中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

無理をしての進学よりも、成績に余裕をもった学校への進学のほうが良いのか?

 

以下の内容をよく相談されます。

 

「無理してレベルの高い学校にぎりぎりで合格するより、余裕をもって合格できるレベルの学校で成績上位でいるほうがいいですよね?」

この問いは、中学に入学した時点での成績・順位というものは、6年後の大学受験時にも変わらないのだろうか?という問いと重なります。

このことについて考えてみましょう。

 

※あくまでも私の経験則に基づいた私見であり、何のデータの裏付けもないことはあらかじめおことわりしておきます。

1.中学校側の見解

「中学入学時の成績って高校卒業時の成績順に反映していますか?」

何人かの中学校の先生方に直接うかがったことがあります。

答はみな同じです。

「そんなことはありません。」

なるほど、そうなのか。とこれで納得できないのが、業界に長い私の悲しい性です。

第一、学校側がこんな質問にまともに答えるはずもありません。

どんな成績であれ、当校に受かった時点で同じスタートラインですよ。皆で頑張りましょう。」

こういうにきまっていますよね。そうでなければ、学校の教育力というものを自ら否定することになってしまいますから。

また、先生方としても、そこまで計算高くなっているというよりは、実感としてそういう感想をお持ちなのだと思います。

 

2.入学時の成績に関する考察

偏差値ポテンシャル

こんな図を考えてみました。

ある中学校に進学した時点での生徒達を、いくつかのグループに分けてみた図です。

横軸には偏差値の高低を示します。これは単純に中学入試に向けた模試の成績を反映したものと考えてください。

縦軸は、ポテンシャルとおきました。

厳密にはポテンシャルとは未だ発揮されていない潜在力を意味する言葉ですね。

ここでは、顕在化したものも含めて、地頭・ひらめき・頭の回転の速さ・思考力・頭の良さなどをイメージしています。

数値化できず、適切な指標などないけれど、確実にある「何か」を示すのに、他にふさわしい語句が思い当たらなかったので、仮にPotentialという語句を使ってみました。

Aグループ・・・Potentialも偏差値も共に高い集団

このグループが、いわゆる「出来る子」の集団です。高い能力を勉強に向けることで高偏差値をたたき出しているのか、あるいはさほど努力しなくても高偏差値をとれる能力があるのか。

いずれにしても、このAグループの生徒達は、よほどのことがない限り、このままの勢いで大学入試に向けてトップ集団を形成して走り続けます。

鉄緑会」の上位層といえばイメージしやすいでしょうか。

Potentialの高い生徒が、さらに努力することも知っていての高偏差値とすると、まさに無敵です。

また、さほど努力をしなくとも高偏差値だとすると、そのPotentialの高さは脅威です。おそらくは中学入試レベルの問題に対しては、努力する必要すらなかったのでしょう。長年優秀な生徒達を指導していると、何年かに一人、そうした生徒を見ますね。こうした生徒は、中学に進学して高度な学習が始まると、水を得た魚のように勉強を楽しみます。

だいぶ前ですが、そうした生徒が一人いました。麻布から東大に進学した生徒です。彼は、中高校生のときに、海外に頻繁に行っていました。奨学金を得たり、〇〇国際大会のようなものに出場したりして、自分ではお金を一切使っていなかったそうです。てっきりそのままアメリカのIvy Leagueの大学にでも進むのかと思っていたところ、東大を選んだので少し意外でした。

彼曰く「海外は一通り行ったから、もういいかなって。それより今は日本のほうに興味があるから。」だそうです。

行く末恐ろしいとはまさに彼のことだな、としみじみと顔を見たことを思い出しました。

Bグループ・・・Potentialは高いが偏差値は高くない集団

偏差値が高くはないといっても、それでもその学校に進学しているのですから、決して低偏差値ということではありません。合格偏差値はクリアしている前提です。

この集団は、あきらかに努力値が足りない。きちんとした勉強の積み重ねをせずに、potentialの高さ故に合格しています。偏差値的には届いていなかったはずなのに合格できた生徒も多数混ざってます。

それでも合格していますので大したものではあるのですが、前述したAグループにはもっととびぬけた生徒達がいます。

Aグループから刺激を受けて、やがてはトップ集団に行くのか、それともpotentialはpotentialのまま顕在化せずに終わっていまうのか、2種類に分かれることでしょう。

Cグループ・・・Potentialは高くないが偏差値は高い集団

がんばって努力で高偏差値を得て中学に合格した集団です。

この集団がmajority groupです。

教師としては、一番応援したくなる生徒達ですね。

ただし、残念ながらAグループの生徒達にはかないません。

Aグループの生徒というものは、例えば中学の古文の定期試験で、テキストに載っていた枕草子の一節が試験範囲だったとして、

「ついでに枕草子を全部読んじゃったよ。紫式部日記よりは面白かったな。」

というような生徒なのですから。(これは実話として聞きました。)
しかし、努力の価値を知っている生徒達ですから、必死に努力を継続できれば、少なくとも努力をしないBグループの生徒に負けることはないでしょう。2番手集団として6年間を駆け抜ければ、大学進学についても期待が持てると思います。

Potentialは高くなく偏差値も低い集団

図には書きませんでした。この集団はこの中学校には進学できません。

 

3.大学合格実績を見ると

 

例えば開成の大学合格実績を見てみましょう。

大学入試結果 | 開成中学校・高等学校公式サイト

 

東京大学に現役で118名も合格しています。

もう開成に進学しさえすれば6年後は東大間違いないような錯覚を覚えます。

もちろん違います。

表をよく見てみると、「ほんとうにそこが君の行きたい大学だったのかな?」と思ってしまうような大学に、浪人して合格している生徒がパラパラといることに気が付きます。

前述したBグループとCグループの努力を怠った一部の生徒達ですね。

もちろん大学選びは偏差値では決まりません。行きたい学部・教わりたい先生・やりたい研究、こうしたものが優先されます。

とはいうものの、親としては「せっかく開成に行ったのに。」という思いはあるでしょうね。

 

4.結論

無理してレベルの高い学校にぎりぎりで合格するより、余裕をもって合格できるレベルの学校で成績上位でいるほうがいいのか?

 

それは違います。

これが私の出した答です。

その学校にも、その学校を気に入って進学したAグループの生徒が存在します。

余裕を持って進学したつもりでも、トップになれるとは限りません。あるいはAグループになったとして、それがはたして幸せなことなのでしょうか?

「余裕をもって進学」というのはおそらく偏差値を意味していると思います。

つまりBグループにいるよりAグループに入れる学校に進学するということなのですね。

目標とするAグループの存在がBグループの奮起を促すとすると、「余裕を持って」進学という言葉に嫌な予感しか感じません。

 

ただし、こうしたご家庭もありました。

開成を第一志望として勉強していた生徒が、途中で駒東志望に変更しました。

お父様曰く、「息子の頭では、たとえ開成に合格できてもついていけない」という判断を下したそうです。

実はお父様は開成のご出身でした

実体験として開成のレベル(おそらくはAグループ)の凄さを知っていたからこその冷徹な判断です。

その学校の内部の様子を熟知している、つまり卒業生でもないのならば、

進学後の成績などつまらぬことを気にするよりも、合格目指してひたすら努力する

 

これが正しい考え方だと思っています。

学校の選び方については、以下の記事が参考になるのではないでしょうか。

peter-lws.hateblo.jp

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