とても良く尾根愛されるご相談に次のようなものがあります。
「先生、私が言ってもいうことを聞かないので、先生から言ってやってください」
もちろん仕事ですから、私から生徒に話をします。
しかし思うのです。
それは本来家庭の問題ではないだろうか?
なぜ子どもは親の言うことを聞かないのか?
1.言われ慣れてしまった
四六時中、子どもの一挙手一投足について、親(だいたいは母親)が文句を言い続けているのです。
そうです、文句です。
それは大人である親から見れば、子どもの行動は気に入らないことだらけでしょう。
◆本でもノートでも出したら出しっぱなし。片付けられない
◆勉強に集中せず、すぐに机を離れる
◆食べた後の食器を下げない
◆鞄の中に物を入れっぱなし
◆お菓子の空き袋をそのへんに放置
◆ドアを開け放して出ていく
◆トイレの電気を消し忘れる
◆靴をそろえておけない
◆風呂の蓋を閉めない
◆脱いだ服を洗濯機に入れずに放置
◆食事を残す
◆食事をこぼす
◆いくらいってもケアレスミスが治らない
◆間違い直しをさぼってばかり
いくらでも出てきます。
その都度注意をする。もちろんそれは大切なことです。
しかし、徐々に注意から文句へとシフトしてきています。
そうなると、子どもは耳を閉ざします。なぜなら、聞きたくないからです。
母親の文句を言うときの声のトーン。はたしてそこに「愛」はありますか?
そこで、いくら注意しても(文句を言っても)、言うことを聞かない子どもが出来上がります。
2.心に刺さらない
その注意が理にかなっていて、子ども本人が「しまった!」「まずい!」と自覚しないかぎり、子どもの心には刺さりません。
「どうしてこんな簡単な計算間違えたの!」
(僕だって間違えたくて間違えたわけじゃないよ)
「こんな時間に起きたんじゃ、計算ドリルをやる時間ないじゃない!」
(僕だって早起きするつもりだったんだけど、気が付いたら寝過ごしたんだ)
「また忘れ物して!」
(僕だって忘れるつもりで忘れて来たわけじゃないし)
「また失くしたの? もう買ってあげません!」
(僕だって失くして困ってるんだ。おかしいな? どこいったんだろ?)
「問題文良く読むようにって何度言ったらわかるの!」
(ちゃんと読んだんだよ)
「ケアレスミスばかりして! 集中してない証拠よ!」
(ミスしたくてしたわけじゃないし。ちゃんと集中して解いたよ!)
子どもの心の声が聞こえてくるようですね。
もし子どもがそのことを口にすれば、当然もっと叱られます。
賢い子どもなら、黙っています。そうして母親の言うことを聞かなくなっていきます。
そうでない子どもは口答えします。そうして母親との距離が離れていくのです。
3.まとめて叱る
「またノート忘れてきて! この前は筆箱を忘れてきたし、その前は体操服。いったいどれだけ忘れ物すれば気が済むわけ!」
気持ちはわかります。何度注意しても忘れ物が続いているのですね。そこで、ついつい過去のエラーについてもまとめて叱ってしまいました。
これはいけません。
なぜなら、過去の失敗については、その時すでに叱っていますよね?
何度も何度も過去の失敗をほじくり返して叱られる。
子どもにとってはこれはたまらないですね。
それは反発したくもなるでしょう。
なぜ塾の教師の言うことは聞くのか?
それは簡単です。
他人だからです。
我々が生徒を叱ることは基本的にありません。
注意をするだけです。
そこには感情もありません。
仕事ですから。
注意すべき点があれば注意します。その際には、きちんと生徒本人が自覚できるように話します。
どう話をしたら、子どもが納得できるのか。そして行動を改めるようになるのか。学習に有効に働くのか。
こうしたことを考えながら注意をするのです。
時には叱ることもありますが、これは叱るというより「叱ってみせる」だけです。そうしたほうが効果が上がると判断したときだけ叱ります。
そこには感情はありません。あくまでも感情的に振舞ってみせているだけです。
さらに最重要なポイントがあります。
生徒を大人扱いするのです。
中学受験は、やらされるものではなくやるものです。
中学受験ができる恵まれた環境にいることを感謝し、自分の意志で勉強するものだ。
そのことを前提とし、だから今の行動はだめなんだ、ということを理をつくして話します。
経験からいうと、生徒は大人扱いすることで大人としての振る舞いをしようとします。子供扱いすれば、いつまでたっても子どものままなのです。
もう一つ理由をあげると、塾の教師は「中学受験」という狭い世界において、「絶対的な存在」であると生徒達からみなされています。生徒が知らないことを知っている。生徒が解けない問題が解ける。つまり彼らが出来ないことをできる存在であり、教師の指示に従うことで確実に成果につながることを生徒達は理解しているのです。
だから、勉強についての指示には必ず従います。
そこから広がり、受験に向かう正しい生活態度の指導にも従ってくれるのです。
しかし、我々の神通力が通用するのもそこまでです。
正しい親子関係の在り方や正しく大人になること等について語ったところで無駄なことでしょう。
そこが学校の先生とは違うところです。
学校と比べて、塾の教師が生徒達と接している時間は圧倒的に短いのです。
したがって我々が人生の指針について語ることはありません。
子どものしかり方の具体例や反抗期の対処法については以下の記事が参考になるかもしれません。