前回、詩の読解力をつけるためには、まず俳句から! と提案しました。
そこで久々に書棚の「奥の細道」を引っ張り出してみたのですが、実に素晴らしい!
学生時代に読んだときにはさほど印象に残らなかったのですが、今読み返すと、凄いですね。もしかして私も歳を重ねたということかもしれません。
この感動を共有したくて今回は「奥の細道」と松尾芭蕉について少し書いてみたいと思います。
1.序文
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす
古人も多く旅に死せるあり
いいですねえ。実にいい!
元禄2年(1689)3月27日に、門人曽良を伴い、芭蕉は江戸深川を出立しました。この時芭蕉は46歳。今でいえば最も脂の乗っている時期ですが、このころの平均寿命は30代後半です。なかには「養生訓」を著した貝原益軒のように84歳まで長生きした例や、徳川家康のように75歳まで生きた例もありますが46歳の芭蕉はすでに老年の領域に入っていたといえるでしょう。「死」を間近に意識してもおかしくない年齢です。
41歳のときには東海から近畿を9か月かけてめぐる旅に出ています。その紀行文のタイトルが「野ざらし紀行」です。野ざらしの白骨になることを覚悟しての旅であったことがうかがえます。
さらに「鹿島紀行」「笈の小文」などに見られるように、何度も旅に出ています。
そしてついに東北をめぐる旅に出立したのですね。
あらためて序文を見てみます。
実は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」の部分には、元ネタともいうべき文が存在します。
唐代の詩人、李白の文です。
【春夜宴桃李園序】
夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり
しこうして浮生は夢のごとし
かんを為すこといくばくぞ
なるほど。
漢詩とは詠んだ状況や内容は異なりますが、芭蕉はこの句を旅に向かう自分の目線からとらえたのですね。
この後の文章では、旅に出ずにはいられない自分の思いを書き、そして詠んだ句がこれです。
草の戸も住替る代ぞひなの家
「草の戸」とは、芭蕉の庵をさすのでしょう。そして、「ひなの家」とは女の子が住む家といったほどの意味でしょうか。
芭蕉の後に、女の子がいる家族でも移り住んできたのでしょうか。しかし、移住者を確認した後に詠んだとすると、若干興ざめのような気もします。ここは、「自分の住んでいた粗末な家も、その後には幼子がいる家族が住んで華やかになるのだろう。」と感慨にふけったとするほうが私は好きですね。
※芭蕉の句や紀行文には、専門家の方々により詳細な分析による研究論文が多数発表されており、私ごときの浅知恵の遠く及ばぬところです。ここでは、あくまでも私個人が好き勝手に鑑賞しているだけなのでご容赦ください。
2.その他の句
行く春や 鳥啼き魚の 目は涙
これは千住で詠まれました。
千住といえば、奥州街道の出発点ですね。
その当時は、旅に出ることは一生に一度あるかないかの出来事です。江戸を出立した旅人を、家族・親類・知人たちが最初の宿場まで一緒に来てそこで見送ったそうです。五街道の最初の宿場はそうしてにぎわいました。
東海道・・・品川
中山道・・・・板橋
日光道・奥州街道・・・千住
おそらくは、芭蕉の見送りに多くの知人・門人が千住まで同行したのでしょう。
あらたふと 青葉若葉の 日の光
次に日光で詠まれた句がこれです。
千住の句とは異なり、青葉の隙間から太陽の光が降り注ぐような明るい句ですね。
「あらたふと」がちょっとわかりづらいですが、「たふと」=「尊い」ということで、「なんとまあ尊いことよ」といった意味になります。
もちろん日光といえば家康です。江戸の平和な治世を作りだした家康への敬意も含まれているでしょう。
現代の私たちの感覚では、芭蕉ほどの人物が将軍家にここまで敬意(へりくだり)を見せるのに違和感もありますが、江戸時代当時の庶民の感覚としては普通だったと思われます。
こうして冒頭の句をいくつか読んだだけで、もう芭蕉の奥の細道ワールドに引き込まれます。
「奥の細道」を片手に、芭蕉の足跡を辿る旅などしてみたいものですね。
3.英語になった俳句
俳句が「HAIKU」として海外でも人気なことはご存じかと思います。
英語で俳句? 無理すぎ!
そう思いますよね。
いくつかの句を見てみます。
(1)古池や 蛙飛び込む 水の音
もしかして生徒たちに最も知名度が高い句かもしれません。
さて、英訳がこれです。
Old pond / Frogs jumped in / Sound of water.
ううむ。そのまんなというか何というか。
言葉の後ろにある雰囲気が伝わるのかな?
これは小泉八雲による訳でした。
実は、俳句の英訳は多くの人に試みられています。
これはどうでしょう?
The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
これはドナルド・キーン氏の手になるものです。
「ancient」という単語のチョイスが、歴史ある古い池をイメージさせますね。
この「古池」は、芭蕉庵の傍らにあった小さな池だとされているようですが、漠然とした池のイメージを言語化したものであるとか、あるいは芭蕉の心の中を象徴しているのだとか、様々な解釈があります。
ラフカディオ・ハーンと、ドナルド・キーン、それぞれが思い描いた池が異なっていたのが面白いですね。
私個人としては、ちょっと古びただけのそこらへんにあるありふれた池をイメージしていました。だから、小泉八雲訳のほうが好みです。
(2)閑さや 岩に滲み入る 蝉の声
これは難しそうですね。
日本語で読んでも難しい句です。
そもそも蝉の種類ですら論争になったくらいです。斎藤茂吉が主張したアブラゼミと、ニイニイゼミ派の二派に分かれての論争がありました。これは茂吉が非を認めてニイニイゼミとなったそうですが、もちろんそれに異を唱える人も大勢います。
また、7月頃に読まれた句だそうですので、おそらくは「蝉しぐれ」とでもいうべき大合唱だったはずですが、それと閑さという語句の違和感があります。
何か一つの解釈が成立するというより、読み手によってさまざまな心象風景が広がるということでよいのでしょう。
私自身としては、蝉しぐれの道を歩いていたら、ふと全ての音が意識から消えた瞬間があった、そんなイメージを抱いています。
では英訳を見てみます。
What stillness! / The voices of the cicadas / Penetrate the rocks.
イギリス出身の日本文化研究者、レジナルド・ブライスの手になるものです。
ネイティブの方のとらえ方は異なるのでしょうが、日本人の私としては、What stillness!と「!」まで付けて表記されると、「何て静かなんだ!」と読んでしまうので、どうも句の静謐感と相いれないような気がしてしまいます。
誰の手による訳なのかはわからないのですが、こんな訳もみつけました。
Deep silence、the shrill of cicadas、seeps into rocks.
こちらのほうが雰囲気に近いような気がしますね。
英語を学んでいる生徒にチャレンジさせると面白そうですね。