中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

五節句を知らない子ども



最近気が付いたことがあります。

今の子は、五節句を知らない!

入試問題を解かせていたところ、節句について答える問題があったのです。

すると、見事に知らないのですね。

まあ、これは予想の範囲内ではありました。小学生ですから。常識が無いのはわかっています。そこで丁寧に教えてあげれば済む話です。

私は、合格請負業には違いありませんが、少しでも将来に向けた教養を身に着けてほしいと思っています。そのため、講義ではなるべく多彩な話を盛り込むようにはしているのです。

しかし、私がショックだったのは、大学生の無知ぶりでした。

ここのところ、元教え子たちが大学生になったということで、よく訪ねてきます。中高時代にはほとんど顔など出さなかった子たちですが、いちおう大学生になった報告(あるいは自慢)をしに来てくれるのでしょうね。すっかり大人になった子もいれば、小学生時代とさほど変わらない子もいて面白いですね。しかし、皆東大や早慶等にきちんと進学してくれていて嬉しいものです。

彼らには、中高時代の学習について聞くことが多いですね。学校の勉強はどうだったか、進度はどうか、教材は何を使っていたのか、また塾や予備校に通う同級生は多かったのか、などです。あとはクラブ活動についても聞いてみます。やがてその学校を目指す受験生にとっては貴重な情報ですので、

ある時、そうした話のついでに、ふと思いついて、五節句について質問してみたのです。

「ところで、五節句は知ってるよね?」

うん、とうなずいてはいるものの、目が泳いでいます。そこで、ボードに漢字で「五節句」書いてみます。ああ。そんな表情にはなりますが、まだ反応は薄いですね。

「ちょっと言ってみて。」

真面目な子たちなだけに、真剣に思い出そうとはしてくれます。しかし、なんとか「桃の節句」「端午の節句」までは出てくるものの、それ以上は出てこないのです。

別に五節句なんか知らなくても、大学に進学できています。しかも日本有数のレベルの大学です。

しかし、それでいいのか?

こうした基礎教養とでもいうべき知識については、小学生に皆無なのは承知していました。しかし、大学生になってもなお、まったく身についていないのですね。

考えてみれば当たり前かもしれません。小学生になかった知識を、中高生で身に着けるチャンスなど無いのですから。

そこで、彼らを前に、緊急講義を実施したのでした。

 

「それじゃあ、ヒントを出すぞ」

そういいながら、ボードに日付だけ書いてみます。

1/7

3/3

5/5

7/7

9/9

「さあ、これでどうだ? まず1/7がわかる人?」

皆目をそらしています。

「この日に何か食べなかったかな?」

「ああ。七草がゆ?」

「節分じゃなかったっけ?」

3/3と5/5だけはかろうじて「桃の節句」「端午の節句」と答えられました。

「じゃあ、7/7は?」

「なんだっけ?」

「ほら、短冊に願い事を書いて笹に飾っただろ?」

「ああ! たなばた?」

これ以上は時間の無駄なので、正解を書きました。

1/7 人日の節句(じんじつ)

3/3 上巳の節句(じょうし・じょうみ)

5/5 端午の節句(たんご)

7/7 七夕の節句(しちせき)

9/9 重陽節句(ちょうよう)

みんな、神妙な顔でメモをとっています。こうしたところは小学生時代と変わりませんね。

「ところで、7/7はしちせきの節句だけど、みんな七夕って書くと、別の読み方をしたくなるよね?」

「たなばた!」

「そう。でも考えてみてごらん。七夕の漢字に、たなばたの読みって不自然だろ? なぜそう読むのかわかる人は?」

皆顔を見合わせているばかりですね。

「もともと、中国に乞巧奠(きこうでん)という行事があったんだ。ほら、牽牛と織女が天の川を超えて年に一回逢瀬できるっていう、ロマンチックな話は知ってるだろ?」

「ロマンチック!」

「食いつくのはそこじゃない。そこで、機織りが巧みだった織女にあやかってだな、裁縫や音楽など、もちろん機織りもだが、そうした技術の上達を祈ったそうだ。その中国の行事が奈良時代に日本に伝わってきたんだな。さらに、日本の行事も加わった。」

「どんな行事?」

「乙女が、布を織って神にささげる行事があったんだ。この乙女を棚機女(たなばたつめ)といった。」

「あっ、たなばた?」

「そう。まあ日本も中国も布を織る女性という共通点があるのがおもしろい。それで、七夕(しちせき)と書いて、たなばたと読むようになったというわけだ。」

「ふうん。先生って物知りだね。」

「君たちが物を知らなすぎるだけだ!」

「ところで、七夕の日に食べる食べ物は何かしってるかな?」

「笹?」

「君はパンダか? そうじゃなくて。」

これもまた無駄な質問だったようです。

奈良時代の記録には、索餅(さくべい)を供えて食べたとあるな。」

「索餅って? お餅?」

「まあはっきりとはわからないが、小麦粉と米粉を練ってから、縄みたいによじってゆでたりあげたりしたようだ。」

「わかんない!」

「ううむ。あっそうだ、中華街なんかでお粥を食べるときに、揚げパンみたいなのが一緒についてくるのは知らないかな。油条というものだが、あれが索餅の遠い子孫だ。」

「ふうん。」

「あとはお菓子として食べたりするんだけど。長崎に行くと、麻花兒(マファール)っていうお菓子が売ってる。それが直系の子孫だな。」

写真を検索して見せました。

「あっ、わかった、チュロスだ!」

ううむ。だいぶ違う気もするけど、まっ、いいか。

「それが索餅から索麺とよばれるものになって、さらに素麺が食べられるようになったんだ。」

彼らの顔を見ていると、どうやらチュロスのところで思考は止まっているようでした。ディズニーランドのチュロスが美味しいという話題で盛り上がっています。

今後彼らが子どもを持つ日がきたとして、七夕の日にチュロスを食べそうで怖いです。

 

このあとは、陰陽五行について説明すべきだったのですが、やめました。ディズニーランドのチュロスはどれが美味しかったか議論している彼らに話しても無駄なのはわかりましたので。

 

核家族化が進行し、お年寄りが同居している家庭が少ない現在、五節句など無縁になってしまったのですね。ひな人形など飾らない家庭が多そうです。

 

peter-lws.hateblo.jp