中学受験をするためには、必ず塾に行かなければならないのでしょうか?
いきなり、基本的な質問で恐縮ですが、実はたまに同様の質問を受けることがあるのです。
こちらの仕事を真っ向から否定するような質問をなぜこの私に? と思わなくもないですが、それだけ困っているのでしょう。あるいは、私が中立な立場から適切なアドバイスをしてくれるものと信頼されているのかもしれません。多分。
結論を述べる前に、なぜこのような質問が出るのか、そのあたりから考えてみたいと思います。
前回の記事を入門編とすると、今回の記事は発展編として書きました。
塾に行けないor行かないor行きたくない理由とは?
(1)塾に疲れてしまった
わかります、その気持ち。
〇毎回の授業中の小テストの出来不出来によって座席が決められる
〇毎月のクラス分けテストでクラスが昇降される
〇順位表が壁に張り出される
〇大量の宿題が出され、睡眠時間が削られる
〇小学校の担任から、授業中の居眠りを指摘される
〇周囲のママ友の話題は塾の成績と受験についての話ばかり
〇隙さえあれば勉強から逃げようとする子供への注意ばかり
〇塾に言われた通りにやっているのに成績が上がらない
〇想定外の塾費用がかさみ、家計を圧迫する
〇志望校や成績について夫婦での諍いが増えた
まだまだありそうですが、これくらいにしておきます。
一言でいえば、塾=中学受験に疲れてしまったのですね。
適切な例えかどうかわかりませんが、ピアノの練習に例えてみます。
実は、私はピアノを少々弾きます。幼少から習っていたのではなく、大人になってから弾きたくなって、自己流で弾くようになりました。
左手でコードを弾き(ピアノのコードはギター等よりとてもわかりやすいので、すぐ覚えました)、右手で適当なメロディを弾くだけですが、それが楽しくて、毎晩のように酒を飲みながら楽しんでいたのです。
しかし、当然のことながら、それ以上にはまったく上達しません。そこである日一念発起して、ピアノ教室に通うことにしたのです。先生(音大を出たての若い先生でした)に、「ゼロから教えてください」と頭を下げて。
ハノンとツェルニーを渡されました。
この練習は、苦行以外の何物でもありませんでした。
決められた日までに決められたページを弾けるようにならなければならないプレッシャーの中での練習は、逃げ出したい気持ちとの戦いです。そもそも楽譜すら満足に読めないのです。
5分弾いてはソファに寝ころび、また5分弾いては冷蔵庫の扉を意味もなく開け。
好きで始めたはずのピアノが、こんなにも苦痛になるとは予想外でしたね。
半年後に、発表会!に出させられることになり、この練習がさらに苦痛です。たしかショパンの簡単なワルツを弾いたはずです。
今でも覚えているのですが、その時にとりを飾ったのが音大出身の青年で、トルコ行進曲のジャズ風アレンジを華麗に弾きこなしたのでした。
私が嫉妬・羨望の炎に身を焦がしたことは言うまでもありません。
あれからずいぶんたちましたが、相変わらずピアノは上達していません。それでも、Chick CoreaのLa Fiestaや、DebussyのArabesque、そして例のジャズ風トルコ行進曲も何とか弾けるようになったのはうれしかったですね。
私もこの年になってやっと、基礎練習の大切さを身をもって知ったというわけです。
生徒にもよく話をします。
楽しければ、それは勉強ではない。
何かを学ぶということは、本当はとてもつらくて苦しいものだ。
そこを避けて通る方法などない。
生徒にとってみれば身もふたもない話ですが、事実です。
だから、塾通いがつらいのなど当たり前なのです。
中学受験のための勉強は、本来なら中3の高校受験レベルの内容を、わずか10歳から12歳の子供が身に着けようとする過程なのですから。
そこにチャレンジする覚悟が親子にあるか、ということなのだと思います。
(2)塾が信頼できない
残念なことに、塾というのも玉石混交です。
車でよく通りかかる近所に、カレー屋さんが一軒ありました。住宅街の中の道にカレー屋さんがぽつんとあるのも不自然なのですが、普通の住宅の1階がカレー屋となっていますので、おそらくは家を建てるときに1階を主の趣味?のカレー屋にしたのだと思います。駐車スペースが無いので私は立ち寄ったことはないのですが、いつ通っても格段流行っている様子もない、そんな店でした。
ある時通りかかったら、そのカレー屋が塾に変わっていて驚きました。外観はそのままに看板だけ変わっているのです。
数十教室も展開する大手塾でもなければ、フランチャイズの塾(公文・学研等)ではなく、いわゆる町塾です。元の主が転居したのかもしれませんが、私が想像するには、カレー屋はあまりにも客が入らなかったので、今度は塾にしてみた、といったところなのでしょう。
しかももっと驚いたことに、今度はそれなりに繁盛している様子なのですね。いつ通りかかっても、子供たちの自転車が外に並び、生徒が出入りしています。20年以上前に見た、つぶれた回転すし店を塾にするというコメディドラマを思い出しました。
もちろんこのカレー塾が実はとても良い塾である可能性は否定しませんが、塾など簡単に開けるのだなあと思わされた次第です。
世の中には、こうして安易に開かれた塾が無数にあります。それらの多くは、信頼できない塾である可能性が高いのです。このあたりの塾の選び方・見分け方については以前の記事で書きましたのでぜひご覧ください。
また、中規模塾・大手塾といえども必ずしも信頼できるとは限りません。
ところで中学受験集団指導塾の大手塾といえば、これらの塾でしょうか。
この4つがいわゆる四大塾といわれる塾です。
日能研は全国展開していますので教室数は多いですね。また早稲田アカデミーはいわゆる駅前戦略をとって教室展開していますのでこちらも教室数は多いです。それにくらべて四谷大塚(直営校)とSAPIX(小学部)は教室数は半分~四分の一程度です。
このほかにも市進や栄光ゼミナールなども大手といえますが、小規模な教室を大量に展開しているようですね。
乱暴に区分してみると、在籍生100名以上の校舎を30校以上展開しているのが大手塾、在籍生50名程度の校舎が2・3校舎なら小規模塾、その間が中規模塾といったところでしょうか。2・30名の生徒が1校舎だけなら個人塾ということになると思います。
さて、何年も前の話になりますが、とある小規模塾の生徒の指導を頼まれたときのことです。指導を頼まれたのはよいのですが、拘束時間のとても長い塾で、家庭学習はおろか、私の指導を入れる隙間もほとんどありませんでした。週6日拘束で、講習時にはほぼ毎日朝から晩まで授業があり、わずかにある休みの日にも何らかの補習が組まれます。
「塾に全てをお任せください」という方針の塾で、関西の塾には多いスタイルですが、首都圏では少数派です。
もう3年ほどその塾に通っていた生徒なのですが、テスト結果や過去問の出来具合を見ると、3年間で学んだものはとても少なかったようでした。切羽詰まったお父様からのご依頼でしたが、私にできることがほとんど無かったのが残念だったのを覚えています。
これは明らかにこの生徒の責任ではありません。塾の責任です。たいして規模の大きな教室ではないので、生徒一人ひとりに目が届かないはずはありません。「塾に全てをお任せ」してはいけなかったのですね。
私に言わせれば、こんな塾がそれなりに生徒を集めていることが不思議です。
また、塾の講師も玉石混交です。相性というものもあります。
昔の話ですが、私も、6年生の最初の授業で、生徒一人ひとりの目標校を確認し、「それは素晴らしい学校だ。ぜひ目指してほしい。でも難関だ。これから1年間頑張ろう!」という、まあ毎年恒例の儀式のようなことをやったところ、ある一人の生徒の父親から強い抗議を受けたことがあります。
「息子が、皆の前で目標校を言わされて恥をかかされた!」というものです。何が「恥」なのか私にはわかりません。目標校を言いたくない生徒には無理強いもしませんでしたし、まだ目標校がわかっていない(6年生の最初なんてそんなものです。親には入れたい学校があったとしても、本人に自覚がないのですね)生徒には、「これから良い学校を見つけよう」と声をかけていましたし、その子が口にした目標校も、そのクラスのレベルの男子が目指すことの多い学校でしたしね。目標を持つことが、そしてそれを知られることが「恥」になるとは私の理解の及ばぬところでした。これは私とそのご家庭の相性が悪かったということなのでしょう。
もっとも、その当時の教室の様子は、「皆で一丸となって目標校に合格しよう」と生徒たちが頑張る雰囲気でした。経験からいうと、そうした教室からは、データ以上の好結果が出るものなのです。開成を10人受験したとして、データ上は5人しか合格しそうもないとなっていても、蓋を開けると9人合格した、そんなことが起きるのです。残念だった1人もきっちりと聖光には合格します。それがわかっていたので、こちらも意図的にそうした雰囲気を醸成していたのですね。そこから中高そして大学へと進んだ卒業生たちは、社会人になっても仲が良いと聞きます。しかし、中学受験が一部の優秀な生徒のものではなくなっている昨今、小学校の保護者の間でも、他人の受験校に異常な関心を示す方が少なくないと聞きます。私もその抗議を頂いて以降は、スタイルを修正しました。昔の牧歌的な時代が懐かしいですね。
(3)通える範囲に適切な塾がない
これは海外で良くご相談をうける内容ですね。
首都圏でも関西圏でも、日本国内で中学受験をしようと考えたということは、その学校に通える範囲に住んでいるということだと思います。それならば、通える範囲に塾が全く無いということはないでしょう。
(4)強気の中学受験をあきらめた
中学受験は、必ずしなければならない受験ではありません。地元の公立中学なら全員進学できますしね。そこから高校受験をするのはある意味王道というか、皆が通る道です。
中学受験をあきらめた場合というのは中学受験から高校受験に切り替えたということで、そうしたご家庭も多くあります。
しかし、「強気の」中学受験をあきらめたというのはそれとは少し異なります。
これは上述(1)とも関係する話かもしれません。
子供をこれ以上追い込むことをやめ、目標としていた学校の受験もあきらめる。だから塾もやめる。そのかわり、自宅でできる範囲の勉強だけをして、ランクを落とした(合格が見込めるであろう)学校だけを受験する。
こうしたご家庭も多く耳にします。小学校低学年から、周囲の熱気にあおられるようにして塾通いを始めたが、どうにも成績が伸びない。どうやらうちの子供は勉強が嫌いらしい。それなら、本人が大好きなバレエ(orサッカーorチアダンスor新体操等)を優先して塾はやめ、入れる学校に入ればよい。
実際にそうして進学した方もいらっしゃいました。どうしても中学受験の世界に身をおいていると、偏差値至上主義に陥りがちです。少しでも高みを目指して頑張らせがちです。しかし、そうした競争から一歩身を引いてあたりを見回してみると、偏差値では語れない良い学校というものはあります。定員割れしているのが不思議な魅力的な学校もあります。そうした学校を探す努力・選ぶ目というのものがあれば、なにも塾に通う必要なんてありませんね。