前回、今後の塾の未来を占っているときに、ふと考えてしまいました。
塾の役割って、結局何なんだろう?
別に哲学的な考察に入ったわけではありません。
生徒の学習サイクルの中で、塾はどんな役割を果たすのか?
今回はそこを考察してみます。
1.中学受験をめざす小学生にとっての学習サイクル
小学生・中学生・高校生、それぞれの段階において、学習サイクルは異なります。
たとえば予習。
小学生にとっては、中学受験のために学ぶ学習内容は、すべてが初習です。
したがって、自分の力で予習することは不可能なのです。
中学生以上になると、すでに小学生時代に学んだことをベースとして発展していくような学習スタイルが中心ですので、ある程度の予習は可能です。
ここでは、小学生にとっての学習サイクルを考えます。
イメージとしてはこんなかんじでしょうか。
まず最初に学ぶ。これは誰かに教えてもらう必要があります。
次にそれを定着させる。
定着のさせかたは様々です。算数なら基本問題を何題も演習することで定着させますし、理社のような知識系教科なら、一覧表にして覚える、そうした作業を繰り返します。
次に発展させます。
実際の入試問題を想定すると、基本例題レベルを身に着けただけでは歯が立ちません。受験校を考えながら、発展問題に取り組みます。理社なら記述問題や実験の分析問題などですね。そして、こうした発展演習も、一度やっただけでは定着しません。同様の問題を何問も演習することで、やっと定着するのです。
そして、また新しい知識・課題を学びます。
シンプルに考えると、こうしたサイクルを繰り返すのです。
2.塾はそのサイクルのどこに関わるのだろう?
(1)初習段階
まず最初に考えるのは、ここですね。
小学生にとって、最初の導入は最も大切です。ここがうまくいくと、その分野が好きにも得意にもなるものです。
上手に生徒の「気づき」を誘導しながら、正しい方向へ導いていく、そうした授業はプロの技に頼るべきでしょう。
しかし、非常に基本的な単元はどうでしょう?
別にプロの技を借りなくても、ご家庭で十分に予習が可能な内容・分野は多くあります。国語なら漢字や語句・ことわざなど。これを塾で教わらなくても、大人が相手をしてあげれば問題なく学習できますね。社会科なら、地理の基本的な地名の知識。別に塾に行ったところで、特別な教え方をしているわけではりません。地図帳を開かせて、印をつけながら確認させているだけです。
そう考えると、基本的な内容を学ぶ段階では、初習は家庭でも十分できることになりますね。
そういえば、中学受験の老舗塾である四谷大塚の教材は「予習シリーズ」という名称でした。名前のとおり、生徒達は自力でこの教材を使って予習をするのです。そして日曜にテスト受験する。また次の週のテストに向けて自宅で予習する。
上のサイクルでいえば、塾で実施するのは発展だけですね。それも解説があるわけでもない。(簡単なピンポイント解説はあったようですが)
このシステムが機能したのは、中学受験がまだまだ一般的ではなかったからです。優秀な一部の層だけが中学受験をする時代だったのですね。しかし、徐々に受験生の裾野が広がると、自力で予習ができない層も受験するようになります。そこで登場したのが、いわゆる「四谷大塚準拠塾」です。これらの塾は、月~土の時間をつかって、予習シリーズの解説授業を行います。そして日曜にみな四谷大塚の日曜テストを受けにいくのです。これは、塾が初習段階を実施するのですね。その上で、家庭で定着をはかってもらい、さらに日曜は発展問題を解きに行く。そうしたサイクルです。
このやり方はなかなか合理的なものでした。今でも四谷大塚の教材を使ったYTネットの塾はこのスタイルです。
しかし、ここには大きな問題がありました。
1つは、初習の授業のクオリティの問題です。予習シリーズと言う教材は完成度が高いが故に、塾の指導に差別化がしづらいのですね。そもそも自宅での予習を前提として作られた教材ですので。そうすると教師は、予習シリーズを片手に、そこに書かれてある項目をなぞらえるだけ、そうした授業をすることになります。当然、教師のスキルは上がりません。それでも授業らしきものが成立してしまうことが、予習シリーズを使った初習授業の欠点といえるでしょう。
もう一つの問題は、サイクルが短いところです。毎週日曜のテストが発展演習ですので、生徒はそれまでに仕上げていかなくてはいけません。さらにテストが終わったあと、それを振り返っている余裕はありません。また次週のテストに向けて学習しなくてはなりませんので。
つまり、学習サイクルはこのようになるのです。
一度の学習で完璧に理解・定着をできる子などいません。せっかく発展内容のテストを受けたとしても、それをきちんと振り返って定着させるプロセスがなければ何の意味もありませんね。
(2)初習&発展段階
なかなか自宅で、発展学習までは手がまわらないものです。そこで、そこを塾が担う。ある意味合理的な考え方です。
塾で初習した内容を家庭で定着させ、その成果をはかるために発展学習を塾で行う、そうしたスタイルですね。このスタイルの塾も多く見られます。むしろ、今の集団指導塾の主流といってもいいでしょう。
例えば、平日に初習段階の学習を塾で行い、家庭で定着をはかる。それを土・日の塾のテスト&解説で再確認するのです。
このやり方の問題としては、1週間しか時間がない中で、発展学習の定着段階までは手が回らなくなることです。週末の授業で発展内容がわかったつもりになっても、本当の意味の定着には時間をかける必要があるからです。
(3)発展段階
前述したように、これが昔の四谷大塚のテスト会スタイルでした。今やこのスタイルをとる塾はほとんどありません。
(4)定着段階
本来は、家庭で時間をかけて定着させるのが王道です。しかし、この定着段階を売り物にする塾も多く存在します。「おまかせください」系の塾ですね。
こうしたやり方の問題点は、いうまでもなく、拘束時間の長さにあります。それこそ受験学年にもなると、毎日塾に行くことになります。
もしその塾の指導全てを信頼できるのならそれもよいのでしょう。残念なことに、なかなかそうはいかないのが現実です。
3.結局のところ、塾の役割とは?
結論からいえば、家庭でできない学習の受け皿を担うとしかいえません。
それこそが塾の存在意義です。
初習をまかせる塾もあれば、発展学習だけを期待される塾もあるでしょう。ひたすら定着をお願いされる塾も必要です。
つまり、結局のところ、家庭で足りない部分を塾が補う、それだけが塾の存在意義ということですね。
あまりにありきたりの結論なので、私自身がっかりしました。
しかし、こうして整理していくうちに、今後の塾のありようも浮かんできたような気がします。
それは、発展段階のみに特化したシステムの構築です。
初習段階の授業も楽しいものです。生徒は白紙の状態ですので、最も教えやすい環境にあるといえるでしょう。しかし、初習段階の指導は、それこそ誰が担っても一定の効果があがることもわかっています。教材さえしっかりしたものを使っていれば、一定水準の授業はできるものです。また、生徒の反応も十分予測の範囲内におさまります。
かといって、定着段階を塾が担うのには、罪悪感があります。本来家でお金をかけなくても可能な学習ですので、
そう考えると、塾ならではの学びを提供できるのは、発展段階の授業です。
読めば理解できる、例題は一人で解ける。そうした教材をあらかじめ提供しておいて、塾では発展問題・発展知識のみを扱う。
今後は、そうした塾も出てくるのではないでしょうか。