※この記事の初出は2023.9/30です。それを大幅に加筆修正して2024.9/30にUPDATEしました。
歴史の学習がはじまるころ、誰しもが考えることがあります。
子どもを古墳やお寺に連れていこう。
正しくもあり正しくもない考えです。
今回はそのあたりについて少し書きたいと思います。
そもそも古墳ってつまらない
そうなんです。
そもそも古墳ってつまらないのです。
だって、ただの土の丘ですから。
この後いくつかの写真を載せますが、どれもこれも「こんもりした丘」にしか見えません。
よく教科書や資料集に出てる「大山古墳」の写真がありますね。
巨大で見事な前方後円墳です。
しかし、あの姿を私たちが見ることはできません。鳥じゃないので。
ということは、古墳を実際に見に行くということは、子どもたちの想像力をどこまで刺激できるか、ということにつながるのです。
古墳(土の丘)を前にして、
「ああ、今から1600年以上も前に、ここを支配した権力者がいたんだなあ。いったいどういう人だったんだろう。そして、この古墳の周囲には、きっとその権力者がつくりあげた国があったに違いない。そこで人々はどんな生活をおくっていたんだろうか?」
などと想像をめぐらすことができないとダメなのです。
したがって、古墳を見に連れて行く前には、かならず予習が必要です。
古代のロマンに浸れる状態になってから足を運びましょう。
重要な古墳
中学入試に頻出の古墳がいくつかありますね。
◆大山古墳(仁徳天皇陵)
◆箸墓古墳
◆稲荷山古墳
◆江田船山古墳
◆富雄丸山古墳
意外に少ない気がします。
なにせ全国の古墳の数は約16万基ほどともいわれていますので。
中学入試レベルで死っておく必要があるのはこれくらいということです。
古墳時代は未解明の事柄が多すぎて、入試には出しにくいということもあるのでしょう。
しかも新たな発見があるたびに従来の学説が上書きされることもありますので。
さてこうした古墳から、いくつかピックアップしてみます。
古墳探訪
1.高松塚古墳
まず、この写真をご覧ください。
かの有名な、高松塚古墳です。7世紀末~8世紀初のものとされ、古墳時代の末期のもので、被葬者は特定されていません。
高松塚古墳といえば、1972年の発見当時、極彩色の壁画が残っていたことから大きく話題となりました。「飛鳥美人」などとよばれていましたね。
保存に失敗し、2007年には修復のために石材ごと壁画は取り外されたことも話題となりました。
さて、数年前に私が久々に訪れたときには、社会科見学の小学生らしいグループがいただけで、訪れる人も多くありませんでした。そもそも車を駐める場所も畑の中の空き地に数台分、といったかんじです。
何の予備知識もない小学生がこれを見て、はたしてどんな感想をいだくのでしょう?
ただのつまらない土の小山、そうとしか見えないでしょうね。
もし行くのなら、歴史的な遺跡とそれを後世に伝える意義について考えさせてください。
2.石舞台古墳
では、こちらの古墳はどうでしょうか?
言わずと知れた、石舞台古墳です。
蘇我馬子の墓ともいわれている古墳ですが、ごらんのとおり盛土が失われ、石室がむき出した姿は異様です。むき出しになった巨石を間近で見ると、古墳作りに費やされた労力とそれを動かした権力の強さが感じ取れるでしょう。石室の内部に入って巨石の質量を体感できるというのがいいですよね。こちらは人気のようで、駐車場も整備され、近くにはレストランなどもあり、ゆっくりと古墳散歩を楽しむことができるようになっています。
さて、高松塚古墳も石舞台古墳も国営飛鳥歴史公園として整備された一角にあります。
もし子供を連れて行くのであれば、古墳時代や飛鳥時代の学習を終えてからでなければ意味はありません。
私が石舞台古墳に行ったときにも、先生に引率された小学生のグループが何組もいましたが、石室内部に入った子供は壁に声が反響するのが面白くて奇声を発しているだけでしたし、石室の外の隙間から中の同級生に大声で呼びかける子供もおり、もうカオスです。かれらは古墳見学から何も学ばないことは間違いないですね。
3.さきたま古墳群
実は古墳の旅として一番のおすすめは、埼玉県のさきたま古墳群です。
行田駅からばバスでしかアクセスできませんのでなかなかに行きにくいのですが、車なら東北道か関越でさほど遠くはありません。日帰り古墳旅ができます。有名な稲荷山古墳はもちろん、出土した鉄剣(国宝)も展示されています。また上まで登れる古墳もあり、古代気分?が満喫できます。
周囲は開発から取り残されたような農村地帯ですので、古墳の上に登って周囲を見回すと、古代い思いを馳せるのに絶好のロケーションなのです。
1968年には稲荷山古墳から鉄剣が出土していたのですが、錆で覆われ、文字の存在が明らかになったのは10年後のx線検査のときでした。その文字の解読から、大和政権の勢力が埼玉まで届いていたこと、そして今まで読めなかった熊本県の江田船山古墳の鉄剣の文字も解読でき、そこまで勢力範囲であったことが証拠づけられたのです。二つの鉄剣に刻まれていた文字に「ワカタケル大王」があり、これが日本書紀の雄略天皇、そして宋書倭国伝の倭王「武」であることがわかりました。こうして日本の古墳、日本書紀、中国の歴史書がつながったのです。歴史好きにはワクワクする話なのですが、私がいくら熱をこめて語っても生徒の反応は今ひとつなのが残念です。ぜひ稲荷山古墳には足を運んでほしいと思います。
ところで、行田市を訪れたら、「行田で生産量が全国一のものといえば?」というクイズをぜひ出してみてください。
答は「足袋」ですね。
享保年間には生産されていたそうですが、戦前には全国の8割の生産量を誇りました。和装文化が廃れつつある今、「足袋」を知らない生徒も増えています。
そもそも漢字が読めるかな?
4.近所の古墳
例えばこれは世田谷区のHPで見つけた「野毛大塚古墳」という、なかなか立派な古墳です。場所は等々力渓谷のすぐ横、環八から第三京浜に乗る入口あたりですね。
◆稲荷前古墳
こちらは横浜市のHPで紹介されている、「稲荷前古墳群」です。埼玉県の稲荷山古墳とは関係ありません。ここには10基もの古墳が集まっています。
◆芝丸山古墳
港区には、都内最大の古墳があります。全長112mもあります。
こんなに立派なものではなくても、意外と近所の歩いていける範囲にも古墳はあるものです。