中学受験のプロ peterの日記

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2024年入試問題を見てみよう 麻布中 社会

2024年2月1日に実施された麻布中学校の社会科の入試問題を分析します。

この学校は、全国の社会入試問題の中で最も質の高い問題を出す学校です。今年はどんなテーマかな?

1.テーマ・・・教育

10年以上前にも教育をテーマとした出題はありました。今回はこんな書き出しの文章です。

今日は麻布中学校の入学試験日です。ところで、なぜいま君は試験を受けているのでしょうか。その理由はさまざまだと思います。いろいろな学校を見たり調べたりして麻布中学校が自分に合うと思ったとか、親や先生にすすめられてここで学校生活を送りたいと考えたからかもしれません。しかし、なぜ子供は学校に通うものとされているのでしょうか。おとなが子どものための学びの場を用意することは古くからありましたが、現在のようにだれもが当たり前に学校に通い、決まったクラスで時間割に従って授業を受けていたわけではありませんでした。

これに続いて、時代ごとの教育の特徴がまとめられています。

 (1)奈良時代から鎌倉時代

 貴族や武士が身分に応じた内容を学んだとあります。ここでの設問は、鎌倉時代について書いた1行の選択肢を選ぶだけですので、ここもイントロダクションですね。

 (2)江戸時代

 寺子屋・藩校、さらに私塾における教育について説明されています。寺子屋でつかわれた教材、「往来物」について、手紙文例集が教科書として発展したものと書かれています。そして設問としてこうありました。

「江戸時代の往来物のなかには、農民たちが幕府に生活の苦しさを訴えた書状や、村同士の争いにおけるやりとりをまとめた書状などがありました。このことから、この時代の前後で、民衆の問題解決の方法がどのように変化してきたといえるでしょうか。」

ここは、「  」による解決から「  」による解決へと変化した、という解答欄の空欄を埋める形の記述です。記述といえるほどの字数はありません。江戸時代以前といえば、正長の土一揆に見られるように、一揆による解決が試みられた時代です。そして江戸時代については、もちろん一揆も後期には多発しますが、問題文中には「幕府に生活の苦しさを訴えた」とありますので、施政者への訴えという形式に変化したと書けばよいことがわかります。

藩校については、このような設問がありました。

「幕府領だった九州の日田という町で、廣瀬淡窓という儒学者が1817年に咸宜園という私塾を開き、儒学や漢文を中心に教えました。この私塾は当時の日本で最大となり、兵塾した1897年までに約5000人が入門しました。藩校と比べて私塾に集まったのはどのような人々だと考えられますか。説明しなさい。」

この問題は難易度が高めですね。

農民や町人の子どもは寺子屋で「読み書きそろばん」を、藩の武士の子弟は藩校で儒学を中心に学んだことはみな知っています。では、私塾では何を教え、どのような人が集ったのでしょうか。ここでは儒学を教えたとありますので、集った人について考えなくてはなりません。

実は多くの私塾は広く門戸を開いていました。門下生になるのに身分や出身は問いません。町人出身であろうと、武士であろうと、あるいは浪人者であろうと、学ぶ意欲があれば門下生として受け入れたのです。とくに咸宜園は徹底していました。「三奪法」とよばれるルールがあり、入門の書類に記名すると、人間としての3つを奪うとされました。三つとは、年齢・学歴・身分です。門下生すべてが平等の人間として扱われたのですね。高野長英大村益次郎の名が門下生に見られます。

さすがに咸宜園について知っている受験生はいないと思いますが、ここで「そういえば適塾松下村塾に志士が集まっていたなあ」などと発想すれば正解に行きつけたかもしれません。

 (3)明治時代

「・・・小学校では読書・習字・算術・地理・歴史・修身を基本としながら、美術・唱歌・体操や、物理・生物・博物などを教えることにしました。」と文章があり、「これらの教科の多くは生活上の必要とは離れたものであり、子供たちにとっては学ぶ意味を見出しにくいものでした。」とあります。

設問はこうです。

「子どもたちにとって学ぶ意味を見出しにくいにもかかわらず、これらの教科を政府が子どもたちに学ばせようとしたのはなぜですか。説明しなさい。」

これは簡単だったかもしれません。明治時代の教育の目的が、富国強兵・殖産興業に利する人材の育成であったこと、また教育勅語の内容が「忠君愛国の臣民」育成であったことは知識として知っています。ここでは教育勅語は関係なさそうなので、それ以外をまとめるだけでした。

 

「1891年には小学校で学級性が始まりました。それまでは知識の取得の度合いに応じて進級し、さまざまな年齢の子どもが同じ教室で学ぶ等級制がとられていましたが、学級性では同じ年齢の子どもたちが授業をいっせいに受ける形での教育がおこなわれました。」

この文章から、等級制とくらべて学級性のほうが実現しやすいことはどのようなことか、またそれが政府にとって都合がよかった理由を説明する問題が出されました。

ここでは、等級制と学級性のメリット・デメリットについて整理すればよいですね。

生徒一人ひとりの知識取得度合いに応じた等級制は、ある意味子どもの方を向いた教育であるといえます。しかし、クラスの人数が多いと実現は困難ですし、手間や人でがかかるばかりか、卒業までの時間もかかります。それより、同じ年齢の子をひとまとめにしたほうが、効率よく必要な教育を施す(施したという形がつくられる)のに都合がよいですね。もちろん政府にとっての都合です。

 (4)戦後

教育基本法が紹介されています。

「第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」

GHQ原案では、「全人民(the shole people)」=日本に住む全ての人々、とあったものを、日本政府が「国民全体」としたことで生じた問題を説明しなくてはなりません。

もうわかりますね。全人民では、日本に住む日本国籍を持たない人まで含まれるからです。

 (5)現代

インターネットで検索すればたいていのことはわかるが、学校で学ぶことは大切だと考えられる理由を説明します。ヒントとして「学校で知識が提供されるときに、どのような配慮がなされているからでしょうか」とありますので、これはかなり簡単な問題です。麻布の記述問題では、最後の長文記述の1つ前に、短いけれど難易度の高い記述が出題されることが多いのですが、今回は簡単でした。

学校で知識が提供されるときの配慮として考えられるのはこんなところでしょうか。

〇正確な知識を提供する

〇成長過程に応じた知識を提供する

〇知識提供の順序まで考慮して提供する

 

2.麻布らしい記述問題

そして最後の記述がこれでした。

「本文にあるように、学校教育は社会の求めによって、大きな影響を受けてきました。他方で、学校教育も人びとの価値観や考え方に大きな影響をあたえてきました。学校教育は人びとの価値観や考え方に影響をあたえることで、どのような社会をつくってきましたか。そしてそのような人びとによってつくられた社会にはどのような問題がありますか。」

これを120字で記述します。

麻布は私学です。

生徒の価値観や考え方に影響をあたえることで理想とする社会をつくろうとしてきたはずです。しかし、設問は「そのような人びとによってつくられた社会」の問題を説明させるのです。

まるで自分たちの存在意義を真っ向否定するかのような出題に思えます。

麻布の学校HPには、教育理念がこう謳われています。

真理を探究する心、物事の本質を見極める力、人類と社会に貢献する志という三つの資質の育成を究極の目的とする

さらに、こうもありました。

物事を自主的に考え、判断し、知性と感性を兼ね備えた自立した人物の育成を目指

なるほど。

つまり、たとえ学校の教育であっても、無批判に受け入れるな、自主的に判断しろ、ということなのでしょう。

いかにも麻布らしい反骨精神に富んだ出題でした。

 

以前の問題についてはここでも分析しています。

peter-lws.hateblo.jp