中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

中学受験のための勉強は将来役に立たないのか?

 

巷で聞かれる意見にこのようなものがあります。

算数の〇〇算などの特殊算は、この先二度と使わないから無駄

細かい知識を丸暗記ばかりしていると勉強の本質を見失う

あんな勉強をいくらやっても将来には全く役にたたない

そこまで断言されてしまうと、日ごろ「勉強しなさい!」と子供のお尻を叩き続けていたお母様やお父様としても、不安になってしまいます。

さらには、こんな意見まで飛び交う始末です。

中学受験勉強を小学生に無理強いすると子供の心の成長を阻害する

何なのでしょうね、この「中学受験」を諸悪の根源のように言うのは。

私が(これでも30年以上この仕事に携わっています)、自信をもって断言します。

中学受験勉強は、豊かな教養と思考力を育てるとても大切な勉強である。

具体的に説明しましょう。


1.国語を学ぶ意義

 ある中高一貫校の国語の先生が、生徒達にこう言ったそうです。

「あなたたちはみな塾はS塾に通っていましたね。でも、S塾で学んだ記述の方法論はすべて捨ててください。」

教え子によると、定期試験の返却の際に言われたとのこと。

たしかにその学校の生徒の過半数はS塾出身です。

おそらくは、生徒たちの書いた記述答案が、みな似通っていたのでしょう。それも先生の好きではない方向に。だからこその発言だったのだと思われます。

実は、私も同じような経験をしたことがあります。帰国生を数名教えていたときのことですが、皆がみな同じスタイルの記述答案を書いてくるのですね。もちろん内容は異なるのですが、書き出しからフィニッシュまでのスタイルが全く一緒で、とても気持ち悪かったのです。確認してみたところ、全員が帰国生専門の某塾に通っていました。

記述の解答には定型のスタイルというものがあり、それにのっとって書くことで「標準的な解答」をつくることができます。

だからこそ、多くの塾ではこの「定型文」の書き方の指導をするのですね。

おそらくS塾でも同様の指導が行われていたのでしょう。

そうした定型文の形式を一度捨てなさい、というのがこの国語の先生の真意なのだと思います。

では、こうした標準的な解答をつくるための定型スタイルの取得は無駄なのでしょうか?

いいえ、これは学ぶ段階に関係することなのです

 

私事で恐縮ですが、楽器の練習に例えた話をさせてください。(もうこの話は何度も書いています。また始まったよ! と思われた方は、ざっくりと飛ばして先へお進みください。飛ばす部分をわかりやすく緑色にしておきます。)


私は、大人になってからピアノを始めました。
実はどうしても弾きたい曲、Chik Corea の「Spain」(jazzの名曲です!)という曲がありまして、それで始めたわけです。
独学です。
ピアノを少しでもかじったことのある方ならおわかりいただけると思うのですが、はっきり言って無謀です。
楽譜が読めないのはもちろん、ピアノの鍵盤を触ったこともほとんどないのに、いきなり難曲を弾けるようになるわけはありません。
そこで、まずは耳で覚えました。それから、1小節に1か月かかるくらいのペースで少しずつ亀の歩みですすめました。
2年後、見事に(というより、やっとなんとか)弾けるようになったのです。
しかし、弾けるのはこの1曲のみ。
アドリブソロのところも、自由な発想でアドリブなどできるはずもなく、譜面通りに弾くのがやっとです。
そこで、私は悟ったのです。

基本をきちんと積み重ねないと意味がないことに。

気が付くのが遅すぎますね。
そこできちんと先生について習うことにしました。
ハノンやツェルニーからです。
正直言って、ハノンもツェルニーも大嫌いです。
同じようなフレーズが、少しずつ形や指使いを変えて、無限に繰り返されるのは、大人にはつらい練習です。しかし、避けては通れない練習なのですよね。

まだ余計なことを考えない子供のころに、ピアノを習っておけばよかったとどれだけ後悔したかしれません。


さて、記述に話を戻します。

記述解答の定型スタイルを学ぶというのは、いわばハノンやツェルニーを学ぶようなものだと思います。
ここでしっかりと記述の基礎を学ぶことで、中学生になってから自由な発想で記述する下地ができてくるのです。

この基礎段階の学習をせず、いきなり中学生の記述に取り組んでみてもうまくいくわけはありません。

中学受験の国語の学習というのは、基礎を体系的に学ぶとても重要な段階なのです。

それでは、別に中学受験を目標としなくても基礎を学べばいいのでは? という意見もあるでしょう。

しかし、目標設定というのは大切です。

「国語の記述の基本を学び、中学生になったら自由に記述できる力を身につけよう」

というのと、

「憧れの〇〇中学に合格するために国語の勉強を頑張ろう」

というのでは、どちらが小学生の学習意欲につながるのかは明らかですよね。

中学受験というのは、小学生が学習するにあたってのわかりやすい目標設定なのです。

 

さらに付け加えると、入試問題に使われる国語の物語文は、良いものがとても多いです。そこから作者名や題名をチェックして、読書の幅を広げていったという方を何人も知っています。

 


2.算数を学ぶ意義

中学受験に向けた算数で学ぶ内容の一部をあげてみます。

〇平均  〇和差算  〇つるかめ算  〇割合  〇食塩水の濃度計算  〇等差数列   〇最大公約数・最小公倍数  〇素因数分解  〇n進法  〇旅人算  〇流水算  〇仕事算  〇図形の移動  〇相似・合同  〇植木算  〇方陣算  〇順列 〇組み合わせ  〇場合の数  〇整数の性質  〇比例  〇面積・体積 〇立体の切断  〇時計算  〇通過算  〇フィボナッチ数列

ずいぶんたくさんありますね。でも、まだ半分も取り上げていません。
また、実際の入試問題では、〇〇算の解き方を当てはめるだけで解けるような問題ではなく、いくつかの解き方をヒントに自分で解き方をみつけながら計算していくような問題が多く出題されます。

中学受験の経験がない方にとっては、「私はこんな算数はやらなかったけれど、中学から数学を始めてきちんと数学が身に付いた」という成功体験がありますので、冒頭の「算数は無駄」という発想につながるのでしょう。

また、中学受験の経験があったとしても、あまりに昔のことで覚えていない方が大半でしょうし、算数の世界も日々進化していますので、子供のころには習わなかったような問題に今の子供たちは取り組んでいます。子供に算数の問題を質問されて即答できる方はほとんどいらっしゃらないでしょう。そこで、「算数より数学が大切」といった考えに走りがちなのかもしれません。

しかし、数学に入る前に算数を学ぶことはとても重要です。

 


ここで、算数の入試問題を紹介します。


  【2023 灘中】

6個の数1,2,3,4,5,6を2個ずつ3つのグループA,B,Cに分けます。Aに含まれる2つの数のうち大きい方が,Bに含まれる2つの数のうち大きい方よりも大きくなるような分け方は全部で□通りです。

さて、場合の数の基本問題ですが、どうでしょうか?

考え方としては、cに入れる数の決め方は何通りかまず考えます。

そして、残りのA,Bに入る数の組み合わせは何通りあるかを考えればよいのですね。

例えば、1~4の4つの数がA、Bに振り分けられるとすると、

A-(4・2) B-(3,1)
A-(4,3) B-(2,1)
A-(4、1) B-(3,2)

この3通りが考えられます。

ところでCに入る2つの数の決め方は、6×5/2 =15 通りですので、

3×15=45通り

これが答です。

場合の数は、中学生の数学でもあつかいます。
小学生の段階で、これくらいの問題が解けるようになっておくことで、さらに高度な数学の問題にスムーズにつながると思いませんか?


3.理科を学ぶ意義

まず、この問題をごらんください。
2013年の麻布中で出題された、当時そうとう話題になった問題です。


右図は、99年後に誕生する予定のネコ型ロボット、「ドラえもん」です。この「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。

どうでしょうか?

いかにも麻布らしい、思考の柔軟性と論理性を問う良問だと思います。

実は問題文中に生物の特徴として以下の項目があげられていました。

特徴A    自分と外界とを区別する境目をもつ。
特徴B    自身が成長したり、子をつくったりする。
特徴C    エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている。

これを見れば、特徴Bについて書けばよいことがわかるので、そんなに難しい問題ではありません。

 最近、ChatGPTをはじめとするGenerative AI が世間を騒がせています。
文章や絵画・音楽のように、従来は、人間しかできないとされていたようなことを、人間以上のスピードでそれらしく作り出す技術です。

生物と無生物、ヒトと機械の境界線について議論が深まってきています。

このような入試問題を解ける力というのが、将来に役立たないわけがありません。


4.社会科を学ぶ意義

まずは、この問題をごらんください。
私の大好きな、2023年鴎友の社会科の入試問題です。
(鷗友は、毎年思考力系の良問を出す学校です)


「人間の安全保障」の考え方に基づくと、マラリアへの対策としては、人々に薬を届けるなどの「保護」だけでは不十分だと言えます。「保護」に加えて、人々の「能力強化(エンパワーメント)」を行うことが必要です。マラリアの問題に対して、薬を届けるなどの、人々の「保護」を行う対策だけではなぜ不十分なのかを説明しなさい。その上で、「保護」に加えて必要とされる、人々の「能力強化(エンパワーメント)」を実現するために、各国の政府や国連、NGOなどが、どのようなことを行うとよいか、具体例を挙げて説明しなさい。

どうでしょうか。
現代社会について考えさせる問題ですね。

学校の用意した解答は以下のとおりです。


薬やワクチンを人々に与える「保護」だけでは、人々はマラリアへの感染対策の方法が分からないままなので、一旦感染がおさまっても、再び感染が広がる可能性が高い。そこで、政府や国連、NGOなどは人々に定期的な検診の重要性を伝えるなどの教育を行うのがよい。

 

 解答を見れば、そんなに高度な内容を要求されているわけではないことがわかります。
しかし、知識を暗記するだけの学習では全く対応できない出題です。

実は、このような思考力系の記述問題の出題は、年々増加しています。

今の中学受験生は、思考力や記述力を育てる勉強をしているのですね。

「細かい知識を暗記するだけの社会科の中学受験用の勉強は無駄だ」

こんなことを言っている人は、最近の受験問題について全く知らないのでしょう。

「中学入試では、考えさせる論述の社会科の問題を作ることは難しい。」

これは、灘中の教頭先生の言葉だそうです。(私も人伝に聞きました。本当でしょうか?とても信じられない発言です)

ご存じのように、灘中は算・国・理の3科目入試で、社会科は入試科目にありません。その理由が、論述問題が作れないから、だそうです。中学入試で知識を問うことに意味はなく、論述問題は出せないからということなのですね。

噂に聞いたところによると、灘の先生が、「うちが共学校になることがあるとしても、社会科を入試科目にすることはあり得ない。」と言ったとか。

さすがにただの作り話でしょう。そう思いたい。

全く何もわかってないなあ、というのが私の率直な感想ですね。

思考力の土台としては知識が重要です。

地理・歴史・公民その他現代社会の諸問題にいたるまで、中学入試めざして学ぶ小学生たちの知識量はそうとうなレベルに達します。

高校入試問題でも軽く合格点がとれるレベルでもあります。

その知識があるからこそ、中学生になってのより高度な論述問題にも対応できるようになるのだと思います。

さらに、良質な思考力・記述力問題がさまざまな学校で出題されています。

灘の先生方には、麻布・鴎友・海城中などの入試問題を見てほしいと思います。

(もっとも、多様な選択肢がある首都圏に比べて、関西の中学受験状況は灘への集中が甚だしく、塾間の競争も熾烈を極めています。コロナでなくなりましたが、以前の灘中の入試日早朝の校門付近での塾の応援は異様でした。拘束時間の長さを売りにする塾も多く、そんな状況で灘中が社会科入試を行えば、枝葉末節の知識の丸暗記を競い合う塾が出てくることが容易に想像できます。だからこそ社会科を出題しないという灘中の良識であるという善意の解釈もできなくはありません。)

 

社会の指導を始めるときに、いつも生徒に質問します。

「社会科を学ぶ意義って何だろう?」

生徒達はきょとんとしています。そこで、もう少し質問を易しくします。

「君たちは何で社会科を勉強するの?」

そうすると、生徒達は心得顔でこう答えます。

「中学に合格するため」

もちろん間違ってはいません。間違ってはいないのですが、何か寂しい答ですね。

なかには、こんなことを言う生徒も。

「立派な大人になるため」

おお、これです、この答です。そこで、どうして社会科を学ぶと立派な大人になるのかを尋ねてみると、

「わかんない。お父さんが言ってた。」

お父さん! きちんと説明しておきましょう!

小学生に立派な大人の定義を説明するのも難しいので、簡単にこんな話をします。

「君たちは将来アメリカあたりに留学するかもしれないね。そして、現地でキャサリンやトムと友達になる。」

「誰、それ?」

「いいから聞きなさい。トムやキャサリンが君たちにアメリカの地理や歴史について質問してくると思う?」

「思わない。」

「そうだね。彼らが君たちに質問するのは、日本のことのはずだ。昔は、日本は海外への情報発信が不十分で、欧米の人たちからは、良くいえば『神秘の国』、悪くいえば『よくわからない国』ととらえられていたんだ。『日本』から想起されるのは、『フジヤマ・スシ・サムライ・ゲイシャガール』くらいだった。」

ゲイシャガールって?」

「ああ。(しまった!)それはいつか説明するから。やがて日本の機械工業が発達し、ソニートヨタ・ホンダといったブランドが世界を席巻するようになった。しかし、そのことが 欧米の人たちをさらに戸惑わせることになったんだ。キリスト教圏以外の国で、ここまで経済成長した国は当時なかったからね。」

「先生、中国は?」

「よく気が付いたね。中国はそのころ、1980年代までは今のように経済が発展してはいなかったんだ。」

「他にはないの? キリスト教じゃないのに発展した国って。」

「いい質問だね。それは今度皆で調べてみよう。さて、現在では、日本のゲームやアニメなどが世界中に輸出されたことや和食ブームなどによって、日本のことがずいぶん知られるようになってきた。そうすると、日本について興味をもつ若者も増えてきたんだ。だから、トムがきっと君たちに質問するはずだ、『日本ってどんな国なの?』って。キャサリンもこう言うだろう、『47's Samuraiについて教えて』ってね。」

「47's Samuraiって何?」

「侍が47人、わかる人はいるかな?」

「あっ、何か敵討ちした人たち?」

「正解。その話は、江戸時代の授業まで楽しみに待ってて。だから、そうやってトムやキャサリンに日本について質問されても困らないように、今から社会科を勉強するんだ。日本の地形や産業、歴史、そして政治についてひととおりここで学ぶことで、日本についての知識の土台ができる。簡単に言ってしまえば、日本についての基礎教養を身につけるってことだね。」

「ふーん。」

まあ、生徒たちはわかったようなわからなかったような顔をしていましたね。

それにしても、こうして生徒とやり取りをしていると、生徒の素朴な疑問についていくらでも授業の幅がひろがっていきます。ゲイシャガールはともかくとしても、中国の経済成長の過程や原因について考察させたいですし、キリスト教と経済発展の関係についてなど、いくら掘っても掘りたいないほど深淵なテーマです。

社会科を学ぶって、そういうことだと思います。

 

最後に

みなさんのまわりの小学生に、サッカーに打ち込んでいる男の子はいませんか? あるいは野球に夢中な男の子は? そうした子に対して、「どうせプロになるわけでないのだから無駄だ。」と声をかけますか?

バレエ教室に毎日通っている女の子もいますよね。その子に対して、「プロのバレリーナになれるのはほんの一握りの選ばれし者だけだから、やるだけ無駄だよ。」なんて言いますか?

サッカーでも野球でもバレエでも、きっと練習はつらいはずです。逃げ出したくなることもあるでしょう。そうしたとき、親として、「嫌ならやめなさい」とは言いませんよね。むしろ「がんばって続けよう」と励ますと思うのです。

それなのに、どうして中学受験勉強をしている子に対して、世間の目は冷たいのでしょう。

夜遅くまで塾に通って一所懸命勉強している子に対して、「勉強ばっかりしている」と否定的にとらえるのはなぜでしょう。「小学生の子供はもっと遊ぶべきだ」と言うのはなぜでしょう。

あげくのはてには、「教育虐待だ」と親まで責められる始末です。私に言わせれば、やるべき時期にきちんと勉強をさせてあげないほうがよほど「教育虐待」だと思うのですが。

スポーツや芸術系に打ち込む子供は評価されるのに、勉強に打ち込んでいる子供が評価されにくいというのは理解しがたい風潮ですね。

がり勉という言葉があります。

否定的にしか使われない言葉です。

でも、がり勉できることも一つの才能です。世の中には大事な時期に「がり勉」できなかった中途半端な大人が大勢いるのですから。(私もその一人です)

私は、がり勉小学生を応援します。