「良い文章」を書くためにはどうしたらよいのか?
伝えたいものがあり、それを伝えるやり方を知っていて、はじめて良い文章が書けます。
今回は、「良い文章」とはどんな文章なのか、そしてどうしたら「良い文章」が書けるようになるのか、考えていきたいと思います。
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1.音楽にたとえてみると
楽器をはじめて手に取ったときのことを思い出してください。
どんな楽器であれ、まずは、正確に音を出すトレーニングが必要ですよね。
管楽器のように音を出すこと自体が難しい楽器もあれば、弦楽器のように正しい音程で音を出すことが難しい楽器もありますね。
そこで、まずは音を出すトレーニングから始めます。
そうして正確に音を出すことができるようになったら、次のステップとして、先人の残した楽譜通りに弾く練習を行います。ここでいきなりアドリブソロをはじめる人はいないでしょう。
最後に、「伝えたい何か」を音にのせることになるのです。
ルールを無視した自己流の音楽では、結局のところ人の心にメッセージを届けることはできません。
逆に、正確無比なコンピューターで合成したような音楽では、人に何も伝わらないですね。
文章も同じです。
楽器が正確な音を出すように、文章を書くためにも正確に言語を操ることが必要です。
そして、そこに伝えたいものをのせていくのですね。
2.文章を書くセオリー
まずは、文章を書くセオリーを学びましょう。
セオリーといっても、細かい文法の知識を暗記するということではありません。
さきほど楽器に例えましたが、教則本を何冊暗記したところで、正確に音を出せるはずもありません。同様に、文法書をどれだけ頭にいれようと、それだけでは文章を書けるようにはなりません。
正しい文章をたくさん読み、たくさん書くことからはじめなくてはいけません。
(1)主語をどう置くか?
文章を書く上で最初に意識したいのは、主語をどう置くかということです。
日本語は、英語とは違って主語を省略する傾向の強い言語です。
ハイコンテクスト・ローコンテクストという言い方をご存じかと思います。
コンテクスト(context)という語句は、「背景」「状況」「文脈」といった意味でしたね。
文化の共有具合が高いコミュニケーションがハイコンテクスト、低いコミュニケーションがローコンテクストということで、暗黙の了解や背景の素養が共有されている日本のような文化はハイコンテクスト、そして欧米のようにコミュニケーションが言語を通じて行われるために明快な表現が好まれる文化がローコンテクストと考えるとよいと思います。
日頃の会話や文学作品であれば、日本がハイコンテクスト文化であることを前提にしてかまいません。
美しい日本語の例として、川端康成の文章を見てみましょう。
『 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。』
あまりにも有名な「雪国」の冒頭部分です。そぎ落とされたたったこれだけの文章で、読者が一気に物語世界へと引きずり込まれる美文です。
『月の夜が深いように思われる。深さが横向けに遠くへ感じられるのだ。』
「山の音」の一節です。
美しい。
あまりにも美文すぎて、凡人である我々には参考にならなかったですね。
入試が終わって中学生となったら、ぜひお子さんにも川端康成を読ませてください。
「伊豆の踊子」あたりから入るのが王道ですが、今時の中学生にはたぶん理解できないでしょう。もちろんストーリーはシンプルで読むのに支障はないのですが、時代の醸し出す雰囲気のようなもの、伊豆の漂わせる旅情のようなものがたぶんわからないと思うのです。そもそも一高生と旅芸人一座の踊子の物語ですからね。
そこで私の密かなお薦めは「掌(たなごころ)の小説」です。
川端康成が20代から60代にかけて書き溜めた短編が120編ほども集められています。
本当に美しい日本語に酔いしれることができます。
ぜひ。
(2)述語の重要性
文章を書く際には、主語と述語をワンセットで文章をつくることを意識します。
それだけで、格段に読みやすい文章となります。
さきほど日本語は主語を省略しがちな言語、ハイコンテクストだと書きました。そこで、自分の書いた文章からまず述語を探してみてください。
さすがに述語を省略している文章は書いていないと思います。
「太郎は花子が好きだ」
「花子が好きだ」
「太郎は花子が」
「好きだ」
こう並べてみると、「花子が好きだ」とは書きがちな文ですが、「太郎は花子が」では全く意味が不明ですので。
そこで、自分の書いた文章の述語を見つけ、その述語の主語を探すのです。
どうでしょう、きちんと主語が書いてありましたか?
(3)主語と述語の距離
さて主語と述語がワンセットだとして、その距離、つまり主語と述語の間にはさまった文字数が重要です。
「太郎は花子が好きだ。」
「太郎はいつも元気で明るい花子が好きだ。」
「太郎は真面目で勉強がよくできるいつも元気で明るい花子が好きだ。」
「太郎は幼稚園が一緒でそのころはよく一緒に遊んだものだが小学生になるとすっかり話をすることがなくなってしまった真面目で勉強がよくできて先生からも信頼されて学級委員をやっているいつも元気で明るいが実は一人で静かに読書をするほうが似合っている花子が好きだ。」
さて、意図的に句読点は省略しています。最後の文章が125文字です。
もう、読みにくいことこの上ないですね。述語がわかったとして、これに対応している主語はいったい何なのかわかりにくいです。ここまで一文が長いと、主語と述語が遠く離れすぎてお互いを見失いそうになっています。
これを私は「主語と述語の生き別れ」と名付けました。
さらにこれだけ長い文になると、途中で書いている本人も主語がわからなくなって主語と述語が対応しなくなることもよくあります。例えばこんな文章です。
「太郎は幼稚園が一緒でそのころはよく一緒に遊んだものだが小学生になるとすっかり話をすることがなくなってしまった真面目で勉強がよくできて先生からも信頼されて学級委員をやっているいつも元気で明るいが実は一人で静かに読書をするほうが似合っている花子は可愛い。」
これを私は「主語と述語の離婚」と名付けました。もう主語にとっては述語、述語にとっては主語の関係が「無関係」、赤の他人になってしまっています。
(4)句読点を打つ
子どもの書く文章って、どうして句読点が無いのでしょうか?
句読点の打ち方にはルールが一応あるのですが、そんなルールを覚えることは無意味です。たくさんの文章を読み、たくさんの文章を書き、添削指導を受けるうちに、やっと自分なりの正しい句読点クセが身についてきます。
(5)漢字を使う
子どもの書く文章って、どうしてひらがなばかりなのでしょうか?
漢字を知らないわけではないのです。それなのにひらがなを使う理由は何なのでしょうね。
〇漢字がきらいだ・・・画数が多くて面倒くさい
〇漢字に自信がない・・・だからひらがなのほうが安全
おそらくはこんな思考回路なのでしょうね。
「ひらがな」はあくまでも「仮名」にすぎません。「真名」である漢字を適切に使いこなせてこそ、正しい日本語の第一歩を踏み出せるのです。
(6)誰に向けて書くのか?
あらゆる文章には想定される読者がいます。この読者をどこまで明確に意識するのかで、書かれる文章の価値は決まります。
とても大切なことですので、詳しく説明します。
3.言いたいことは何なのか?
優れた文章とは、伝えたい内容がきちんと伝わる文章のことです。
つまり読み手のために書かれた文章のことです。
稚拙な文章とは、何が言いたいのかさっぱり伝わらない文章のことです。
つまり書き手の独りよがりで書かれた文章のことです。
つまり、良い文章の最も重要な条件とは、伝えたいものの有無・強さに他なりません。
伝えたいものの無い文章ほど、読み手の時間を無駄にするものはないのはみなさんもわかるでしょう。
それが日記であれ、作文であれ、読書感想文であれ、手紙であれ、国語の記述問題の解答であれ、まずなすべきことは、自分の中に、そこで伝えたい内容を明確化することです。
それを徹底的に考え抜くと、やがてカメラのフォーカスが合ってくるように、伝えたいことの輪郭がはっきりとしてくるでしょう。
次に、その伝えたい内容を的確に伝えるためには、どのように書けばよいのかを考えてください。
言葉の一つ一つを吟味し、読み手に与える影響を考え抜きましょう。
ここで大切なのは、言葉の一つ一つを大切にすることです。
無駄に意味なく発せられた言葉ほど、読み手の意欲を削ぎ、伝えたい内容をぼかしてしまうものはないのです。
4.誰に向けて書くのか?
「話し上手は聞き上手」
という言葉を聞いたことはありませんか。
話しが上手な人は、実は人の話しを聞くのが上手なのだ、ということで、話し上手になりたければ聞き上手になりなさい、という教えにつながります。
つまり、相手の話をまずはじっくりと聞き、相手がどんな話をこちらに求めているかを考え、その上で、自分の伝えたい内容を相手に話す、それが真の話し上手だ、ということですね。
実はこのことは、そのまま文章を書くコツにもつながります。
文章における「相手」とは、その文章の「読み手」のことですね。
面と向かって人と話をする場合と異なり、文章を書く場合では、読み手が目の前にいることはほとんどありません。
文章は書かれた後で、どこかで誰かに読まれることになります。
まずは、この時と場所を隔てた読み手についてじっくりと考えることが大切です。
今から自分が書こうとしている文章は、いったい誰に向けたものなのかを明確にしましょう。
もし手紙なら、手紙を送る相手を思い浮かべましょう。
もし作文の宿題なら、先生の顔を思い浮かべましょう。
不特定多数に向けて書かれる小説であったとしても、想定する読者というものが必ずいるはずです。
それらの読み手がこの文章にいったい何を求めているのかを考えるのです。
次に、自分の伝えたいメッセージを確認します。自分の伝えたいことは、相手の聞きたいこと・読みたいことになっているだろうか?
ここで大切なのは、独りよがりにならないことです。
常に読み手の存在を意識して、その読み手に今どのようなメッセージを伝えるべきなのかを考え抜きましょう。
こうした文章を書くにあたっての第一段階の注意は、試験における記述・論述問題の対策にそのままあてはまります。
記述問題が苦手な人は、まずは問題文をじっくりと読むことで、「この問題で出題者の先生はいったい何を聞こうとしているのだろうか、どんな答えを期待しているのだろうか?」と読み取ってください。
自分の言いたいことを書けばよいのではありません。相手が聞きたいことと自分の伝えたいことを一致させることで、はじめて読むに値する文章となるのです。
「書き上手は読み上手」ということがいえそうですね。