今回は日本における全寮制学校について少々考えてみたいと思います。
例によって私の独断と偏見に満ちた主観にすぎませんので、そのつもりでお読みください。どの学校を持ちあげるつもりも貶めるつもりもありません。
1.パブリックスクールの日本進出
最近日本にイギリスの伝統的なパブリックスクールの分校が進出してきていると、ずいぶん話題になっています。イギリスのパブリックスクールと言えば、オックスフォード大学やケンブリッジ大学などのトップ大学に進学する超優秀な生徒たちが集まっている学校と言うイメージですね。ザ9と呼ばれるイートン校やハロー校などの9校が特に有名です。これらの学校は言ってしまえば、エリート養成のための学校です。学費は非常に高いですが、その金額を気にするような家庭の子供は通っていないと言っても良いでしょう。学校の起源は14世紀にもさかのぼるそうです。学界や政界・経済界の有能なリーダーを輩出しているのも特徴と言えるでしょう。日本にはそれに類した全寮制の学校がありませんので、どうにもイメージが掴みにくいのですが、誤解を承知で言えばハリーポッターに出てくるホグワーツの寮がそれに近いのかもしれません。制服の雰囲気や寮の監督生の存在、寮監の存在などがなんとなくイギリスのパブリックスクールをイメージさせると思います。
2022年に岩手県の安比高原にハローインターナショナルスクール安比ジャパンが開校しました。名前の通りイギリスのハロー校の分校です。また2023年に千葉県の柏にラグビースクールジャパンも開校しました。
また東京の小平にマルバンカレッジ東京も開校します。
このようにイギリスのパブリックスクールが日本に相次いで進出する理由としては、以下のようなものがあげられるでしょう。
◆日本国内の富裕層の存在・・・当然そうした学校を求める需要の存在が挙げられます。日本にも富裕層と呼ばれるような層が確かに存在します。この富裕層の1部では10代から子供の教育を日本の教育制度にまかせずに海外に直接教育を任せる動きがありました。国内においてはインターナショナルスクールに通わせて海外大学に進学させる。あるいはアメリカのボーディングスクールやスイスのボーリングスクールなどに早い段階から自分の子供を預けてしまう動きですね。もし日本にこうした学校が進出してくれるのならば、そちらの方を選択する需要と言うのが確実に存在します。
◆アジアの富裕層の存在・・・日本と同様、いやそれ以上にアジアには富裕層が多く存在します。ヨーロッパやアメリカのボーディングスクールに早くから子弟を預ける動きはもともとありました。しかし、欧米では入学の条件やビザの条件が非常に厳しいのですね。とくにイギリスのパブリックスクールは、元来イギリスの貴族階級あるいはそれに準ずる階級のの子弟を預かってエリート教育を施す目的がありますので、当然イギリス国内に実家が存在することが求められます。しかし日本はビザの条件が厳しくなく、また土地の価格も安いため、これらの富裕層が容易に日本国内に居住の拠点を作れるのです。
◆治安・環境面・・・アジア各地に同様のボーディングスクールも存在します。しかし、環境面や治安等を考えると不安な国もまた多いのです。その点日本は環境・治安等の面で欧米と同等、あるいはそれ以上の環境が構築できます。
◆誘致・・・日本は首都圏への一極集中が極檀にすすんでいます。そのため、地方都市の過疎化が深刻化しているのはご存じの通りです。しかし、イギリスから見れば、東京も安比も等距離にあります。別に東京にこだわる必然性はないのです。むしろ広大な土地が確保しやすいところがのぞましい。こうして両者の利害が一致します。
しかし今回この記事で取り上げたいのは、これらのパブリックスクールの日本分校の話ではありません。まぁあまりにもわれわれ庶民の生活実感とはかけ離れすぎていて、進学先として検討するには少々難しいと言ったところが本音です
ここで言葉の整理をしておきたいと思います。イギリスではパブリックスクール、アメリカではボーディングスクールなどと同じような学校に対する呼び方が複数存在して少々分かりづらいですね。ボーディングスクールとは言えば、全寮制学校の事ですので、この記事ではこうしたパブリックスクールを含む全寮制の学校をまとめてボーディングスクールと呼んでみたいと思います。
2.日本にボーディングスクールはあるのか
(1)那須高原海城中学校高等学校
日本にも全寮制の学校あるいは通学生を含む寮制の学校と言うものはいくつも存在します。有名なところでは鹿児島のラサールとかそうですね。それではラサールがボーディングスクールかと言えば、それは少々違うと皆さん感じると思います。ボーディングスクールの本質とは全部の生徒が親元を離れて学校の寮で生活する。それが教育制度の中心に据えられているという学校のことです。そう考えると日本に本格的なボーディングスクールと言うのはほとんどありません。明治時代にはそうした動きもなかったわけではありませんが、近年ということでいえば、私が記憶してるところでは1996年に栃木県の那須高原に開校した那須高原海城中学校高等学校が最初だったと思います。
東京にある海城学園の創立100周年記念事業として設立された全寮制の中高一貫男子校でした。コンセプトとしてはハウスベースのアカデミーを目指したようです。前述したイギリスのパブリックスクールやアメリカのプレップスクールを参考にしたようですね。ハウスと呼ばれる寮を基本として独自の教育を行うことを目指しました。
しかし、不幸なことに2011年東日本大震災で大きく被災してしまったのです。校舎は使用できなくなり、新宿の海城中学校高等学校の校舎を借りたり、また多摩地区の校舎に移転したりとその後流転の日々が続きます。結局放射線量が高いため、元の校舎は使用が困難となり、ついに2017年に廃校が決まったのです。
実のところ、震災前から塾業界ではやがて撤退するのではないかとの噂が絶えませんでした。特に根拠はありませんが、進路指導の際に、この子は全寮制の学校が向いているな、と考えて保護者に勧めてみても、首を縦に振る保護者が皆無だったからです。
実は開校直後のこの学校の見学に、私の知人の国語の先生が出かけて、色々と報告してくれました。私も誘われていたのですが、所用があって行けなかったのは残念だった記憶があります。この先生の報告によると、「あの学校はダメだね」と、一言で切り捨てられていました。ずいぶん厳しい言葉なので、その根拠を伺うと、「図書館の蔵書がなっていない」とのことでした。国語の先生ですので、そこに1番注目したのですね。今のようにインターネット上であらゆる情報が自由に検索できる時代ではありませんでしたから、生徒が学ぶ、あるいは情報手に入れる唯一、最大の手段が図書館なのです。その図書館の蔵書があまりにも貧弱だった。そのことにこの先生は怒っていたようですね。
しかし、これは少々厳しすぎる意見だと思います。どんな学校であれ、開校直後に全てが完璧に整ってスタートするというのは難しいでしょう。図書館の蔵書だって、まずは基本的なものを揃え、それから生徒の要望や適性を踏まえ、徐々に充実させていく、そんな方針だったのだと思います。
この学校にとって不幸だったのは、じっくりと学校を育てていく時間が与えられなかったことに尽きると思います。
東京の海城本校というしっかりしたバックボーンがありましたので、これから100年かけてじっくりと成長していく戦略で良かったのだと思うのです。海城本校だって、そこまでくるのに100年かかったのですから。
学校教育を経営としてとらえれば、100年などと悠長なことを言っている場合ではなく、数年で成果を出せ!ということになるのでしょうが、それは教育の時間軸ではありません。
どうもこうした全寮制の学校と言うのは保護者にあまり受けない、つまり評価されにくいというのが私の率直な印象です。やはり皆さん我が子が目の届かない遠くにいってしまうことに不安や抵抗を覚えてしまうのでしょう。例えばアメリカのように18歳になったならば、高校卒業して親元を離れるのが当たり前である。そこから自立した大人として扱われるそういう文化が根付いていれば、それが少々早まったところで家庭の抵抗と言うものは少ないのかもしれません。しかし、日本においては高校卒業どころか、大学を卒業して就職した後でも親元に親と一緒に暮らしていると言うのは特に珍しい話ではありません。これは何も親から自立をしていない子供が多いと言うことを意味しているのではなく、単にそれが日本の文化風習であると言うべきでしょう。むしろ歳をとっていく親を近くで支えるのが子供の理想像だとされるような風習が根強く残っているような気がします。そうした日本の考え方と早い段階から、子供を独立した人格として、大人扱いすることを基本とする文化とではもともとの発想が異なると言えると思います。
そうした日本においてまたもう一つのボーディングスクールが2006年に鳴り物入りで誕生しました。それが海陽中等教育学校です。
(2)海陽中等教育学校について
この学校はJR東海・中部電力・トヨタ自動車などの中部地域の企業が総力を挙げて作った学校です。初代理事長はトヨタの豊田章一郎氏であり、2代目理事長はJR東海から、そして現理事長は中部電力の水野氏が勤めています。場所は愛知県の蒲郡海に面した埋立地に広大な敷地を有しています。敷地面積は13万㎢と広大で、首都圏随一の面積を誇る栄光学園の11.1万㎢を上回ります。もっとも教師の寮や生徒の寮は栄光にはありませんが。
私は1度だけ海陽学園を訪問したことがあります。最寄り駅は東海道本線の三河大塚駅でした。一応地図案内では駅から徒歩20分ということだったので歩いてみることにしました。駅は言葉は悪いですが、辺鄙な田舎駅といった雰囲気でちょうど昼時でお腹が空いていたのですが、何か食べることのできるお店は一軒もありませんでした。仕方なく歩き始めたのですが、途中でタクシーを使わなかったことをとても後悔しました。歩路はひび割れ、遮るものが何もない。埋め立て地の道路には大型ダンプトラックが地響きを立てて走り抜けていきます。明らかに人が歩く道ではありません。遠くには学校の建物らしきものが見えていますが、いくら歩いても歩いても近づいてこない印象なのですね。私は、フランツカフカの城を想起しました。徒歩20分と言うのも、にわかには信じられない。そんな距離感だったことを覚えています。やっとお会いできた学校の先生に「歩いてきたんですか!」と驚かれたものでした。さて、学校の先生に校内を案内していただきました。
正直に言うと、行く前のイメージが大きく覆されたと言わざるを得ません。立派な設備は揃っています。体育館、広い運動場、教室と食堂棟、そしてハウスと呼ばれる寮が揃っています。ただ緑が非常に少ないのです。開校してからそれほど時間が経っていなかっとはいえ、もともと埋め立て地の平らな土地に立地していますので、起伏がありません。グラウンドの土埃を巻き上げて吹く風も強いです。せめて木がもっと植えられていたら、印象もまた変わったことでしょう。せっかくの広大な敷地が活かされていないように思いました。
ただし、南側が三河湾に面した立地ですので、校地のどこからでも海が見えるロケーションです。これは羨ましいですね。毎日海を眺めているだけでも、気持ちの大きな子に育っていくような気がします。
イギリスのパブリックスクールをモデルにしたと言われるハウスと呼ばれる寮もは、本家のパブリックスクールの重厚なものとは異なり、効率を優先した近代的な4階建てが幾棟も立ち並んでいます。何となくニュータウンを思わせる風情です。
寮内に入ると生徒全員個室です。個室といってもシングルベッドが1つデスクが1つ後は少々のスペースといった手狭さですが、これは学生の部屋としては必要十分でしょう。多くの寮制学校が、上級生と下級生を相部屋にすることが多いのにくらべると、あえて個室にした理由は何なのでしょうか。もしかしてそうした要望が多かったのかもしれませんね。あるいは自立を促すためなのかな?
各ハウスの1階にはラウンジと呼ばれる共用スペースがあり、雑談・交流の場となっています。もちろん大浴場やランドリーも完備しています。
施設的には過不足なく必要なものがそろっているようですね。もちろん本家のイギリスのパブリックスクールのように、歴史を感じさせる重厚な雰囲気は皆無です。飾り気のない機能性重視のスペースといった印象でした。
ハウスにはフロアマスターと呼ばれる存在がいます。フロアマスターは海陽に資金提供している企業から派遣された若手社員たちが1年交代で勤めています。彼らはハウスで生徒たちと共に暮らしながら生徒の相談相手になるそうです。私が訪れた時も、生徒は授業中でハウスにはいませんでしたがジャージ姿の青年が暇そうにしていました。彼がフロアマスターなのです。社命とはいえ、なかなか大変そうな仕事ですね。
部屋の中を案内してもらったときのことです。1人の生徒の机の上に1000円札が置かれていたのですね・それを見た瞬間、案内してくれていた先生の表情が変わりました。付き添っていたハウスマスターに「これは誰の部屋だ!」と確認し、後で厳重に叱っておくように厳しい対応をしたのです。何でもこの学校では現金の使用は禁じられているそうで、現金は全て預けなければならないのです。校内のすべての買い物や自販機の使用も顔認証で決済されるとのこと。寮にとっては重大な規則違反ということのようですね。もちろんスマホも使用禁止で預かられています。またグラウンドを案内していただいた時に、グランドの向こうをのんびり歩いている1人の生徒がいました。案内の先生は、突然「〇〇、のんびり歩くな!」といった意味合いの大声を出され、怒鳴られた生徒は慌てて走り始めました。授業時間中にのんびり外を歩くなということだと思うのですが、グラウンドの向こうの生徒の顔を瞬時に見分けることに感心するとともに、なかなか厳しい規則なんだなあ、と思わされました。
これだけの印象からこの学校について語るわけにはいかないと思うのですが、私の抱いた感想は、相当厳しい規則で運営されている学校だというものです。すいません。あくまでも個人的な感想です。外出が禁止されていることや、生徒の行動全てが目の届くところにおかれていることなどからどうしてもそう考えてしまいました。考えてみれば、イギリスのパブリックスクールも似たような環境だと思うのですが、彼我の差はどこに生まれるのでしょう?
戦前の日本の学校は、多かれ少なかれ、どこもそうした雰囲気が普通でした。戦後に個を尊重したアメリカ式の教育が入ってきて、それらが混然一体となって現在の日本の教育の雰囲気を作り出した、それが私の理解です。
昨今、厳しめの教育というのは不人気です。おそらくは日本の中高生がイギリスのパブリックスクールに入ると、違和感しかないでしょう。成績優秀は表彰される一方、成績不振者は名前を公表され罰則がある、そんなのが当たり前の環境ですから。
もし日本でイギリス式のエリート教育を実践しようとすると、世間の抵抗は相当大きなものが予想されるのです。
実は海陽学園が開校した時、全寮制の学校が定着しにくい日本において果たしてうまくいくのだろうか、と注目を集めたものです。
開校当時のこの学校の入試制度は相当ハードルが高く、優秀でない生徒は一切受け入れないと言う強い意志を感じさせるものでした。普通なら、新規に開校する学校というものは、生徒集めのためにいろいろなことを考えるものです。そうした動きのないこの学校の姿勢は、注目に値するものだったといえるでしょう。
初年度の入試が終わり蓋を開けてみると、生徒募集に苦戦した様子がうかがえましたね。その後徐々に入試制度や教育目標も修正されてきたようです。理想を高く掲げたところで、日本においては東大を始めとする難関大学への進学者数で学校評価されてしまうという現実があるからです。
今年の大学進学結果を見てみると、東大に現役で6名、京都大学に現役で3名と言う実績でした。早稲田には18名、慶応には11名となっています。卒業生77名の実績ですので、率としてはなかなか良いのかなと言う気もします。現役合格率で比較すると、ラサールの12%には及びませんが、埼玉県立浦和より少しよい、といったポジションです。ただホームページを見ていると気になる数値も見つかりました。それは過去13年間の大学入試累計合格実績が載せられていることです。つまり13年間で何人が合格したかと言う数値ですね。例えば東京大学107名などと書かれています。実は大学の進学実績がおもわしくない学校がよくやる広報手法なのですね。年度あたりの数値があまりにも寂しいので、複数年を合算して表示することで数値を多く見せかけると言う手法です。もちろんこの学校は単年度の実績も丁寧に公表していますので、必ずしもそれらの実績が不振な学校と同じということではありません。むしろこの数字は載せないほうが良いのになあ、というのが私の率直な感想です。
またもう一つ気になる数値としては卒業生の人数が挙げられます。13期生が今年の卒業生ですが、77名でした。少しさかのぼってみると、12期生は81名、11期生は85名、10期生は95名、9期生は119名が卒業生数となっています。ちなみに9期生は東大に現役で12名合格していますね。これを見る限り明らかに生徒数が減っています。そのためと思われますが、入試制度もずいぶん変わってきています。今や帰国生入試は全国5会場にプラスしてバンコク・シンガポール・上海でも受験できるようですね。また一般生の入試も全国6会場に加えて、デマンド会場とよばれる、最寄りまで出張会場を設けてくれる制度まであります。至れり尽くせりです。基本的に入試は12月と1月に行われるのですが、2月4日にも入試が実施されます。会場は東京と蒲郡です。明らかに東京の優秀な受験生を集める目的と考えられます。募集要項による募集人数は全部で120名となっています。
2024年の入試結果を見てみると、全入試日程の受験者数合計は923名、合格者640名となっています。倍率で言えば1.4倍ということですね。入学者数は公表されていないので分かりませんが、卒業生数から推測される入学生数は、おそらくは募集定員を下回っていると思われます。そのためかどうかこの学校では高校入試の生徒も受け入れを始めているようです。また、6年間学費全額免除の特別給費生も20名ほど募集しています。
学年ごとの生徒数が公表されておらず信頼できるデータが見つからなかったので、途中退学者の人数がわかりませんでした。
4.日本におけるボーディングスクールの行方
その他にも全寮制を歌う学校はいくつかあります。例えば、高知の土佐塾や富山の片山学園などが挙げられますが、これらの学校は塾が母体となって作られているため、ここで取り上げているボーディングスクールのイメージとは少々ずれるような気がします。また三重県の桜丘中学校高等学校もイギリスのイートン校をモデルにしていると言う触れ込みですが、自宅通学も認めていすし、もともとあった日生学園と言う学校をリニューアルする形で作られたことを考えると、こちらもボーディングスクールと言うには無理があると思います。そういえば、日生学園時代には生徒はトイレを素手で磨く修行が行われていたそうですね。
なかなか日本にボーディングスクール文化は根付かないなぁというのが私の印象です。今日本に開校されているイギリスのパブリックスクールの分校も、最終的には、まるで米軍基地内の学校のように、日本とは隔絶した学校としてでなければ、おそらくその真価を発揮できないのだと思います。ごく1部の富裕層が子弟を通わせる、特別なエリート校として存続するのか、あるいは思ったような生徒募集ができずに撤退していくのかどちらかになるのでしょう。個人的には100年後に、これらイギリスのパブリックスクールの分校が日本に存続しているイメージはどうにも抱けないのも事実です
なぜこうしたボーディングスクールは日本でうまくいかないのか考えてみます。既に文化風習の違いは申しました。それ以外にはやはり教育理念の問題が大きいのだと思います。イギリスのパブリックスクールも、あるいはアメリカのボーディングスクールも確固たる教育理念が初めにあり、それを実現する教育機関としての学校が設立された経緯があります。しかもイギリスの場合は、階級の存在を前提としたエリート教育が行われてきました。しかし日本においては、この教育理念が保護者からあまり重視されないような気がします
既に日本国内には多様な学校が存在します。選ぼうと思えば、どんな学校も選べるそうした恵まれた教育環境が既に日本国内にある以上、それを上回る強烈な魅力を放つ学校を新たに作るというのはなかなか難しいのではないでしょうか。
最後になりますが、私はこうした日本におけるボーディングスクールに反対の立場と言うわけではありません。教育の多様化と言うことを最も重要なことなのだと思っているからです。そもそもイギリスのパブリックスクールをそのまま日本に導入するよりは日本にあった教育内容のボーディングスクールのようなものが次々と出てくる方が健全な状態だと思うのです。海陽学園にしても、現状では限られた選択肢の1つとしてとても大切な学校だと思っています。私の教えていた生徒の中にも、ラサールや土佐塾、そして富山の片山学園に進学した生徒もいました。また千葉の暁星国際に進学した生徒もいましたね。彼らは最初から全寮制の学校の受験を考えており、考え抜いた挙句の学校選択としてこれらの学校に進学したのです。進学した後の様子を聞くと、なかなか充実した学校生活を送っていると言うことなので、彼らにとってはそこがベストの学校だったということなのでしょう。海陽学園についても、目先の生徒募集よりも、100年先を見据えた教育を、曲げずに貫いていくことで評価が定まっていくのだともいます。中京という他に学校の選択肢が多くは無いエリアでの貴重な存在ですし、立地や資金力を考えれば、今後大きく発展する可能性もあるはずです。
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