今回は、過去に行った、海外在住の小学生の記述添削指導について紹介します。
記述を提出してくれたAさんは、当時海外在住の小学5年生女子でした。
1.記述のテーマ
◆課題「社会から無くなったら困るものの例を1つあげ、その理由とともに説明しなさい。」
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Aさん、エッセイの提出をありがとうございます。
さっそくですが、Aさんの書いたエッセイについて、気が付いた点をお話しましょう。
こちらが実物ですが、解説の都合上、打ち直したものがこれです。
2.表記上のミスについて
(1)冒頭の書き出しは1字下げる
字数指定の場合は一字下げる必要はありませんが、Aさんの文章では、他の段落が一字下げていますので、統一したほうがよいでしょう。
(2)漢字のミス
困る という字が3回使われていますが、2・3回目の文字が「困」ではなく「因」という字になっています。また、3回目の表記が「因まる」と送り仮名も間違えています。
(3)句読点について
通常の原稿用紙の使い方では、行の最後が句読点になった場合には、文字と句読点は同じマスに書くことになっていますので、緑色で塗ったところは問題ありません。
しかし、最後の「・・・思います。」の句読点は、文字と同じマスに書くのはまちがっています。
また、字数指定がある場合には、句読点も1文字と数えますので、必ず1マス使って表記しましょう。
(4)ら抜き言葉
「・・・食べれなくなる」・・・いわゆる「ら抜き言葉」で、誤りです。正しくは、「食べられなくなる」ですね。
これは、最近とても多く見られる間違いです。大人でも多くの人が日常的に誤って使用しています。ことばというものは時代につれて変化するものですので、いずれ「ら抜き言葉」も市民権を得て、辞書にも載るようになるかもしれませんね。でも、まだ早いです。国語の先生はこういうところをとても気にしますので、きちんとした表記で書きましょう。
(5)重言(二重の表現)
「牛の牛乳」・・・意味が重なってしまいます。「牛のミルク」「牛乳」としましょう。
これを「重言」といい、他にもこんな例があります。
馬から落馬する
頭痛が痛い
はっきりと明言する
後で後悔する
あらかじめ予定する
最後の追い込みをがんばる
(6)単語の使い方
「木」について・・・一般に、「木」と表記するのは、一本の「木」をイメージする場合が多いですね。したがって、この文章では、「森林」と表記するほうがよいでしょう。
ところで、森と林の区別には特にきまりはないようです。人の手が加わっているのが「林」で、自然のままの状態が「森」という定義もあるようですが、そんなに厳密なものではありません。
3.内容について
Aさんの文章構成を整理してみると、以下のとおりとなります。
①の木がなくなると困るという結論の根拠として、
③豚肉が食べられなくなる ④牛乳が飲めなくなる
⑥・⑧ 酸素がなくなって生きていけなくなる
という二つの問題点をあげています。
まず、最初の根拠の豚肉と牛乳に関してですが、家畜の豚と牛は、そのまま森林に生息しているわけではありません。
森林が失われると、多様な生物種が失われる、という流れなら理解できますが、牧場や畜舎で人工的に飼育されている牛・豚と、森林の喪失を同一に論ずるのは無理があります。
二つ目の、森林が無くなることと酸素が無くなることの関連ですが、ここにもすこし無理があります。
一般に、森林の減少は二酸化炭素増大の原因として扱われることが多く、酸素の減少と結び付けることはあまりありません。
二酸化炭素の増大の影響のほうが、地球温暖化や異常気象に与える影響が大きく、すでに大きな問題となっているからです。
ただし、その二酸化炭素増大に関しても、実のところは森林減少と二酸化炭素増加の因果関係は不明確なのが現状です。
むしろ海洋のほうが二酸化炭素の吸収量が大きいという研究もあるようです。
また、「木=自然」という大きなテーマを扱っているものの、結局のところ困るのが「人間」だけのような印象を与えてしまうのは残念です。
これらを考え、以下のように修正・整理するとよいでしょう。
●森林が無くなると問題だ
・森林は、多様な生物の住処となっている
・森林は、水の循環(雨が森林から川へ、海へ、そしてまだ水蒸気として雲へ、という大きな流れ。これによって地球は豊かな生物を育んでいる)に大きな影響を及ぼしている
・森林に降った雨が少しずつ川に流れ込むことで川の氾濫を防ぎ、また海の魚介類に豊富な栄養を提供している
・森林の減少により、二酸化炭素の増大が心配される。
●したがって、人間のみならず、地球全体の生物にとっても森林は大切だ。
4.テーマの選び方
今回の記述テーマは、「もしも〇〇が無かったら?」というものでした。
このような漠然とした課題ですと、何を書いていいものかとても迷いますね。
そうした場合は、地球全体にかかわるような大きなテーマよりも、自分にとって身近なテーマのほうが書きやすいものです。
Aさんが書いた「森林」といった大きなテーマよりも、「紙」「書籍」「自動車」「コンビニ・スーパーマーケット」「冷蔵庫」といった、私たちが当たり前のように利用しているものの例をあげ、もしそれらが無かったら社会にどんな影響があるのかを考えるほうが、書きやすく、また読みやすいものになったと思います。
例えば、冷蔵庫の存在しなかった江戸時代には、今のようにいつでもどこでも新鮮な魚介類を食べることはできず、いわゆる「江戸前=江戸の前の海」で獲れたばかりの魚を、魚屋が早朝走って届けられる範囲の家や料理屋にだけ届けていたそうです。塩漬けにしたり干物にしたりと、保存の工夫をした魚介類だけが一般に食べられるものでした。こうして、身近なものについて考えてみるのもおもしろいですね。
記述のテーマとしては、社会でかかえる問題について考えさせたり、疑問を持つ姿勢を求めたりするものがとても多く出されています。
日々の生活の中でも、「なぜこうなっているんだろう?」「もし○○が△△だったら?」と、身の回りの様々な出来事の原因や理由を考えることで、理解も深まり、思考力も育っていきます。
Aさんも、日本と海外という、異なる二つの文化・社会を体験することで、多くの「なぜ?」「なに?」に出会える機会に恵まれています。
この機会を活かし、ぜひlogical thinkingやcritical thinkingを磨いてみてください。
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いかがでしたでしょうか?
最初の答案を見た瞬間、「これでは!」と思うかもしれませんが、それでは添削指導は成り立ちません。
本人なりに一所懸命マス目を埋めたことはうかがえます。
いったいどこがいけないのか、どう直せばよいのか。
これらを一つ一つ具体的かつ丁寧に指導していくことでしか記述力は伸びてはいかないのです。
正直なところ、海外在住の生徒の記述力は低いです。しかし、これは何も海外生に限った話ではありません。国内の生徒であっても、系統だてたトレーニングをしていなければ、こんなレベルの記述答案しか書けない生徒などたくさんいます。
しかし、国内生と海外生には大きな違いがあります。
国内生の場合は、「こんな文章ではダメだ!」「きちんと書かなくては!」と周囲の大人たちから指導が入る場合が多いのですね。学校・塾の先生からもありますし、家庭でも親や兄弟から指摘が入ります。そうして言葉・文章というものを学んでいくのです。ところが海外生の場合は、「異文化の環境に慣れるのに一所懸命なのだから仕方がない」「日本のように豊富な本が与えられないのだから無理もない」「英語を頑張っているのだから、国語が多少できなくてもしようが無い」「国語なんて日本語なんだから、普通に話せれば何とかなるでしょ」といった、誤解、というより甘えが横行し、結果として紹介したAさんのようなレベルの文章しか書けなくなってしまうような気がします。
「言い訳」から入る勉強は何も生み出さないように思うのです。とくに記述力は、一定の時間・手間をかけなくては自然に向上するものではありません。