中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

中学入試を成功に導く 子供への上手なしかり方

お子さんが中学入試を目指して勉強している保護者の皆さまに聞きたいことがあります。
最近、子供を叱ったことはありませんか?
つい感情的に怒ってしまったことはありませんか?
子供のしかり方というのはとても難しいと思います。
まして、中学入試という過酷なチャレンジをしていると、親子ともども余裕がなくなるのか、つい叱る回数が増えてしまうかもしれません。
今回は、私の経験の中からいくつかのエピソードを紹介し、中学入試を成功に導くような、子供の上手なしかり方について考えてみたいと思います。
※生徒や保護者のエピソードを紹介する際には、個人情報保護の観点から、仮に本人が読んでも自分のこととわからないレベルまでリライトしています。ただし内容は実話に基づいています。

1.エピソード

 エピソード1「私は一度も子供を叱ったことがないんです」

先生、私はね、一度も子供を叱ったことがないんですよ。それなのに、どうしてあなたはうちの子を大声で叱ったんですか!うちの子がどれだけ傷ついたかわかりますか?」

 開いた口がふさがらない、というのはまさにこの場面に使うと適切な表現です。

抗議にやってきた父親に応対しながら、頭の片隅ではそんなことを考えてしまいます。

状況は至極簡単です。

何度注意を促しても、いっこうに家庭学習をやろうとしない生徒に対し、厳しい顔で、

勉強は自分のためにするものだ。親御さんに応援されて、高い目標をもってここに通っているのだから、決められた課題くらいきちんと守って、家庭学習をやりなさい!

とまあ、当然の注意を与えただけでした。

多少声は大きかったかもしれません。

しかし、注意した理由は明確であり、そのことを生徒本人もじゅうぶんに自覚しています。

 こうした場面では、生徒が涙ぐむのはよくあることであり、ことさら問題とする状況ではなかったはずでした。

 また、その後の授業時間中に、当該生徒が答えられそうな質問をして、正解を出した生徒を少々大げさに褒めることもしています。

 帰り際には、「家でちゃんとやるから」と言いながら、生徒は笑顔で手を振って出ていきました。

 その後に乗り込んで来た父親が言ったのが、冒頭の会話です。

 おそらくは、帰宅した生徒は、父親に塾での出来事を話したのだと思われますが、正確な報告ではなかったのでしょう。

「我が子が赤の他人の塾教師風情に叱られた!」

 この1点のみが、父親の導火線に火をつけたのだと思われます。

 しかし、今目の前で声を震わせている父親に対し、何を言っても無駄なことは経験上わかっています。

子供に正面から向き合い、真剣に叱ることのできるのは親だけなのですが。

 親に叱られることのない子供は可哀そうだなあと思います。

 

 エピソード2 感情的に怒る親

その生徒から電話があったのは、授業のはじまる直前の時間でした。

電話の向こうで泣きじゃくっており、名前を聞き出すのもやっとの状態です。

さらに電話の向こうから、お母さまが甲高く怒鳴る声が聞こえてくるのです。

塾を辞めるって、自分から言いなさい!

子供をなだめ、お母さまから状況をうかがうと、こういう話でした。

 

 その生徒は、塾の勉強が大好きでした。

塾に通って学ぶのが楽しみで仕方がない。(けっこうこういう生徒って多いのですよ)

そして、お母さまは、健康的な食生活にとても心を砕いている方でした。

子供の食事についても、添加物の入っているものは一切使わず、自然素材の食事だけを、きちんと栄養計算をおこなって、日々子供に食べさせていたといいます。

しかし、給食だけはコントロールできません。

どんな素材かもわからぬ添加物だらけの体に悪い給食(お母さま曰く)を、本当は我が子には食べさせたくはないのですが、そういう訳にもいかず、仕方なく許容したそうです。

ただし、絶対お代わりはするな! と子供に厳命して。

 

子供は、給食が大好きでした。

ある日、小学校の担任の先生と面談した際、こう先生から言われたそうなのです。

〇〇さんは、いつも給食をお代わりしていっぱい食べてくれて、とってもえらいんですよ。

これでお母さまがキレて、冒頭の電話と相成ったわけでした。

約束を破ったら、娘の一番好きなものを取り上げる、つまり塾を辞めさせる、というペナルティだったのです。

 

育ち盛りの子供が、給食をたくさん食べる。

それのどこが悪いのでしょう?

子供があまりに不憫すぎます。

しかも、罰として、勉強が大好きな子供から勉強を取り上げるとは。

翌日お母さまと面談をして、誠心誠意説得につとめました。

子供はなんとか塾を続けることができ、翌春には最難関校に進学しました。

 

子供は親の所有物ではありません。

親の価値観だけを押し付けたり、感情的に怒っていい存在ではないのです。

 

 エピソード3 カンニング

 その生徒は、途中から私の教室に入室してきました。かなり高度なレベルの学習をしている私の教室では、たとえ他塾でトップだった子でも、すでに私の授業を受け続けている生徒の間に入ると、「わからない」「答えられない」状態に陥ります。別に進度が早すぎたり先取りをしたり細かい知識を扱っているわけではありません。常に自分の頭で考えることを指導しているだけなのです。「なぜ江戸幕府が260年以上も長続きしたのか、その原因について書いてみよう。」そんな授業です。その生徒は、将軍15人の名前は丸暗記していても、こうした質問は初めてだったようで、固まっていました。

他の生徒達が鉛筆を必死に走らせているとき、その生徒は隣の生徒の答案を覗き見るのに必死でした。

あ~あ。 生徒のカンニングを発見すると、いつも私は哀しい気持ちになります。それは子どものことですから、思わず見てしまうということは珍しいことではありません。しかし、授業は教師である私と生徒の信頼関係のもとに成り立っています。その信頼を裏切られることの哀しさと、それから自分で考えることを放棄してしまっていることへの憤りと、そんな気持ちです。別に間違えてもとんでもない答えでも、決してそれだけで叱ることは絶対にしないのですが。他の生徒たちは、私がいかにカンニングを嫌悪しているかを知っているので、決して他人の答案を見ようとはしません。それが自分のためにはならないことを理解しているからです。この生徒は、まだそれがわからないのでしょう。

授業後、その生徒を残してこんこんと説教をしました。しかし驚いたことに、頑として認めようとはしないのです。結局、最後まで認めないまま泣きながら帰っていきました。

これでもう教室には来なくなるだろうな。そう思いますが、仕方がありません。過去にきちんと叱られる経験をしてこなかったのは明らかです。そのことがむしろ可哀そうでした。

しかし、この生徒は辞めませんでした。それからは決して他人の答案を覗き見ることなどせず、必死に勉強に取り組み、最終的には志望していた最難関校(文字通りの最難関校です)に進学しました。その後顔を出した生徒と話をしたら、やはりあの時のことが転機となったそうです。生徒曰く、「自分は常に優等生だった。だから先生からも親からも叱られることなど一度もなかった。他の子がやれば怒られることも、自分だけは怒られることはなかった。しかし、あの日初めて本気で叱られた。自分の姑息な主張など通用せず、特別扱いもなかった。悔しくて情けなかった。だからその後は本気で頑張る気になった。」とのことでした。叱るのにはエネルギーが必要です。まして赤の他人の子を叱るのにはこちらにも覚悟が必要です。それが通じてくれて、本当に良かったと思いましたね。

 

2.怒ると叱るの使い分け

手元の辞書(新明解)を紐解くとこうあります。

〇「怒る」・・・がまんできなくて、不快な気持ちが言動に表れた状態になる。

〇「叱る」・・・相手の仕方を、よくないといって、強く注意する。

この2つは目的が異なるのですね。

「叱る」目的は相手の矯正にあるのに対し、「怒る」目的は自分の感情を発散することにあります。

子どもに対しては、常に「怒る」ことなく、「叱る」ことが大切です。

 

3.上手な𠮟り方

 (1)タイミングが大切

 よくご存じのように、子どもたちは、いろいろ「叱られる」ようなことをします。エピソードで紹介した生徒のように、課題を提出しないとか、テストを親に見せないとか、いろいろありますね。

 こうしたことを叱るときには、その場で叱らなければ意味がありません

 突然思い出したかのように、「そういえば〇か月前にあなたは・・・」といって叱るのはNGです。

 子どもはその時が過ぎてしまえば、「叱られなかった=許された」と思っていますので、あとから遡るようにして叱るのは効果はないばかりか、子供の心を遠ざけることにつながります。

 

 (2)まとめて叱らない

原因の異なる失敗について、まとめて叱ってはいませんか?

「忘れ物が多い」「ミスが多い」「時間を守れない」

こうしたことをまとめて一気に叱ることはやめましょう。

子どもは、どの点について叱られているのかがわかりにくくなりますし、大人のパワーで叱ってしまうと、子供には反論や言い訳の余地がなくなってしまいます

 

叱るなら、一度に一つについて叱る、これが鉄則です。

 

 (3)叱る理由をはっきりさせる

あくまでも「叱る」のは「注意を与える」行為です。

 

何がいけなかったのか

どうしていけないのか

今後どういうことに注意するべきなのか

 

この3点をかならず明確にする必要があるのです。

 

 (4)叱る前に、効果的な𠮟り方を考える

厳しく注意するのか、こんこんと言い聞かせるのか、例をあげながら注意するのか、子どもの感情に訴えかけるのか。

 

叱り方にも様々なやり方があります。

叱る前に、どういう叱り方がこの場合は効果的なのかについて考えましょう。

 

 

 (5)真剣に叱る

 叱ることは、叱るほうにも叱られるほうにも心に負荷がかかります。できるなら叱りたくはないし、叱られたくはない。

 それでも、叱らねばならない時には、愛情をもって真剣に叱るべきでしょう。

 深く考えもせず、条件反射的に子供の行動や勉強について叱っていませんか?

 

その叱り方では、たぶん子供の心には響いていません。

 

 

叱らなくてもいいかもしれない

 

子どもを叱る前に、考えてみてください。

それは本当に叱る必要がありますか?

 もしかして、穏やかに注意をするだけでよいのではありませんか?

 親が真剣に叱るべき案件ですか?

叱られるということに子供を慣れさせてしまってはいけません。

 

必要な時だけ叱る。

 

とても大切なことですね。

 

 エピソード4 先生、まるで別人だね

 長年この仕事をしていると、小学生時代に教えていた生徒に大人になってから出会うことがあります。懐かしく嬉しいときもあれば、全く思い出せずに冷や汗をかくこともありますね。(先日もとある学校の文化祭で、小学生の娘をもつ母親になった教え子に遭遇して焦りました。その時の話は↓ここに書いています)

思い出の教え子が親になって登場した文化祭の一幕 - 中学受験のプロ peterの日記

 

 名刺を持って営業にやってきたその女性は、たしかに昔私が教えていた生徒でした。教育産業にも関わりがなくもない業界に勤めており、営業の一環として訪ねてきたのでした。

 まずは仕事についての話をじっくりと聞き、ひととおりそれが済んだ後で昔話や近況報告などの雑談をしていたときに、言われたのです。

「先生、まるで別人ですね。」

 どういう意味か聞き返すと、当時の私は、とにかく怖かったと。宿題忘れは無論のこと、小テストの点数が振るわなかった時とか、ぼんやりして授業を聞いていなかったときとか、とにかく叱られたそうです。

 ああ、そういえば、そんな時もありましたね。

 私の授業が怖すぎて、塾に来たものの教室に入れなくて受付前で泣いていた生徒なんてのもいました。(この生徒には、きちんと時間をつくって真剣に話をした結果、再び元気に通ってくれるようになりましたが。)

 ただし、その昔の教え子が言うのには、怖かったけど、理不尽ではなかったそうです。叱られるときというのは、必ず自分に原因があった時だけだった。正論すぎて反論できず、ただただ自分の不甲斐なさが情けなくて涙がこぼれていたといっていましたね。

 また、授業は抜群に面白かったそうです。今でもそのとき聞いた話は覚えているとか。

 営業のためのリップサービスとしても、少し嬉しいです。

 その教え子曰く、今こうして会っていると、先生が怖くない、優しい感じがして、まるで別人かと思ったそうです。

 それはそうだ、大人になったあなたに対して叱る必要はないだろ、それとも昔のように叱ってほしいのか? などと他愛もなく笑いあいながら別れました。

 

 たしかに、最近は、昔とは異なり、めったに生徒を叱ることがなくなりました。

1.経験値・年齢差により、黙って立っているだけで威圧感がある

2.最近の生徒がおとなしくなり、叱る必要がなくなった

3.親が子供が叱られることをのぞまないようになった

4.生徒に、叱られることに対する耐性がなくなった

5.昔のように真剣に生徒に向き合うことが難しくなった

 

おそらく理由はこんなところなのでしょう。

その中でも気になるのは5番目ですね。

生徒の学力向上を願う気持ちは変わっていないのですが、3番目と4番目が理由となって、5番目につながっているのだと思います。

 

「先生、びしびしと厳しくご指導してください。」

なんて言われていた日々が懐かしいです。

 

もしお通いの塾の先生が厳しくお子さんを指導してくれるのなら、それはとても良い先生だと思いますよ。