今回は、東洋英和女学院についてとりあげてみます。
(タイトルのイラストのセーラー服は東洋英和のものとは違いますね。本来は、胸当て無しで、ガーネット色(レンガ色)のスカーフが特徴的です)
教育理念と歴史について
学校HPを見てみましょう。
建学の精神と学院標語
「敬神奉仕」
「敬神」・・・心を尽くし、 精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マルコによる福音書 12章30節)
「奉仕」・・・隣人を自分のように愛しなさい。(マルコによる福音書 12章31節)
自立した人格として生きる意思と力を持った人物を育てる
学院標語「敬神奉仕」
私たちは、この建学の精神を「敬神奉仕」という学院標語とし、全ての教育活動のスタート地点とし、この精神を実践できる人物の育成を目指しています。普遍的・総合的知識と心身の育成、教養と経験の習得を通して、ここで学ぶ者が神によって造られ、愛されている自らの尊厳に目覚め、自分自身を尊重し、隣人・他者の人格を尊重し、愛する心を涵養する「霊性の養い」が、私たちの教育の根本目的です。
もう一目瞭然ですね。
キリスト教に基づく教育です。
創立は1884年。
その前後にどんな出来事があったのか見てみます。
1867年 (慶応3年) ・・・大政奉還
★1884年(明治17年)・・・東洋英和女学院開校
1889年 (明治22年) ・・・大日本帝国憲法発布
1894年 (明治27年) ・・・日清戦争
鹿鳴館の翌年です。もう歴史の1コマとしか思えません。
首都圏で100年以上の歴史を誇る学校は100校ほどあるのですが、その中でもかなりの先輩?の学校です。
カナダ・メソジスト教会婦人ミッションの最初の日本派遣宜教師マーサ・J・カートメルにより創立されました。
ちなみにカナダ・メソジスト教会はもちろんプロテスタントです。
環境
住所は六本木5丁目です。最寄り駅は日比谷線六本木駅か、大江戸線麻布十番駅となります。少しだけ麻布十番駅の方が近いですね。徒歩5分です。
「六本木」と聞くと、バブルのころに青春を過ごした?方からすれば、「浮かれた町」の印象が強いかもしれませんが、学校があるあたりは閑静な雰囲気です。
六本木五丁目交差点と鳥居坂下交差点をつなぐ「鳥居坂」に面しています。
江戸時代、鳥居坂には、武家屋敷が立ち並んでいました。明治以降は、その武家屋敷跡が旧財閥系に払い下げられ、財閥関係者や華族等の屋敷が立ち並ぶことになったエリアです。
(もっとも麻布十番は町人の家が立ち並ぶエリアでしたので、麻布十番駅の東洋英和と反対側には老舗のそば屋や鯛焼き屋などがならぶ商店街が広がっていて、個人的には好きなエリアです。)
校地面積は広くはありませんが、都心の女子校としては平均レベルですね。テニスコート3面・バレーボールコート1面のグラウンドがあるので十分でしょう。その他、軽井沢に寮、野尻湖にキャンプサイトを所有しています。
大学実績(2024年、既卒者含む)
北海道大 2名
お茶の水女子大 2名
東京大 3名
東京藝術大 2名
横浜国大 2名
早稲田大 53名
慶應義塾大 37名
上智大 46名
明治大 43名
青山学院大 44名
立教大 54名
法政大 31名
東洋英和女学院大 35名(進学4名)
国公立は2名以上の合格者、私大は30名以上の合格者がいる学校を拾ってみました。
過去5年ほどの大学実績を追ってみましたが、大きくは変わりません。上昇傾向もうかがえませんでしたし、下降傾向もみられませんでした。ただし、年度による変化は大きい印象があります。
慶應・・・56名→27名→37名
早稲田・・・48名→28名→53名
上智・・・57名→26名→46名
これくらいのブレは誤差の範囲ととらえる必要がありそうです。
1学年の人数は約200名です。
そのうちの約4割は併設小学校からの内部進学組です。
附属小学校の生徒80名のうち、30名ほどが附属幼稚園からの内部進学組です。
つまり、中学受験で進学する生徒は120名程度と考えるとよいでしょう。
一般に、付属小からの進学者の学力については、2極分化する傾向があるのです。
小学校入試の選抜方式が、学力を測定するものではないからです。
そのため、中学進学時の学力が、一般入試における東洋英和中の学力レベルをはるかに凌駕する生徒もいる一方、まったく届かない生徒もいることになります。
そのため、大学入試結果の年度によるブレが大きくなるのではないか、これが私の推測です。
ちなみに、東洋英和中の合格偏差値(2月1日)はこのように推移しています(四谷大塚偏差値)
61 ← ← ← 58 ←57 ← 57 ← 56 ← 57 ← 57 ← 55 ← 59 ← 59 ← 58 ← 56 ← 57 ← 54 ← 55 ← 53 ← 54 ← 53 ← 53 ← 55 ← 54 ← 53
きりが無いので、途中をはしょりました。
大きくは変わらないとみていいと思います。
ただ、53の時代から比較すると、今はなかなか難易度が上がったといえるでしょう。
鷗友・頌栄・学習院女子といった学校と同等です。
どう評価する?
ここから先は完全に私の主観です。
したがって「そんな学校じゃありません!」というご批判はどうかご遠慮ください。
あくまでも「私が感じている」印象にすぎませんので。
もし私に小6の娘がいたら、進学させてみたい学校の1つです。
理由は以下のとおりです。
◆伝統校である
私は伝統校が好きなのです。
これは、「良い」「悪い」の判断基準ではなく、たんに「どちらかといえば伝統校のほうが好き」といった低い次元の話にすぎません。
もしかして、私が歴史好きなのも影響しているのかもしれません。
伝統校にはいくつかの利点があることも確かです。
〇教育理念がぶれない
〇保護者・教師に卒業生が多い→安心感
〇知名度が高い(ブランドが確立している)
こんなところでしょうか。
自分の進学した学校が、いつのまにか消滅していたり、共学化したり、校名が変わってしまったり。別に卒業後にその学校がどうなろうが関係ないという考えもありますが、それは少し寂しいと思います。
私の知人に、男子校時代の明大明治出身の方がいるのですが、2008年に共学化してしまいましたからね。「あんな男くさい学校が共学になるなんて、あり得ない!」とショックを受けていました。
娘が充実した6年間をおくり、そして自分の娘をまた進学させたいと思える学校を選びたいと思います。
もちろん、歴史の浅い学校が、消える学校ということではありません。卒業生が自分の子どもを進学させたいと思える学校に成長中なのだと思います。しかし、伝統校は安心感がある、とそういう話なのです。
もっとも、明大明治を例にしてしまいましたからね。明治45年設立の学校まで共学化する時代です。現在の伝統校の将来もわからないことは確かですが。
◆進学校である
大学附属の良さもわかります。たとえば東洋英和から中央大に進学するくらいなら、最初から中大附属に進学すればよい、という考えもあるでしょう。
しかし、中高生活は大学進学だけのためにあるのではありません。大学の可能性を広くしておくのも大切だと思うのです。
学校のレベル相当の、まずまずの合格実績だと思います。
◆英語教育に定評がある
今となっては、英語教育に力を入れていない学校はありませんので、東洋英和ならではの特色ではなくなりましたが、昔から定評があります。
◆活発な子が多い
完全に主観です。
中高時代の友人や、ここの卒業生、そして教え子たち。顔を思いうかべると、活発な子が多かったのです。
「自立した人格」という教育方針のためかもしれません。
たまたまかもしれません。
◆制服が可愛い
これは私の意見ではなく、生徒たちの意見です。昨今、チェックのスカートにジャケットの学校が増殖しましたが、東洋英和と女学館のセーラー服は別格だそうです。
よくわかりませんが、女子にとっては重要テーマなのでしょう。
◆生徒がきちんとしている
こちらの学校の文化祭には中高生時代も含め、何度か足を運んでいます。素の生徒達の印象は悪くなかったですね。
◆ミッション系である
女子伝統校はミッション系が多いですね。
そうした宗教教育を嫌う方もいると思いますが、私は悪くないと思っています。
教育には理念が必要です。
ぶれることのない理念が大切だと思っています。
その理念を捨てて、「大学受験予備校化」してしまった学校も多いですから。
別にキリスト教でなくてもよいのですが、学校には、太い背骨のようなものが必要だと思います。
ミッション系の学校は、ぶれることのない理念を持つ学校が多いのです。もちろん東洋英和もその1つです。
また、欧米の文化を知るためには聖書の知識は欠かせません。
小説を読んでいても、普通に聖書の一節が引用されていることがよくありますね。
欧米キリスト教圏の人の基礎教養・共通認識に聖書があるのです。
しかし、聖書って、つまらないですよね?
私も過去何度もチャレンジしましたが、眠気に常に負けました。
今となっては、あの文字の小ささも障害となっています。
中高6年間だけでも、聖書とキリスト教に触れることは、本当の意味の「グローバル化」につながると思うのです。
東洋英和ではありませんが、ミッション系の学校に進学した教え子が、家族旅行で海外に行った際、現地の教会の日曜礼拝(ミサ?)に参加してみたそうです。
この子はクリスチャンではありません。
「讃美歌が一緒に歌えた!」と喜んでいました。
「讃美歌」といえば、私には苦い思い出があります。
友人の結婚式で、ベストマンというのでしょうか、花婿付添人のような役を頼まれたのです。夫婦ともにクリスチャンで、所属している教会での式でした。
いわゆる結婚式場のチャペルではなく、教会の正統的な式に参列したのは初めてでしたので、いろいろ興味深かったですね。
列席者の大半はクリスチャンではなかったので、その日歌われる予定の讃美歌の抜粋版のリーフレットが配られました。しかし、ベストマンの私には分厚い讃美歌集が渡されたのです。
讃美歌を歌う式次第になったとき、分厚い讃美歌集のどのページを開けばよいのか私にはさっぱりとわからなかったのです。必死に探すのですが見つかりません。皆が声を合わせて歌っているのに、一人だけ冷や汗をかきながら讃美歌のページをめくることになりました。残念なことに、私の席は、一番前の真ん中で、列席者全員が見ている方です。仕方がないので適当なページを開き、あきらかにメロディラインが異なる楽譜を見ながら、口パクで歌う真似だけをする他ありませんでした。
話を戻します。
キリスト教に関する知識は基礎教養だというお話でした。