中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

自習に役立つ 社会科板書大公開 日本史05 鎌倉時代

いよいよ鎌倉時代です。

この時代は、話したいことが盛りだくさんで、いつも取捨選択に困ります。

〇平家の滅亡

〇武士政権の誕生

〇鎌倉新仏教

〇文化

〇産業の発達

元寇

ざっと数えても、6項目あり、これに幕府の滅亡を加えると、いくら時間があっても足りません。なんとか文化までの4項目を1回の講義にまとめます。

1.鎌倉時代の位置づけ

 これはもう朝廷→幕府、貴族→武士へと力が移り変わった時代ということにつきるでしょう。奈良から京都へと、文化も政治の中心地は畿内だったものが、鎌倉という辺境の地(都から見れば)に中心が移っていったのです。滅亡した平家とは異なり、都の影響を受けにくい鎌倉の地だからこそ武士政権が成長できたともいえるでしょう。

 また、この時代の仏教の発達は特筆すべき変化です。6つもの新たな仏教が誕生したのには理由があります。その理由を考えさせることも重要です。

2.板書

板書 鎌倉時代

 

今回の板書は、28行。ほんとうに最小限にまとめています。

 

3.平家の滅亡

 最初からクライマックスです。時代区分としては平安時代になりますが、平家滅亡から頼朝の政治までシームレスにつなぐために、鎌倉時代の講義に組み込みます。

 源平の戦いについては面白いエピソード満載で、いくらでもドラマティックに語りたいところですが、ここはバッサリとカットします。おもしろい割には、入試に出ないからです。また、事実かどうかだいぶあやしい創作が多く、歴史の授業としては扱いづらいところです。牛の角に松明をつけて走らせる、などもう無茶苦茶です。これは明らかに「史記」に出てくる「火牛の計」の翻案ですね。「火牛の計」というのは、紀元前3世紀の中国の話です。斉の将軍であった田単という人物が、千頭の牛の角には剣を、尾には松明をつけ、敵陣に走り込ませることで敵を大混乱に陥れて勝利をおさめたという話です。そもそも元ネタの史記の話も作り話でしょう。1000頭の牛が集まっているところで、自分の目の前の牛の尾が燃えているのです。どう考えても牛たちは火から離れる方にみな散り散りになって逃げまどいますよね。敵陣どころか自陣が壊滅しそうです。しかも千頭の牛がおとなしく松明を尾につけさせてくれるかどうか。お話の絵面としてはとても面白いのですが。

というわけで、源平の戦いの詳細は入試には出ない! と従来は割り切っていたのですが、どうも最近そうも言い切れない細かい出題が増えつつあるような気がします。

富士川の戦い

倶利伽羅峠の戦い

〇一の谷の戦い

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い

まあ壇ノ浦の戦いは必須としても、その他の細かい戦いまで問われるようになってきているのには困ります。戦いの年代並べ替えや、場所を地図中から選ぶ問題などが出てきているのです。

これは中学校社会科入試の悪い癖がまた表れているような気がします。

悪い癖」というのは、「他校で出た知識は出題してOK」という考え方のことです。

中学校の社会科の先生方は小学生の学習内容をご存じではありません。どこまでの知識を入試に出してよいのかは手探りなのですね。そこで、研究熱心な先生ほど、他校の入試問題をよくご覧になっています。そこで、「あっ、〇〇中学ではこの知識を出したのか。ということは、ここまで出題しても大丈夫なのだな。それでは・・・」という思考回路が働き、自校の入試問題にも出題するのです。こうして、いつのまにか、出題される知識の幅が広がっていってしまう、という現象につながります。

この源平合戦についても、こうしていくつかの学校で出題が見られるようになってきているということは、やがてあらゆる学校で普通に出題されるようになる(すでになっている)ことが危惧されます。

迷惑な話です。

4.鎌倉幕府

 鎌倉幕府成立の年代は諸説ありますが、実質的な支配は1185年の守護・地頭の設置から、形式的には1192年の征夷大将軍任命から、と教えます。

 ここでは、当時の御家人の様子について重点的に教えます。「いざ鎌倉」「御恩と奉公」「一所懸命」など、重要なキーワードが出てきます。

 

※一所懸命 or 一生懸命?
 この話は、ご存じの方も多いと思います。語源としては「一所懸命」ですね。御家人の領地に対する執着を感じます。どうやら江戸時代あたりから、「一生懸命」が使われるようになったようです。「命懸け」と「一生」という単語の相性が良かったのですかね。

 これについては、教科書出版社の教育出版のHP 

https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/kokugo/guidanceq005-00.html

 

や、NHKのHP

www.nhk.or.jp

に詳しく書かれています。それらによると、最近では「一生懸命」が主流のようですね。

 私は、習慣として「一所懸命」のほうがしっくりきます。もうこれは、職業病の一つです。

 頼朝の死から、執権政治への流れについてもきちんと整理したいところです。北条政子の演説など、入試頻出事項です。

また、「封建制度」についても理解を深める必要があります。簡単にいってしまえば「土地を仲立ちとした主従関係」ですが、やがて中学生になって世界史を学ぶ際、中世ヨーロッパ史で再び登場する概念です。中学生ならここまでの理解で。さらに高校・大学となると、日本の封建制とヨーロッパの封建制の違いについても考えていくことになるでしょう。

 

5.鎌倉新仏教

 なぜ鎌倉時代にいくつもの仏教が成立したのか、その背景について考えさせていきます。

無常観・末法思想・来世利益・極楽往生・他力本願など、仏教を理解する上で欠かせないキーワードが出てきますが、どれも非常に難しい言葉です。

私の講義では、いつも鴨長明方丈記の冒頭部分を聞かせます。

行く川のながれは絶えずして しかももとの水にあらず

よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし

世の中にある人とすみかと またかくの如し

私の大好きな一節です。

これに続けて、平家物語の冒頭も聞かせます。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし 

たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ

いいですねえ。

以前は、この二つを大きく板書して、無常観について語ったものでした。

ここが理解できなければ、鎌倉時代の仏教について理解を深めることはできないからです。

ただ、最近は黒板に書くのはやめました。

いくら私が熱く語ったところで、小中学生には理解されないからです。

死んだ魚のような目をしてこちらを見ている生徒ばかりになってしまうから。

それでも、せめて読み上げるくらいはさせてください。わかってもらえなくてもいいんです。自己満足です。

そういえば、最近の子どもたちは、小泉八雲の「耳なし芳一」の話を読んだことがないのですね。平家物語は琵琶法師によって物語られたことの説明として、「耳なし芳一に出てくる芳一というのは琵琶法師なんだ。」とわかりやすく例をあげたつもりが、みなポカンとしているのです。「教養としての読書」が消滅しかかっているような気がします。もしかして中学受験の弊害なのでしょうか?

 

6.金剛力士

鎌倉文化を理解したければ、金剛力士像を見るのが一番です。鎌倉文化の特色である質実剛健な力強さがひしひしと伝わってきますね。まさにミスター鎌倉文化ともいうべき像を見れば、多くを語る必要はありません。

 

7.鎌倉散策

首都圏に住んでいると、奈良・京都には気軽に行けませんが、鎌倉ならすぐそこです。学習した後に、ぜひ足を運んでほしいと思います。

 

公益社団法人鎌倉市観光協会の公式HPに、鎌倉の散策に役立つ地図が各種ありますのでダウンロードすると便利です。

 ◆鶴岡八幡宮

鎌倉駅を降りたら、お土産物屋や食べ物屋が並ぶ小町通りも魅力的ですが、そこは後で寄るとして、まずは若宮大路に出てみましょう。二の鳥居をくぐり、まっすぐに鶴岡八幡宮を目指します。

神社石段脇には、かつて樹齢1000年ともいわれる大イチョウが聳えていました。鎌倉幕府三代将軍の源実朝が甥の公暁に暗殺されたとき、公暁が隠れていたといわれる大木です。

1本のイチョウの木を見ながら歴史に思いをはせることができたのですが、残念ながら、十数年前に春の嵐で倒れてしまいました。

今では、切り株から若いイチョウが生えています。

また、境内のカフェで、切り倒したイチョウの一部を見ることができます。当時の巨木ぶりがうかがえますね。

余談になりますが、私はここに初詣に行き、おみくじで2年連続で大凶を引き当てたことがあります。

最初に凶を引き、縁起が悪いなあと思ってもう一度引いたらまた凶。意地になって引いた三回目は大凶でした。

翌年に再チャレンジしたところ、今度は一度目で大凶。

私の祖先に平氏はいないと思うので、よほど相性が悪いのでしょうかね。

巷の声では、ここは凶が出やすいそうです。

入試直前にここでおみくじを引くことはおすすめできません。

 ◆円覚寺

鎌倉は古刹が無数にあり、どこを回るか悩んでしまいます。

一つだけ、というなら円覚寺舎利殿はおさえましょう。

地味な建物ですが、国宝です。

禅宗というものは基本的に地味ですよね。そこが大人には魅力的なのですが、はたして小学生にわかるかな?

 ◆寿福寺

北条政子が頼朝の死後に栄西を招いて創建しました。栄西の著書「喫茶養生記」はこのお寺の宝だそうです。

北条政子と実朝の墓もあります。

そこから源氏山公園の向こうにある化粧坂切通に足をのばすのもよいでしょう。

 ◆建長寺

一度建長寺のHPをのぞいてみてください。とても素敵なHPです。

www.kenchoji.com

なかなか見ごたえのあるお寺ですが、やはりここに来たからにはけんちん汁を食べたいですね。

門前の「天心庵」という店で、建長寺吉田正道老師直伝のけんちん汁が味わえます。

 ◆瑞泉寺

少しはずれに位置しますが、実は私が最もお気に入りのお寺です。四季折々の花がとてもきれいな、斜面を利用して作られた庭園が素敵です。

ここから「天園ハイキングコース」に入ります。

鎌倉幕府の授業で頻出の、「なぜ鎌倉に幕府を開いたのか?」→「三方を山に囲まれ、前が海のため、攻められにくく守りやすい地形だったから」の、「三方を山」を実感するためにも、ぜひこのハイキングコースを歩いてみてください。途中途中の絶景スポットに吹き抜ける風が汗を冷やしてくれます。

もっとも全部を踏破する体力はないので、いつも途中で引き返します。

 

こうした歴史をめぐる旅(散策)については一つアドバイスがあります。

よくばりすぎないこと。

せっかく来たから。

歴史の教科書に出て来たところは全部見なくちゃ。

そんな思いで歩き回ったところで、子供が楽しいわけはありません。大人も疲れるだけです。

ぶらぶらと歩き、なんとなく雰囲気を楽しめればそれでOKとしましょう。

 

※鎌倉はいつ行っても修学旅行生&観光客で大混雑です。小町通りがとくにすごいですね。日曜日の竹下通と変わらない(それ以上)の混雑です。ここでゆっくりランチでも、と思っていると当てが外れます。そこで私は少し遠いですが、材木座海岸に歩いていく途中にあるKUA`AINAクアアイナ)でハンバーガーを食べることにしています。ノースショアのハレイワにあった「鄙びたハンバーガー屋だった時から通りかかるとつい立ち寄って食べてしまうハンバーガーでした。ハレイワの店も、いつのまにか綺麗になってしまい、その頃から日本に進出してきたようですね。今ではあちこちで見かけます。いつも思うのですが、こうした出店を仕掛ける人って誰なんでしょうか? Eggs 'n Thingsもワイキキから外れた目立たないところにあった店でしたが、日本に出店したころに本店も移転して綺麗になりましたね。まあ日本にいて美味しいハワイの味に出会えるので文句はありません。今度はぜひガーリックシュリンプのキッチンカーの味を日本に持ってきてほしいと思っているのですが、実現しませんね。日本にあるハワイのコンセプトカフェのようなところで出てくるガーリックシュリンプはお上品すぎて納得できません。FUMI'Sだったか ROMY'Sだったか忘れましたが、キッチンカーのお姉さんに作り方を尋ねたことがあります。返事は「Many Many Garlics!」というものでした。なるほど。家で再現してみると、たしかにそれがコツでしたね。

まあハワイはどうでもよいとして、材木座まで歩くと、「三方が山、前が海」の「前が海」が実感できますので、歩いてみる価値はあります。