昔の教え子が、相談があるといって訪ねてきました。今年大学生になった子です。何やら、深刻そうな顔をしています。
「どうした?珍しいね。」
「ちょっと教えてほしくて。」
「何? 恋愛相談以外ならのるよ。」
私のくだらない返しはスルーされました。
「実は、こんど塾で講師のバイトをすることになったんだけど。」
「ふむふむ。」
「それで、科目は国語を教えることになったんだけど。」
「ふむふむ。」
「どうやって教えたらいいのかわからなくて。」
思わずずっこけそうになりました。
「ちょっと待て。それでどうして国語を選んだ?」
「他の科目は自信がなくて。国語なら何とかなるかなって。」
多いのです。
この安直な理由で国語を選ぶ人が。「国語を舐めるな!」といって追い返したいところですが、そうもいきません。昔から真面目な生徒でした。真剣に悩んでしまったのですね。こうして悩んで相談にくるだけまだマシか。そう思って、若干のアドバイスをすることにしました。
1.問題は解けるのか?
まず最初に聞きました。
「教えるのは小学生か? それとも中学生か?」
「両方。」
聞けば、自宅近くのさほど大きくない塾のようです。こうした塾では、小学生と中学生を両方教えることは珍しくありません。
「学校の補習塾なのかな?」
「いや、違うよ。いちおう中学受験と高校受験の生徒を教えることになってる。」
ほんとうは、中学受験指導と高校受験指導は全く内容も方法も異なります。両方の生徒を教えるというのは、相当な力量が必要になるのです。大学1年生のアルバイト講師に両方教えさせるのは無謀には違いありません。ただし、国語というのが救いでした。しかも、最難関校を目指す生徒がバリバリと勉強を頑張る塾ということではないそうです。それなら何とかなるかもしれません。
「ところで、授業用のテキストはどんなものを使ってた?」
こう尋ねると、鞄からごそごそとテキストをとり出しました。受け取ってみると、教材開発会社が塾向けに作成したテキストです。自前のテキストを作成できない中小塾がよく使う教材ですね。ああ、これなら何とかなりそうです。教材のクオリティは悪くないですし、難しくもありません。解答もついています。
「塾からは何か指示とか指導とか研修とかないのか?」
「塾のルールみたいなのの研修が1時間くらいあった。それでテキストを渡されて、とりあえず来週、試しに授業をしておらうから、見ておいてって。」
「試しの授業って、模擬の授業みたいなのかな?」
「そうでなくって、生徒の前で授業やるっていってたよ。」
ああ。そういう塾なのか。
塾にとって、講師を育てるのには手間と費用がかかります。だから、研修らしい研修などせずに、いきなり本番の授業をやらせる場合が多いのです。
聞けば、来週の授業では、社員の講師が後ろで見ているところで授業をやらされるということでした。いい加減な学生なら、適当に授業らしきものをするのでしょうが、まじめなこの子は、どうしたらいいか悩んでしまい、それで私に相談に来たのですね。
「よし、わかった。先生が、授業のコツを教えてあげるからな。」
「やった! 先生、ありがとう!」
「まず最初に、問題を解く。」
ノートをとり出してメモを書きはじめました。こんなことメモとらなくてもいいのに。
「それで、解くときには、生徒の気分で、普通に解いてくれ。」
「普通にって?」
「調べたりせずに、時間をはかって解くんだ。それで、答え合わせをして、間違ったところを見直す。つまり、生徒が問題を解くのとまったく同じように解いてみてくれ。」
そうです。授業準備のスタートは、まず問題を、生徒の目線で解くことなのです。
「そうやって解くと、難易度がわかるだろ? さらに、問題によって解きやすいもの、解きにくいものがあるよな。どこで生徒が間違えそうか、それをチェックする。」
「先生、テキストに書き込んでいいの?」
「もちろん。間違えたところは赤で正解を書いておくんだぞ。そして、生徒に見られないようにしないと、恥ずかしいぞ。」
「うん、わかった。次はどうしたらいい?」
「どうしたらいいと思う?」
首をひねっています。そこでヒントを出しました。
「解くだけなら、親でも解けるよね。」
2.解くだけなら誰でも解ける
これが、国語を指導するときの最大の問題点といえるかもしれません。日本で教育を受けた大人なら、誰でも小中学生の国語の問題は解けるのです。自分でもできることに、人はお金を払いません。お金を支払っていただける授業をするためには、問題が解けるだけではダメなのです。そこが数学・算数と異なる国語の難しいところだと思います。
「そうか。解けるだけじゃダメなんだね。あとは何が必要なんだろう?」
「最初に解いたときに、間違えたところがあるよね。君が間違えたということは、生徒も間違える可能性が高い箇所ということだ。さらに、ここは間違えそうだなあ、と思ったところもあるだろ? つまり、生徒がどこで間違えるのか、それを察することが大切なんだ。」
「なるほど!」
そうなんです。指導の回を重ねていくと、やがて生徒が間違えそうなところ、つまづきそうなところがあらかじめわかってくるようになるのですね。
「生徒が間違えるところがわかる。これがとても重要なんだ。君はまだ生徒に年齢が近いから、自分だったら解きにくいだろうなあ、昔よく間違えたなあ、そういうところを探して、青いペンで印をつけるようにしなさい。」
3.生徒のわからないがわかる
子どもと年齢が離れてしまった大人(親)は、子どものわからないがわかりません。
「どうしてこんな問題間違えたの! 答えはこれに決まってるでしょ!」
ついそう言ってわが子を叱っていませんか?
子どもだって、間違えたくて間違えるわけではありません。理科や社会なら知らない知識が出てきて間違えることは普通です。算数・数学なら、解けなかった、それだけです。しかし、国語については、「日本語なんだから読めるよね? じゃあ、解けるでしょ?」となりがちなのです。
「いいか。たとえばこの問題。選択肢が4つ並んでるだろ。正解はどれかわかるか?」
「それはウでしょ。これはさすがにわかるよ。」
「じゃあ、生徒がイを選んだとして、どうしてイなんか選んでしまったと思う?」
「それは。なんでかな?」
「イは、傍線部のすぐ横に書いてある内容と同じなんだ。だから、おもわず生徒は正しいかも、って勘違いしやすいんだな。」
「なるほどね。つまり、ほんとうは2段落後にヒントがあったのに、傍線部のすぐ横を見てそれで答えるから間違えちゃうんだ。」
「そういうことだ。こうやって、間違える生徒が多そうだな、そんなところを重点的に考えていくといい。もちろん実際に生徒に解かせると、絶対に選んではいけない、アとかエを選ぶ生徒も必ずいるから、そうした生徒がなぜそれを選んだのかも考えておく必要がある。」
「それわかる! いつも一人だけ違う選択肢選んでよく先生に怒られたっけ。」
4.語句の説明ができる
もう一つ大切なことを教えてあげました。
「小中学生は語彙力が低い。低いというよりほとんどない。」
「そうそう! よく先生にあきれられたよね。」
生徒達の語彙力は、年々低下しています。これは年寄りの感覚ではなく、事実です。
その理由もわかっています。2つあります。
◆本を読まなくなった
◆大人と会話しなくなった
一つ目はわかっていただけると思います。今の子どもの周りには、スマホを筆頭として誘惑が多すぎます。本など見向きもされなくなりました。しかし、読書でしか身につかない語彙というものがたくさんあるのです。話し言葉では使われず書き言葉でのみ使われる語彙ですね。こればかりは読書で身に着けるしかないのです。
また、二つ目で言っている「大人」というのは両親のことではありません。 戦前の家父長制の家族のように、子どもが親や祖父母に敬語を使っているような家庭なら別ですが、そんな家庭は絶滅しましたよね。今は、子どもが親にタメ口どころか、ひどい言葉を平気で使っています。そんな会話をいくら重ねたところで語彙は増えません。
きちんとした言葉遣いをしなければ怒られるであろう大人、子どもを子ども扱いしない大人、そうした大人との会話がなければ、話し言葉としての語彙が増えないのです。
「君の語彙もひどかったが、その君があきれるくらい今の生徒たちは語彙力が低いぞ。それを、一つ一つ丁寧に、わかりやすいたとえ話をしながら説明してあげなければならない。いわば、用例が豊富で説明が面白くわかりやすい国語辞書、そうした存在にならなければいけないんだ。」
5.日本の伝統文化
ほんとうは、それに加えて日本の伝統文化の知識も重要だといいたかったのですが、それは割愛しました。古い文章を読むときには必要な知識ですが、まあそうした文章の問題が出てきたときに自分で調べるだろう、そう考えたからです。
今回は、国語教師を目指す教え子へのアドバイスとして書きましたが、もちろん親がわが子の国語の指導をする際にもそのまま当てはまります。指導の参考になれば幸いです。
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