中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

論理風文章とは:入試問題に見られる論理的でない文章の解析

 

 1.非論理的な文章を解析し、論理的な文章へ直すやり方

世の中には、一見論理的な文章に見えるが、実は非論理的な文章があふれています。

私は、こうした文章を「論理風文章」と名付けました。

入試問題で扱われる文章にも、この「論理風文章」が実に多くみられます。

入試問題を解くだけなら、あまり気にせずに読解し解答すればよいのかもしれません。

しかし、論理的な文章の書き方を身に着けるためには、こうした論理風文章を見抜き修正する力も養う必要があるでしょう。

実際の入試問題の文章を題材にして説明します。

 

2.カリタス中 新3科型読解の論述文

例としてあげるのは、過去にカリタス中で出題された、教育学の専門家の書かれた文章です。

 

「知識を身につけるのは、決して自分のためだけではありません。自分が身につけた知識を、みんなで共有することで、その知識は生きた知識となっていきます。その知識をみんなで共有し、共に利益を得ていくことは、私たちが生きていく上で、欠かすことのできない知恵だからです。」

 

 さて、この文章をさらっと読み流しただけで、何が書いてあるか瞬時に理解できましたか? 

おそらくは、軽く読むだけだと、何となくわかったような気になると思います。

ところが、丁寧に読み解こうとすると、むしろ意味がつかみづらくなってしまいます。

 (1)文章のパーツ分け

文章をいくつかのパーツに分けることで、論理構造が見えてきます。

さっそくやってみましょう。

 

① 知識を身につけること = 自分のためだけ(の行為ではない

   ※「知識を身につけるは、・・」の「」は「こと」に言い換えます

   ※(の行為)を補わないと不正確

② 自分が身につけた知識をみんなで共有→→→生きた知識になる

③ その知識をみんなで共有&ともに利益を得ていくこと

  = 私たちが生きていく上で、欠かすことのできない知恵だ から

  ※「その知識」が指すのが指示語の直前ではなく、「生きた知識になる前の知識」と解釈します

 

パート①で、知識を身につけるのは自分のためだけではない と書かれています。

ということは、自分以外の者のためでもある、ということになります。

 

パート②で、身につけた知識を共有すると生きた知識になるとあります。

つまり、筆者は、「知識を身につける」ことと「その知識を共有する」ことを区別し、共有された知識を「生きた知識」と定義しています。

 

ということは、共有されていない知識は「生きていない知識」ということですね。

 

パート③では、知識を身につけることは自分のためだけではない、その根拠として、「生きていく上で欠かすことのできない知恵だから」と述べています。

「XはYだ。なぜならZだからだ。」

この形式は基本的な文章スタイルですが、きちんとZがX=Yの根拠になっていないと論理が成立しなくなるので注意が必要です。

「Xは、ZなのでYだ。」という文章に直してみると、Zの整合性が検証できます。

簡単な例で説明します。

 

「すいか野菜だ。なぜなら畑で作られるからだ。」

これが「XはYだ。なぜならZだからだ。」のスタイルです。

これを「XはZなのでYだ。」に直すとこうですね。

すいか畑で作られるから野菜だ。」

これは簡単ですね。

 

では、もう少し複雑な文章を作ります。

 

牛肉は、熱を加えすぎると固くなる。なぜなら食肉の筋原線維や結合組織中のタンパク質が熱で変性し収縮するためだ。」

 

牛肉は、食肉の筋原線維や結合組織中のタンパク質が熱で変性し収縮するため、熱を加えすぎると固くなる。」

 

複雑な文章になっても、構造は同じです。

では、同じようにやってみましょう。

 

A:知識を身につけること

B:自分のためだけではない

C:知識を共有すること

D:生きた知識となる

E:ともに利益を得ていくこと

F:私たちが生きていく上で、欠かすことのできない知恵だ から

 

かなり入り組んでいますが、最後のFがZに相当することはわかりますね。

CとEもZの一部分です。

そうすると、AがXでBがYであることが見えてきます。

 

「AはBだ。なぜなら、CとEがFだからだ。」

 

知識を身につけること は 自分のためだけではない。 なぜなら

知識を共有し、ともに利益を得ていくこと

私たちが生きていく上で、欠かすことのできない知恵だ からだ。

 

ここまではいいですか。

問題は、Dの部分の使われ方です。

AはBだCはDだなぜなら、CとEはFだからだ。」

「なぜなら」以降が、どちらの部分の説明となっているのかが不明瞭です。

これが、この文章をわかりづらくしている原因なのですね。

もし 「CはDだ。なぜならCとEはFだからだ。」

と解釈し、「Xは、ZなのでYだ。」の形式に直して検証してみると、こうなります。


自分が身につけた知識を、みんなで共有し、共に利益を得ていくこは、私たちが生きていく上で欠かすことのできない知恵だからその知識は生きた知識となっていく。」

どうでしょうか、頭の中が??だらけになりませんか?

「知識を身につけるだけでは、自分のためにしかなりません。自分が身につけた知識を、みんなで共有することで、知識はみんなが共に利益を得ていくことに役立つ、生きた知識へと変化するのです。」

これくらいに解釈できれば、だいぶすっきりするでしょう。

 (2)論理の飛躍

この後、ホモ・サピエンスが生き延びた理由として、知識を教えあい助け合うコミュニケーションの効能について述べた後、こう続きます。

「共同・協力する力、一緒に困難を乗り切る力というのは、人間が人間として生き延びてきた原動力なのです。これは別の見方をすると、一緒に喜び合える力であり、この力があるからこそ、生きていて楽しいと思えるのです。これがやがては恋愛感情にもつながります。」

ここには、いくつかの、論理の飛躍がみられます。

それまでは、コミュニケーション能力によって、ホモサピエンスが氷河期を乗り切り、大型動物にかつことができたと書かれていました。

その後、「これは別の見方をすると、一緒に喜び合える力であり」と断定しています。

また、「この力があるからこそ、生きていて楽しいと思えるのです。」とさらに断定しています。

そして「これがやがては恋愛感情にもつながります。」と誘導しました。

共同・協力する力&一緒に困難を乗り切る力

 =人間として生き延びた原動力

 =一緒に喜び合える力

 →生きていて楽しいと思える

 →恋愛感情
とこうなっています。

予備知識が豊富にある方や、読解力の優れた方にとっては問題ないのかもしれません。そのどちらも不十分な私にとっては、この飛躍が気になってしかたがありません。

とくに、恋愛感情の部分が納得できませんでした。

「恋愛感情」とは何か?

「恋愛感情」はどうやって生まれるのか?

これについては、哲学・生物学・心理学等多方面から膨大な研究がなされています。

私がおもしろいと思ったのは、このような解釈でした。

「レジデントノート」という、医学の研修医に向けた雑誌があります。

そこにはこうありました。

※この雑誌の内容はレジデントノートのHPでも一部公開されています。

【第1回 なぜ人は恋愛をするのか?】科学で見る恋愛講座|プライマリケアと救急を中心とした総合誌:レジデントノートホームページへようこそ - 羊土社

〇二足歩行→脳の発達と骨盤の変化→出産が困難に

 →脳が未熟な状態で生まれる(脳が成人と同じ大きさになると産道を通れない)

 →長期にわたる育児に母親・父親の両者がかかわる必要

 →恋愛感情

なるほど!と思わされます。

また、進化心理学の観点からの好意感情と恋愛感情との混同についての研究内容があり、とても興味深かったです。

「好意感情と恋愛感情との混同 進化心理学的アプローチによる実験研究」(中西大輔)国立情報学研究所

だいぶ本題から逸れました。戻りましょう。

ホモサピエンスが氷河期を乗り越えた理由についてもよくわかりませんでした。

 

「・・・そのようなホモサピエンスの生息の痕跡が世界のさまざまな場所に拡散しているからです。」

と書かれていますので、世界の各地でホモサピエンスの痕跡があることがコミュニケーション力の証拠となるというということなのでしょうか。

 私なりに解釈すると、以下のようになります。

 

「共同・協力する力、一緒に困難を乗り切る力というのは、人間が他の動物を凌駕して生き延びてきた原動力と考えられます。さらに、協力して困難を乗り切った後には一緒に喜びあったことでしょう。喜びあえることにより、生きていて楽しいと思うようになったかもしれません。これが恋愛感情にもつながったと私は考えています。」

 

3.なぜ入試問題には論理風文章が多いのか

このような、論理風文章は、とくに科学の専門家の書く文章に多くみられます。
私が勝手に理由として考えたのは以下のようなものです。
◆全体を読めば気にならないが、切り取られた文章だと目立つ
◆論理で構築された世界に生きているため、文章に気を遣う習慣がない
◆専門分野の予備知識がある人間相手の文章ばかり書いている
◆そもそも素人にわかりやすく伝える必要性を感じていない
◆論文ではないので、気軽な気持ちで書いた
真相のほどは定かではありませんが、枝葉末節にこだわる習慣を持つ私には、こうした論理風文章が気になってしかたがないのです。
 

4.誰が書いたかによって文章の価値は変わる

ここまで細かく解析してきましたが、実はとても大切なことがあります。
それは、文章は誰が筆者なのかによって、その価値が変わるということです。
例としてあげた文章についても、誰が書いた本なのかを知っていて購入(普通はそうですよね)して読めば、おそらくは気にならないでしょう。
私は批判するつもりで例を出したのではありません。
「もし、生徒がこういう文章を書いたなら、このように指導する。」というつもりで解析しました。
しかし、実際にはこの文章は、教育学の大家の先生が書かれた文章です。
原著も読みましたが、とても示唆に富んでおり、私も勉強になりました。
〇権威のある方の書いた文書である
〇読者は、読むことで何かを得るつもりで読んでいる
だから、細かい論理構造などはどうでも良いとすらいえます。もしわかりづらかったのなら、それは私の読解力が不足しているだけのことなのです。
しかし、入学試験において文章を書くのは受験生です。
〇権威などない、ただの生徒の書いた文章である
〇読者(採点する先生)は、減点するつもりで読んでいる。
この条件では、大いに論理構造に気を遣う必要があるのです。
 

5.論理風文章を書かないためには

こうした論理風文章を書かないようにする対策は簡単です。
自分の書いた文章を読む相手を明確にするのです。
その上で、どのように書けば相手に伝わりやすくなるのかを熟考します。
そうすれば、複雑な文章構成にはなりません。
 
シンプルでわかりやすい
 
これがもっとも優れた文章です。