中学受験に間に合うのか? 壊滅的な国語の点数を人並にするにはどうしたら?
ちょっと検索をかけただけで、国語の学習法については山のように出てきます。
どれも経験に裏付けられており、私が読んでもなるほど、と思わされることも多くあります。
ただし、どれもこれも理想主義に走り過ぎでは? と思うことも事実です。
例えば、辞書引き学習法。
辞書を引くことは大切です。
分からない言葉、曖昧な言葉が出てきたら、人に聞くよりも辞書を引いて自分で調べる。
そののちに、辞書引きノートに書きだしてまとめる。
たしかに間違ってはいません。王道の学習法です。
しかし、入試まで1年となった6年生の段階で、辞書引き学習法をやる時間の余裕ってありますか?
はるか昔に私が英語を学び始めた中学生のころ。英語の辞書をボロボロにしなければ英語力は身につかない、などと言われていました。
残念ながら、私は辞書を引くのが面倒くさいタイプだったもので、全くその恩恵にはあずかれませんでしたが。
そんな私が、生徒に向かって、「わからない言葉は自分で調べなさい!」と言うのには、さすがに罪悪感があります。
周囲の大人に聞いたほうが早くないですか?
合理的な=無駄をそぎ落とした学習が大好きな私が考える、あと1年間で国語を何とかする学習法について考えてみましょう。
1.物語文の攻略
【物語文が苦手な生徒のパターン】
物語文が苦手な生徒は、以下の3パターンに分類されます。
(1)読んでもさっぱり頭に入ってこない
そもそも物語文とは、入試のために書かれた文章ではありません。想定される読者がいて、その読者に向けて語られるものです。ただし、論説文とは異なり、多分に作者の語りたい気持ちが先立っていますが。
そうした物語文が全く頭に入ってこない理由は2つです。
〇精神年齢が合っていない
同じ6年生といっても、4月生まれもいれば3月生まれもいます。ほぼ1年の差があれば、読解力に差が生まれるのも当然です。
ところで、誕生時期と学力の関係=相対年齢効果についてはいくつもの研究があります。
「小学生から大学生までに現れる生まれ月分布の偏り」(内山三郎 筑波大学)
ここでは、そんな学術的な話ではなく、私が実感として抱く、生徒の精神年齢について考えます。
6年生でも、もう中3くらいの精神年齢の片鱗を見せる生徒もいれば、「幼稚園児か!」とつっこみを入れたくなるレベルの生徒もいます。
また、扱われているテーマによっても、様々です。普段から「幼いなあ」と思っていた生徒が、あるテーマでは抜群の読解力を示すことはよくありますし、その逆もまたよくあります。
いずれにしても、その文章が頭に入ってこない=読めないのは、精神年齢が追いついていないことが理由だと考えられます。
私自身の読書体験を振り返っても、そうした本はありましたね。
中高生のころが一番読書が進んだ時期でした。電車通学に往復で2時間ほどかかったため、鞄の中には、途中で1冊読み終わったときの予備を含め、いつも2冊は本が入っていました。
あらゆるジャンルの本を読みまくったものですが、それでも読み通すことができなかった本が何冊かあったのを覚えています。
〇「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト)
〇「死霊」(埴谷雄高)
他には、ジェイムズ・ジョイスも読めなかったです。
これは、あきらかに精神年齢が追いついていなかったためでしょう。
では、今なら読めるか? といわれても、今となっては読む気力がありません。
〇状況が理解できない
これは、予備知識不足です。
直木賞受賞作「鉄道員(ぽっぽや)」が収められた本に収録されていて、過去にいくつかの中学入試や大学入試でも扱われたことのある物語です。
『「恭ちゃん、寿司でも食おうか」
角筈のバス停に降り立つと、父はパナマのひさしを上げて夕空を仰ぎながらそう言った。
「ねえ、おとうさん、立教の長嶋は来年ジャイアンツに入るんだって、ほんと?」
「さあね。そんなこと、わからないよ」
手を引かれて信号を渡りながら、恭一は父との会話をさがしていた。・・・』(「角筈にて」浅田次郎著、「鉄道員(ぽっぽや)」集英社 収録 )
この部分だけからはさっぱり状況が理解できないと思いますが、いくつかのヒントはあります。
〇寿司・・・今も昔も寿司は高級料理です。回転寿司が普及してずいぶん安く食べられるようになったため、もしかして今の子供たちは寿司=めったに食べられない特別な食事、ということが理解できないかもしれません。
寿司屋は大人の世界であり、子供にとって寿司を食べられる機会は、せいぜい来客をもてなす時にとった出前の寿司くらいでした。
ここで父親が寿司屋に子供を連れていこうとしていることから、何か特別なことを父親が考えていることが推測されます。
〇角筈・・・西新宿から歌舞伎町あたりが、かつて「角筈(つのはず)」という地名だったことは、子供はもちろん、大人でも知らない人は多いと思います。このバス停の名前から、物語の時代背景がうかがえるのです。
〇パナマ・・・パナマ帽をかぶったお父さん、もう絶滅してしまいましたね。これは捕捉説明がなければ何のことかよくわからないでしょう。これも、時代を推測するヒントです。
ある生徒は、「パナマ帽をかぶっているお父さん」=「おしゃれな人物」=「お金持ち」=「寿司は日常食」と解釈していました。
〇長嶋がジャイアンツ・・・これも古い。今の子供は長嶋など知らないでしょう。
すっと読者をタイムスリップさせる、作者の技巧が光る文章ですが、子供にとってはさっぱり状況が理解できないと思います。
このお話のあらすじを言ってしまうと、主人公の少年は8歳、母親が死んでおり、父親が再婚することになります。再婚相手の女は主人公の少年を嫌っており、父親は息子には真相を言わぬまま、親戚の家に追いやることにします。引用した部分は、最後の食事として寿司を食べさせようとする父親と、それを察していて何とか時間のばしをして父に捨てられまいとする少年の会話です。
普通の読書というものは、登場人物に読者が感情移入することで読み進めます。
この父親に捨てられようとする8歳の少年に感情移入できる生徒はいません。
状況が理解できずに読解ができないというのは、そういうことなのです。
(2)思い込みで解いてしまう
これは、読書が好きな生徒に見られる傾向です。
入試問題の文章でも、ついつい感情移入型の読書を行ってしまいます。
例として、フランツ・カフカの「変身」をとりあげます。(入試には出ません)
ご存じのように、主人公のグレゴール・ザムザは、ある朝目がさめると虫になっていた、という不条理文学ですね。
とある大学で、学生たちにこの虫の絵をかかせたそうです。
すると、ある者は芋虫を書き、ある者はムカデを書き、ある者はカブトムシのような虫を書き、ある者はゴキブリを書く、など、さまざまな虫が描かれたといいます。
もちろん、読書でしたら、どんな虫を連想しても、不正解ということはありません。読者それぞれが好きな(嫌いな)虫を思い描けばよいのです。
しかし、読解となるとそうはいきません。
〇巨大な毒虫
〇甲殻のように固い背中
〇何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹
〇もぞもぞ動いているたくさんの脚
これらの情報から、ある程度虫の種類が絞り込めるのですね。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースによると、
ゴキブリ
ハネカクシ
ゴミムシダマシ
シデムシ
甲虫の一種、ただし小説序盤は幼虫、終盤では成虫
といった説が紹介されていました。
思い込みで解く癖がついてしまうと、得点は容易にあがりません。
「ぼくは、ウが正解だと思う。絶対ウのはずだ。なんで解答がエなんだ?」
「太郎はこのとき家に帰りたいと思っていた。だって、太郎ならそう考えるはずだから。なんでこの解答が×なのかな?」
自分の思い込みから抜け出せないのですね。
また、読書好きの子というのは、低学年のうちは自分のフィーリングで解いてもことごとく正解が出るので、自分は国語が得意だという自信を持ち、真面目に国語の勉強に取り組まなくなります。ところが、高学年になると、なぜか自分の思いと正解がずれてくるようになるのですね。
(3)行間が読み取れない
書いてあることを、言葉どおりにしかとらえることのできない生徒も多いです。
しかし、それでは問題が成立しません。
例えば、花子さんが急いで家に帰ろうとして、転んで「痛い!」と叫んだとします。
Q:なぜ花子さんは「痛い」と叫んだのですか。
A:転んで足をぶつけたから。
こんな問題はあり得ません。
Q:なぜ花子さんは急いで家に帰ろうとしたのですか?
こんなかんじで出題されるはずです。
しかも、花子さんが急ぐ理由が直接は書かれていないのです。学校で嫌なことがあって早く帰りたかったのか、友達のペットが逃げ出した話を聞いて自分のペットが心配になったのか、明日テストがあることを聞いて勉強しようと思ったのか、学校に居場所がない子なのか。
行間を読んで推理する力がないと、全く得点は伸びないでしょう。
物語文の読解の手順
(1)物語の舞台を読み解きます
2.論説文の攻略
(1)形式段落が重要
(2)接続詞がポイント
(3)最初と最後の段落に注意
(4)例に惑わされない
※筆者の言いたいことは何?
3.具体的な勉強法