当たり前の話ですが、親は中学受験のプロではありません。
子育てについても、経験人数が1人~3人程度しかありません。
しかし、わが子と接する時間が最も長い、いわばわが子のプロではあるのです。
今回は、そのことを前提とした中学受験との向き合い方について考えます。
プロフェッショナルの定義
辞書には、「 あるものごとを生計の手段として行なう人。専門家。本職。プロ。⇔アマチュア」とありました。
これだけで十分な気もしますし、不十分な気もします。
もうすこし付け加えるとすれば、「長年の経験に基づく卓越したノウハウとスキルを持ち、それを個人や組織に提供することで生計を立てている専門家」となるでしょうか。
華麗な手さばきで寿司を握る職人や、短時間で狂いなくレンガを積み上げる左官職人等の姿が想起されます。あるいは才能に加え長年の努力で身に着けた音楽で人を感動させる演奏家も思い浮かびます。
さて、私の仕事の世界に話をすすめれば、「卓越したノウハウとスキル」を持っているかどうかは難しいところですが、「長年の経験」があることは事実ですし、「生徒の指導」に長けていることも間違いありません。「生計の手段」であることもその通りです。
だから、プロと名乗る資格はあると思っています。
また、プロとアマの差とは、覚悟の差であるとも考えています。
家庭教師を例にとります。
優秀な学生がアルバイトとして家庭教師をしている場合と、いわゆる「プロ家庭教師」とよばれる、家庭教師を生業としている人間を比べてみましょう。
もしかして前者のほうが学力的には上かもしれません。教え方も上手かもしれません。
しかし、プロ家庭教師は、その仕事で生活をしています。評判が下がれば死活問題です。いつでも「本分は学生だから」という逃げ場がある人とは覚悟が違うのですね。
親は受験のプロではない
これも当たり前のことです。
だから、我々のような「専門家」にいわばアウトソーシングするのです。
しかし、残念ながら、たまに誤解されてしまう方がいるのも事実です。
◆親も中学受験経験者である
◆中高大と優秀であった
◆大学入試も成功している
◆学生時代に家庭教師(or塾講師)のアルバイト経験がある
◆社会で部下に指示することに慣れている
◆入試問題くらい簡単に解ける
こうした場合、子どもの受験勉強くらい簡単に教えられるだろうと勘違いしてしまうのですね。
面談に、独自の入試問題の統計分析や、子どもの成績推移の分析結果のグラフ等を持参してくる方がそのケースに相当します。
また、塾の飛び級をしてみたり、方程式で算数を教えたりもします。
「入試問題を親が解いてみましょう」
いつも私がいうセリフです。
子どもがチャレンジする壁の高さを身をもって知ってほしい、そういう意図なのです。
何も、志望校の入試問題を20年分分析しろ、という意味ではありません。
私の周囲の塾教師達は、みな自分の子どもを塾に通わせています。
自分で教える技量が無いわけではないのです。
プロだからこそ、プロに任せることの大切さを知っているということなのでしょう(単に忙しすぎるというのが理由かもしれません)
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親は子育てのプロではない
これについては反論の声が聞こえてきそうですね。
皆さん、悪戦苦闘しながら子どもと向き合ってきた時間をお持ちですので。
ここで言っている意味は、「子育てのケーススタディの件数が多くない」という意味なのです。
学校の先生も塾の教師も、小学中~高学年の生徒を多数指導してきています。
例えば大手の集団指導塾を想定します。
1クラス20名として、1日に3クラス、60名の生徒を指導します。
もし週に異なる学年やクラスを教えれば、1週間の延指導人数は200名程度にはなるでしょう。
そして毎年新たな生徒を迎え入れるわけですので、10年も続けていれば、ざっと2000名程度の生徒を指導したことになります。
多様なバックボーン・キャラクター・学力の生徒達をそれだけ指導すれば、当然指導スキルは上がります。
「この生徒はこの分野が弱点だが、この子に性格や学力が似ている一昨年のあの生徒もそうだった。あの生徒に指導したのと同じやり方をしてみよう」というように考えることができるのですね。
また受験生を多数指導していれば、同じ中学に合格した生徒の人数も3桁くらいにはすぐなります。
「5年間で東大合格者2名」の高校と、「毎年30人以上東大に合格」する高校では、東大合格に導く教師の持つ有形・無形のノウハウが異なるのも当然だと思います。
「この学年の小学生」の受験指導に特化する限り、親よりも塾教師のほうがノウハウもスキルも豊富ということになります。
例としては適切かどうか微妙ですが、わかりやすい例をあげてみます。
6年生に家庭で過去問演習をさせてみます。
解答用紙を提出させると、模範解答を丸写ししてくる生徒というのが必ずいるものなのです。
記述問題で目立ちます。
語句の順など変えてあったりするのですが、教師もプロですから、すぐに見抜きます。
まあ、小学生なんてそんなものでしょう。それを正しく導くのが仕事です。
最初は生徒本人に注意します。
それでも繰り返される場合には、ご家庭へ連絡をします。
そうすると、こんな反応が返ってくるのです。
「うちの子は自分の力で解いています! 姑息なまねなどいたしません!」
「解答は親が預かっていますので、絶対に見てはいません!」
真向否定です。
子どもを信じるのはとても大切なことですが、これは少し違うと思うのです。
何人もの生徒を指導してきたからこそわかることというものはあるのです。
親はわが子のプロである
親が子どもと向き合ってきた時間の長さには、教師は逆立ちしてもかないません。
教室で見せる顔と、親に見せる顔では、どう考えても後者が素の姿です。
子どもの本当の姿を熟知している親だからこそできる指導・接し方というものがあります。
例えば、こんな例がありました。
教師:A子さんは控え目で真面目ですから、〇〇中学が合うと思うのです。
母親:先生、A子は家では真逆な性格ですよ。本人も〇〇中学よりも活発な子が多い△△中学に行きたいといっています。
教師:B太君は点数をクラスで競うような場面で生き生きとしていますね。〇〇中学なら、そんなB太君の持ち味を伸ばしてくれると思いますよ。
父親:先生、B太は、本当は競争するのが昔から苦手で嫌いなんです。中学校もなるべくのんびりとした大学付属校が本人の希望です。
塾でも学校でも見せない子どもの本心を知っている親だからこそ、わが子の姿をしっかりと見据えて志望校を選ぶことができるのだと思います。