律令国家の成立をどうやって教えるか
律令国家の成立については、教えがいがありますね。
信頼できる記録がほとんど無い時代の歴史ですので、歪曲された歴史が巷に流布しています。そこをなるべくニュートラルかつわかりやすく講義をすすめるのは、教師の力量が問われるところです。
1.板書
日本史の2回目。律令国家の成立の板書はこれくらい。27行にまとめたので、16行2段で板書します。
2.古墳について
とりあげたい古墳は無数にありますが、「中学入試」という観点からは絞らざるを得ないのが残念です。
箸墓古墳(奈良)
高松塚古墳(奈良)
大仙古墳(大阪・堺)
石舞台古墳(奈良)
キトラ古墳(奈良)
稲荷山古墳(埼玉)
江田船山古墳(熊本)
このあたりを教えるのが限界です。
古墳ばかりは、実際に足を運んでみなくては、スケール感がつかめません。有名なものでなくていいので、自宅近所(探せばけっこう身近にあります)の古墳を見に行きましょう。もし遠くまで足を延ばせるのであれば、首都圏なら、埼玉県のさきたま古墳群がおすすめです。
10基ほどもの古墳が密集していて、周囲は古墳公園となっており、古代気分?を満喫できます。埼玉県行田市ですが、最寄り駅からはバスで10分くらいでしょうか。車で行くのがお勧めです。
ここのお目当てといえば、もちろん稲荷山古墳です。有名な鉄剣は、実物が園内の「さきたま史跡博物館」に展示されています。
この鉄剣の文字の解読から、熊本の江田船山古墳の文字も判読でき、ワカタケル大王の勢力が九州から関東まで広がっていたことの物的証拠となっています。また、ワカタケル大王が日本書紀にある雄略天皇と同一人物であり、それが宋書倭国伝に書かれた5人の倭王の一人「武」であること、こうして日本の遺跡と歴史書と中国の歴史書が海を越えてつながる壮大なロマンを生徒にも感じてほしいものです。
もっともこのことを私がいくら熱く語っても、今一つ反応は薄いのが通例です。
遺跡の授業で頭を悩ますのが「大仙古墳」の扱い。日本最大の前方後円墳であることはよいのですが、被葬者について説明するのがむずかしいですね。
今までは、「昔は仁徳天皇陵と言われていたが、実際の被葬者は不明であり、仁徳天皇である確証はなく論争が続いているので、大仙古墳(大山古墳)という」ですんでいました。ところが、2019年に「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されたから厄介です。その古墳群を構成する古墳の一つとして「仁徳天皇陵古墳」がこの名称で登録されてしまったのですね。
生徒からの当然の疑問としては、「この古墳は仁徳天皇のものなのか?」「そうでないなら、どうしてこの名称なのか?」「どうして調べないの?」といった声があがります。
日本書紀によれば、仁徳天皇は在位87年、110歳で死去されたとされていますが、あまり深入りして教えても仕方がない部分でしょう。仁徳天皇は16代ですが、そもそも欠史八代を含め、神武天皇から9代までは実在が不明です。記紀に出てくる天皇がどこから実在していたかについては、学者の間でも様々な意見があり、10代崇神天皇から、17代履中天皇から、21代雄略天皇から、30代敏達天皇から、といった具合に意見は錯綜しています。初代神武の実在を主張する学者?までいるくらいですから。
正解か、不正解か、の単純な二元論の中にいる生徒達に、曖昧な大人の事情を理解しろというのが無理だと思います。毎回ここは、さらりと受け流してすすむ部分なのです。
3.聖徳太子の扱い
この聖徳太子の扱いも難しいですね。たまに中途半端な歴史オタク君が、「先生、聖徳太子なんていなかったんだよ。」と得意そうに主張したりするから厄介です。
ここは、「厩戸王という人物は存在した。その人物の業績を大げさに拡大して日本書紀に聖徳太子として書かれた。」と解説します。
すでに高校の日本史教科書には、推古天皇の協力者として厩戸王(聖徳太子)が触れられているだけの扱いです。
ところが厄介なことに、文部科学省の「学習指導要領」には歴史で取り上げるべき42名の人物の一人として聖徳太子があげられているのですね。さらには、「聖徳太子の肖像画やエピソードからその人となりを想像する学習」が推奨されています。
有名な肖像画ですが、これも本当に聖徳太子を描いたものなのかが不明です。そのため最近の高校教科書や資料集では「伝聖徳太子像」と表記されたものも多いです。
その「肖像画」からどのように人となりを想像しろというのでしょうか?
ここでは、歴史的正確さを捨ててでも、教科書どおりに授業を進めるほかありません。
ちなみに、「厩」の漢字も厄介です。様々な字体が存在し、私がちょっと確認しただけでも7種ほどありました。「異体字」という概念も、小学生には触れたくないところです。彼らは漢字学習において、正しい字は一つだけ、と叩き込まれますので。
4.遣隋使・遣唐使について
遣隋使・遣唐使については、一般に以下の項目が扱われます。
〇607 遣隋使、小野妹子
〇630 遣唐使、犬上御田鍬
〇894 遣唐使廃止、菅原道真
まず基本年代が3つ。さらによく出てくる問題はこうなっています。
〇聖徳太子の手紙・・・例の「・・・日没する国の天子・・・」というやつですね。これが隋の煬帝を怒らせた、とされています。ここでは「対等な立場」をキーワードとして書かせる記述が良く出されます。
〇鑑真・・・これは人物名を答えさせる問題で出ます。
〇阿倍仲麻呂・・・こちらも人物名。たまに「天の原 ふりさけみれば・・・」の歌にからめて出されることも。
〇遣唐使廃止の理由・・・航海の危険・財政難・唐の衰え・唐文化の充分な吸収
これくらいをあげれば合格です。
〇遣唐使廃止の影響・・・国風文化。 ここは例として「ひらがな」を入れた記述でよく見かけます。
遣隋使・遣唐使についての学習はここまでやれば十分とされています。
しかし、本当にそれで十分でしょうか?
なんだかこれでは、薄っぺらい授業で終わってしまうような気がします。
歴史はドラマです。歴史の授業では、どれだけ奥行を持たせた説明ができるか、どれだけ生徒にイメージさせられるかを重視したいですね。
そこで、私の授業では、こんなアプローチをしています。
◆遣隋使・遣唐使の費用とは?
◆そこまで多額の費用・危険をおかしてでも派遣した理由は?
◆ルートが北路→南路へと変わった理由?
◆どんな人たちが派遣されたのか?
◆大化の改新と遣唐使の関係は?
まだまだありますが、せめてこれくらいは生徒に考えさせたいですね。
高い位にあった、いわば選りすぐりの知的エリートたちが派遣されていますので、彼らが学んだことが日本に与えた影響は絶大です。最澄だって空海だって、遣唐使として唐から新しい仏教の概念(とくに空海の密教)をもたらしたのです。
大化の改新についても、中学入試レベルでは中大兄皇子と中臣鎌足しか出ませんが、その背後にいた高向玄理や僧旻もぜひ扱いたいところです。
東アジアにおける中国の巨大さ、そこから必死にあらゆるものを吸収しようとする日本、こうした背景を理解してはじめて遣隋使・遣唐使について理解できると思います。
5.律令制
日本における律令制は、いわば唐の制度の猿真似にすぎませんでした。耕地面積に圧倒的な違いがあった唐の制度をそのまま日本に導入したため、のちに農民の逃亡・口分田不足をまねきます。唐の口分田面積は4ha、さらに1ha の世業田(永業田)とよばれる相続できる田畑があり合計で5ヘクタールです。日本の口分田面積は男子が2段ですからその面積は約24アール、女子は16アールですね。つまり男子で考えても0.24ヘクタール、唐の4.8%の田畑しか与えられなかったわけです。これではどう考えても少なすぎます。まともに生きていけないレベルだったと思います。
その割にはまがりなりにも平安時代は律令制が続いたのですから、もとの制度設計が絶妙だったといえるでしょう。
ここの説明では、いつも租庸調の違いを教えながら、こう質問してみます。
租・・・米
庸・・・労役 → 布
調・・・特産品or布
なぜ布?
富本銭や和同開珎についても同じ授業で学びますので、なぜ貨幣ではなくて布なのか考えさせることは大切です。
ここがわかると、貨幣の3つの役割について考えたり、貨幣の普及の条件についても考える糸口がつかめるはずです。
そもそも布が価値が高い物であるということを、今の子供たちは知りません。それはそうですよね、百円ショップでTシャツが買える時代ですから。
手工業の時代には、労働の集約度=物の価値 であるということを理解させたいですね。そこがわかると、後に扱うイギリス産業革命の説明がスムーズになるのです。
ところで、「鶴の恩返し」で、なぜ鶴が布を織るのかについても、この授業で触れてあげると、「そうだったんだ!」と生徒は膝を打って納得していますね。
6.歴史で取り上げるべき42名
卑弥呼・聖徳太子・小野妹子・中大兄皇子・中臣鎌足・聖武天皇・行基・鑑真・藤原道長・紫式部・清少納言・平清盛・源頼朝・源義経・北条時宗・足利義満・足利義政・雪舟・ザビエル・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・徳川家光・近松門左衛門・歌川広重・本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬・ペリー・勝海舟・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・明治天皇・福沢諭吉・大隈重信・板垣退助・伊藤博文・陸奥宗光・東郷平八郎・小村寿太郎・野口英世
前項でふれた、学習指導要領で、取り上げるべきとされている人物がこの42名です。少ない! 少なすぎます。江戸時代だけみても、徳川吉宗も綱吉も慶喜すらあげられていません。松平定信も田沼意次も水野忠邦もいません。井原西鶴も葛飾北斎も吉田松陰もいません。渡辺崋山も高野長英も大塩平八郎もいません。シーボルトも新井白石も松尾芭蕉も・・・・きりがないのでやめますが、江戸時代だけみても20名以上不足しています。全体では、少なくとも100名は不足しているかんじでしょうか。そのわりには、東郷平八郎が入っているのが謎です。しかも、明治で歴史が終了しています。昭和以降の歴史については教えなくてもよいのでしょうか?もちろん実際の中学入試では、吉田茂・鳩山一郎・佐藤栄作・田中角栄など普通に出題されています。
7.取り上げない勇気とドラマチックに語る技術
歴史の講義で大切な2点です。
歴史は面白いです。いくらでも深堀りできますし、掘れば掘るほど面白くなってきます。生徒に語りたいことは山のようにあります。
しかし、それら全てを語っていたら、それだけで入試が終わってしまいます。いや、それでも語り尽くせはしません。
そこで大切なのは、「取り上げない勇気」です。
もう戦国時代の授業の時など、戦国大名オタク(結構多い、とくに男子)が目を輝かせて待ち受けています。しかし、残念なことに戦国大名はあまり入試に出てきません。
本当はいくらでも語りたいのですがね。残念。
そして、ドラマチックに語る技術。これができなければ教師失格ですね。
淡々と事実だけをつらつらと述べる授業。最低ですね。
せっかくのチャンスです。歴史をドラマチックに語って、歴史好きを増やしてあげましょう。