※この記事の初出は2023.10.14です。2024.09.27に加筆修正しUPDATEしました。
中学受験のための塾には、いつ頃から入れればいいのでしょうか。
よくご相談される内容です。
これに対する正解とその理由を2回に分けてご説明します。
※今回は、塾に入ることが前提の話題となっています。
結論:入塾のタイミングは小学3年生の冬がベスト
入塾のベストのタイミングについては結論は出ています。
それは、3年の冬期講習からです。
これから、私がこのタイミングをお薦めする理由を説明していきます。
1.理由その1・・・カリキュラムの問題
塾のカリキュラムというのは、もちろん塾によってさまざまですが、そんなに大きな違いがあるわけではありません。
受験のXデーというものは決まっています。
小6の2月1日です。
この日が東京・神奈川の入試解禁日ですので、私立中学の入試が一斉に始まるのです。
もちろん、一部中学校では、あえて激戦の2月1日を避けて2日以降に入試をスタートさせる学校(豊島岡・栄光・聖光等)もあります。
しかし、いずれにしても、2月1日が入試がはじまる日と考えます。
※千葉・埼玉等、東京・神奈川以外の地域では1月から入試を始めます。これらの地域の学校を志望する生徒にとっては、そこがXデーです。
その2月1日から逆算して受験のためのカリキュラムが組まれていくのです。
社会科を例としてご説明します。
社会科で学ぶのは、日本地理・日本史・公民の3分野です。
これに加えて、3分野に分けにくい内容が加わります。例をあげると、環境問題・南北問題・少子高齢化問題・食料問題・時事問題・日本の伝統文化等ですね。実はこうした分野の出題が年々増えているのですが、それについてはいずれ詳しく書こうと思います。
入試問題の演習には最低でも半年は必要です。
そうすると、6年生の夏休みに入るタイミングが、入試問題演習のスタートとなります。
そして公民分野の学習には3か月ほどはかかります。4月スタートでしょうか。
そして歴史の学習は、やはり半年程度必要です。しかし、歴史のように流れに沿って学ぶ教科は、先へ進むにつれて前に学んだことをどんどん忘れていってしまう性質があります。昭和を学んでいるころには、平安時代はすっかり抜けてしまうのですね。そこで、角度を変えながら2周する必要があるでしょう。
5年生の9月か、あるいは夏休みくらいから歴史学習をスタートすることになるのです。
そして地理。ここをきちんと学ばないと、その後の社会の学習が崩れてしまいます。入試問題演習を始めて、社会科で得点できない生徒の大半が、地理が穴だらけなのです。
そこで地理の学習には、角度を変えながら最低でも3周、それも徐々に難易度をあげながらの学習が必要です。
たとえば、まずは基本的な地名や気候、そしてそこでの生活の様子について学ぶ、次に農業・工業といった産業別に学ぶ、次に地方別に知識を整理していく、そして、、、という具合ですね。これには1年では足りません。1年半は必要でしょう。
こうのように考えていくと、どうしても学習カリキュラムのスタートは、4年生になる4月となるのです。
これはどこの塾も同じように考えていますので、塾によるカリキュラムの差は大同小異で、大半の塾で4年生の4月に受験用のカリキュラムがスタートするのです。
2.低学年の扱い
どの塾も、今や1年生からの通塾が当たり前のように設定されるようになりました。
昔には、中受の勉強スタートは小5からといった時代があったのです。
その後小4からの通塾が当たり前になってきました。この小4からのスタートが、長い間中学受験塾へ通うタイミングとしてのスタンダードでした。
それが、いつしか小学3年から始める塾が出始め、気が付いたら幼稚園の年長の冬あたりから中学受験塾が生徒を受け入れるようにもなってしまったのです。
理由は簡単です。
他塾よりも少しでも先に生徒を確保したいからです。
つまり低学年の授業は、「中学受験にとって必要だから」という理由ではなく、生徒獲得を目的として始まったのですね。
したがって、高学年(4年~)とは異なり、低学年のカリキュラムに標準モデルは存在しません。
「この時期に絶対にこれをやっておかなければ中学受験に間に合わない!」といったものではないのです。
3.塾同士の思惑
また、競合関係にある塾同士の思惑というものもあります。
例えば、A塾とB塾がライバルだったとします。
お互いに生徒を奪い合うような関係です。
もしA塾のカリキュラムがB塾より早かったとしたらどうでしょうか。A塾の模試をB塾の生徒が受験すれば、あきらかに不利となります。そうしてA塾はB塾に対する優位性をアピールできるわけです。しかし、もしB塾からA塾に転塾すると、A塾はすでにカリキュラムが先に進んでいるため、習っていない穴ができてしまいます。そのためB塾→A塾へと転塾しづらくなってしまうのです。
ある塾の先生に聞きました。
その塾では、従来は歴史カリキュラムを「1周」だけとしていたそうです。
つまり、5年生の9月から、先土器時代の授業が始まり、少しずつ丁寧に歴史を学んでいきます。フィニッシュは4月。そこでやっと現代史の授業が終了する、そういうカリキュラムでした。
しかし問題が発生します。
その塾は、合格実績が良かったので、そこに惹かれて5年~6年生にかけて他塾から移ってくる生徒が多かったそうです。しかも教室数がとても少ないので、低学年のうちは近所の塾に通い、6年生から移ってくる、そうした生徒が多かったのです。
そうすると、困った問題が起きました。
例えば明治時代の授業をしようとして、まだ室町時代までしか他塾で習っていない生徒や、すでに昭和まで終わっている生徒などが混在してしまうのですね。
すでに終わっているのならましですが、ぽっかりと江戸時代の穴が開いている生徒は、それを補うことができません。
そこで考えた結果、歴史のカリキュラムを2.5周するスタイルに変えたそうです。
それなら、途中から転塾してきた生徒に対応できますので。
もっとも授業はつまらなくなったそうです。駆け足で何周もする歴史の授業のため、エピソードや歴史人物、背後の関連する世界史等について語る時間は全くなくなってしまったと嘆いていました。
このようにお互いに考えていくと、結局カリキュラムの進度には大差がない状況が生まれるのです。
その昔、四谷大塚の「「合不合判定テスト」が受験校決定のスタンダートだった時代の噂話を思い出しました。20年以上も前でしょうかね。
四谷大塚準拠塾・提携塾以外の塾の生徒もこぞって「合不合判定テスト」を受験しました。SAPIXもそうした塾の一つでした。しかし、SAPIXを始めとした他塾の優秀層がこのテストを受けにくると、データが荒れるのです。
それも四谷大塚内部の生徒に不利な方へ荒れるのです。
そこで対策として、他塾の生徒がまだ習っていない範囲を出題するようにしたそうです。四谷大塚ほどの大手塾がそんな姑息なことをするとは思えませんが、そんな噂を聞いたことがあります。
いずれにしても、乱立する各塾がそれぞれの思惑でカリキュラムを作っていくと、結果としてはさほど差がなくなってくる、そういうことなのですね。
そこで、4年の春というのが、どの塾も生徒獲得の一番大事なタイミングとなるわけです。
最近は低学年からの入塾が増えているとはいえ、やはり4年の春、具体的には4月から本格的なカリキュラム進行がスタートしますので、ここで生徒を揃えておきたいのです。
しかし、問題があります。
それは、入試の時期が2月だということですね。どの塾であったとしても、2月に入って一週間もすれば入試が終了し、6年生たちが卒塾していきます。
したがって、塾における新学年スタートは、実は2月なのですね。
そのギャップを埋めるため、どの塾でも2月・3月の2か月間は、受験カリキュラムを進行させずに、今までの総復習的な内容であったり、総合的な学習内容であったりと、工夫をこらしたカリキュラムとなります。また、生徒獲得の大事な時期なので、なるべく魅力的な授業を工夫しようとします。
逆に言えば、ここでの授業がつまらないようでは、その塾はやめた方がいい、ということもいえるでしょう。
また、4月に入ってからではすでに生徒の大半は他の塾に取られてしまっていますので、少しでも早く自分の塾に生徒を囲い込みたい、そういう思惑も働きます。
ということは、4年生になる直前、2月か3月、春期講習あたりがベストのタイミングだということになりそうですが、私はもう少し早い入塾、3年生の冬期講習からのタイミングをおすすめしています。
それにはいくつかの理由があるのですが、長くなりそうなので、続きは稿をあらためます。