どもに教えようとすると拒絶反応が返ってくるのに、教師が伝えるとすんなりと理解してくれる、そうしたことってよくありますよね。

教師と生徒の間には、教える者ー教わる者、という関係が成り立っています。これがとても大切なのです。そして、この関係を構築するためには、生徒が教師の権威を認め信頼することが必須です。もちろん、保護者と教師の間にも同様の信頼が欠かせません。

このあたりを考えながら、4科目についてみてみましょう。

 

2.算数の教えやすさ・教えにくさ

算数の場合は話は簡単です。教師は問題を解けます。生徒(&保護者)は解けません。ここに絶対的な関係が構築されるからです。

もちろん、ただ問題が解けるだけでは教師は名乗れません。生徒がどの段階で躓くのかを察知し、正しい道筋を示す能力が必要です。

とくに中高大と数学の世界にどっぷりとつかっていた学生は要注意です。算数の問題でも、方程式を立てて力業で解きたくなるからです。もちろん、小学生に方程式はNGです。(厳密にいえば、多少は扱う)

そう考えると、もしかして算数がもっとも教えやすい教科といえるかもしれません。

 

3.国語の教えやすさ・教えにくさ

正直言って、国語は最も教えるのが困難な科目かもしれません。

日本で生まれ育って日本の教育を受けてきた者なら、誰でも(ほとんど誰でも)国語の問題は解けます。教師に解けるものなら、保護者でも解けます。つまり、算数とは異なり、ただ問題が解けるだけでは、何のアドバンテージも生じないのです。

自分でもできることを、他人に高いお金を払って依頼したくはないですよね。

つまり、国語の指導には、別種の能力が要求されるのです。

それは、生徒の「わからない」を察知する能力です。さらにそれを「わかりやすく」説明する能力です。

例えば、「儚げな眼差し」という語句が文書中に出てきたとしましょう。

「先生、はかなげなまなざしって何?」

「はかなげってのは、今にも消えそうに弱弱しいって意味だね。」

「じゃあ、まなざしって?」

「目つきや視線だ。」

「今にも消えそうな視線って? さっぱりわかんないよ。」

「・・・・・」

なかなか難易度が高いですね。

国語の教師には、的確な例を出しながら生徒に説明する技量が必要なのです。

さらに、文法の問題があります。

「弱い」「か弱い」「ひ弱い」、これらの違いを明確に文法的に解説できますか?

日常生活で国語の口語文法を意識することなどありませんが、生徒に説明するとなるとそうはいきません。

最も入口のハードルが低そうに見えて、実はものすごくハードルの高い教科、それが国語なのだと思います。

 

4.理科の教えやすさ・教えにくさ

小学生の受験理科は知識教科の側面が強い教科です。

本当は、最近の入試傾向を見ると、単なる知識教科というより思考力系の教科にシフトつつありますが、まず新人教師に必要となるのは知識です。

しかも、その知識の幅が広い。物理・化学・生物・地学の4分野にまたがり、浅くとも広い知識が求められます。とくに理系の大学生の場合、物理・化学を学んだ生徒が大半だと思います。虫の体の構造や花のつくりなど知らないですよね? あるいは星座や化石はわかりますか? 

一般に理科の教師は、理系出身者が大半です。しかし、中学受験の理科は、それだけでは網羅できない知識体系を扱うところに難しさがあるのです。

昔から、どの塾でも理科の先生が不足している、というのはこれが原因です。

逆に言えば、知識さえ身に着けてしまえば、表面的な指導はできるようになるのです。

 

5.社会の教えやすさ・教えにくさ

社会科もまた、知識教科の側面が強い教科です。

ということは、上述した理科と同様だと考えられるでしょう。

日本地理・日本史・公民、という3分野を網羅しなくてはならないところも、理科と同様ですね。

ということは、知識さえ身に着けてしまえば、表面てきな指導はできるようになる、ということなのですが、必ずしもそうとは言えないところに社会科の難しさがあるのです。

それは保護者の方の興味関心です。

私の経験から言っても、算数や理科の指導内容に興味を持たれ、塾に問い合わせ(口出し・干渉・苦情)を行ってくる保護者の方は少ない(皆無)なのに対し、社会科についてあれこれ言ってくる保護者の方は多いのです。そうした熱心な保護者の方とお話するのは、私のとってはとても楽しい時間なのですが、新人の先生にとっては厳しいでしょうね。NGOとNPOの違いについて筋違いの苦情を言ってきたお父様、水俣病の解釈について持論を滔々と述べられたお母さま、歴史解釈について批判してきたお父様、様々な方が社会科に興味を持ってくれました。

また、社会科は、文字通り「社会問題」と密接にかかわる教科です。しかも最近の入試問題はそうした出題が増えているのです。このあたりが社会科指導の難しさといえるでしょう。

 

6.結局どの教科が?

「だいたいわかったけど、結局どの教科が教えやすいの?」

「だから、どの教科にも、それぞれの難しさがあるんだよ。君が好きな教科、教えたい教科にすればいいよ。」

「どうしようかなあ。どれも教えてみたいし。でも、あんまり苦労はしたくないしなあ。」

「ところで、君は家庭教師はやらないのかな?」

「うん。今は塾で教えてみたいんだ。そのうち大学が忙しくなってきたら、家庭教師くらいしかできなくなるかもしれないけど。」

「わかった。それじゃあ、算数にしなさい。」

「なんで?」

「家庭教師の需要は算数が一番多いからね。塾で鍛えておけば、役立つと思うよ。」

 

こんな打算で科目を選ぶ人は少ないと思いますけれどね。

 

ところで、中学生対象の塾で、最も応募者が多いのは英語だと聞きました。何となく理由もわかるような気がしますね。