生徒たちと話をしていて気づいたことがあります。
最近の子どもたちは、買い物をしないのですね。しかし、買い物というのは、子供たちがはじめて「資本主義」を学ぶ重要な機会です。今回はそのことについて書いてみたいと思います。
※この記事の初出は2023.10.01です。2024.10.01に加筆修正しUPDATEしました。
1.中学入試問題
だいぶ昔の問題ですので、学校名を忘れてしまいました。しかし印象に残っている問題があるのです。
「スーパーマーケットでは、通常は同一商品を横に並べて陳列する。その方が人間の視覚の特性上目立つため、商品を手に取ってもらいやすくなる、つまり売り上げが向上するからである。ところが、オーストラリアのとあるスーパーーでは、同一の商品を縦に並べて陳列している。売上が落ちるこのような陳列方法をとる理由について説明せよ。」
うろ覚えで恐縮ですが、こうした記述問題でした。
みなさんは答がわかりますか?
正解は「ノーマライゼーション」です。
スーパーマーケットでの買い物の醍醐味は、自由に商品を手にとって比べながら買い物ができることにあります。とくに買う気が無い物でも、「へえ、こんな便利な物があるんだ」「これ美味しそうだな。今日はいいけど、今度買ってみよう」などと歩き回るのが楽しいのです。しかし、車いすの方はそうもいきません。手にとってみたい商品が手の届かない高い棚に横に陳列されていると、他の人のヘルプがなければ手にとることができないのです。店員に手伝って取ってもらったとして、「やっぱりこれはいいです」と戻すのにも手伝いが必要です。それでは買い物を楽しむことができないですよね。
このオーストラリアのスーパーの陳列方法なら、小柄な人も子供も車いすの人も、自由に商品を手に取って買い物を楽しむことができるのです。まさに「ノーマライゼーション」です。
ある授業で、この話をするための前振りとして、「みんなスーパーマーケットの商品の陳列方法にはいくつか工夫があるのだが、それは何かわかるかな?」と質問してみたときのことです。
「買い物行かないからわかんない!」と返ってきたのですね。
もしかしてこれは由々しき事態かもしれません。
その他にも、町の略地図からコンビニ・スーパーマーケットの分布を選ぶ問題であったり、コンビニの業態についての選択肢であったり、さらにはお米の価格を聞かれたりする問題など、入試問題には様々な問題が出題されているのです。
こうした問題は、塾で教えてもらう問題ではないと思います。
一般常識というか、日ごろの生活体験から自然に学ぶ事柄なのですね。
なぜこうした問題を中学校が出題するかについては、私はこう推理しています。
中学校の社会科の先生が授業をしていると、生徒達が驚くほど非常識(というより無常識)であることに危機感を覚えているのでしょう。
だから、「これくらいは当然知っていてよね!」という問題を混ぜてくるのだと思います。
同じ系統の出題として、日本の伝統行事や年中行事、あるいは食卓の皿の位置関係を答える問題なども出題されました。
はっきりいって、意地が悪い。
しかし入試は「点数をとらせる」と同時に「点数を落とさせる」テストですから。
大人達が、「子どもでも知っていて当然」と思える常識問題が要注意なのです。
2.買い物体験は楽しい
私は買い物が好きです。買い物といっても、ブランドショップや服飾品には興味はありません。スーパーマーケットや地元系の食品を扱うお店をのぞくのが大好きなのです。
アメリカに行けば、広大な駐車場つきの巨大なスーパーで大型のショッピングカートに商品を山積みにして買い物をしている地元客の様子を見るのもおもしろいですし、売られている商品がいかにもなかんじで楽しいですね。
TV dinner(TVディナー)とよばれるジャンルの冷凍食品が並んだ様など、アメリカの食生活の一端がうかがえてわくわくします。テレビを見ながら簡単に食べるというネーミングだと思います。日本式に言ってしまえば「冷凍弁当」ということなんでしょうかね。でも弁当とは何かが違う、B級感が溢れています。Hungry-Man(ハングリーマン)という商品なんて、ネーミングからして期待が高まります。もっとも期待外れでしたが。これも含めて過去にいくつも食べてみましたが、正直どれも美味しくはないです。塩気も強く、体には良くなさそうな気がします。食べ終わった後に、納得のいかない満腹感となるのも「なんだかなあ」という感じですね。手間と味のバランスを思い切り前者に振ったことが確かめられるというのも、経験の一つです。
一方、オーガニック系というかナチュラル系というか、そうしたスーパーもよく見かけるのがアメリカの面白いところですね。Trader Joe’s( トレーダージョーズ)とか、Sprouts Farmers Market(スプラウト ファーマーズ マーケット )とかいろいろあります。個人的にはWhole Foods Market( ホールフーズ マーケット)が好きですね。ここのお惣菜コーナーはいつ行っても楽しくて美味しいのでつい買い過ぎてしまいます。イートインコーナーもありますし、焼き野菜とサーモンなど買って帰って冷やした白ワインを開ければ、部屋で充実したディナーが楽しめます。
フランスだと、Carrefour(カルフール)がありますね。でも私のお気に入りはMonoprix(モノプリ)です。どこにでもありますし、パリ市内でもそこら中で見かけますので、ちょいと水を買ったり、お土産のエシレバターを買ったりするのに非常に便利です。私はこのエシレバターを持ち帰るためだけに、パリに行くときにはスーツケースに保冷バッグを入れていきました。
ドイツでは、地元の名もなき小さなスーパーにしっかり「寿司コーナー」があったり、5月だとホワイトアスパラが売られていたりと、地元の食文化がうかがえます。この旬のホワイトアスパラをシンプルなレモンバターソースでいただいたときには、ホワイトアスパラに対する偏見(なんだか味もない変な野菜)が覆りましたね。
ベトナムのスーパーでは、生きたカエルが売られていました。これ、買って帰って調理するのですよね?
何も海外に行かなくても、国内であっても、旅先の小さなスーパーなどのぞくと、都内では目にしない食材がありますし、意外な美味しい物にも出会えます。長崎のスーパーでは、長崎ちゃんぽんの麺やスープが豊富に売られているのは当然としても、ちゃんぽん・皿うどんになぜか必ず入っているピンク色と緑色のかまぼこが売られていて、思わず買ってしまいました。
自宅近所のスーパーであっても、もしかして「地場野菜」のコーナーがあるかもしれません。旬の野菜を知ることもできるでしょう。
3.買い物体験は社会科学習のネタの宝庫
〇スーパーの商品の陳列に法則性があるが、それはどういうものか。
〇そのような陳列法となっているのはなぜか。
〇牛肉売り場には、同じ牛肉でも値段の異なるものが数種類ある。それぞれどのような肉で、どうしてこういう価格になっているのか。
〇陳列棚の上のほうの手の届かぬところの商品は、誰にとっても買いにくいはずなのに、なぜそこに陳列してあるのか。
〇同じ野菜でも、異なる価格のものが複数あるが、それらはどのような産地のものなのか。
〇お惣菜コーナーに行くと、小分けしたお惣菜が多くみられるが、それは何を意味しているのか。
〇レジでの支払い方法は複数あるが、どの支払い方法が一番多く選ばれているのか。
〇高いコメと安いコメの違いとは。
〇日本のスーパーと海外のスーパーの相違点と共通点とは?
〇コンビニはなぜ狭い店舗なのに必要だと思うものが全て揃っているのだろうか。
まだまだ挙げだすとキリがありませんね。
もし私が生徒を引き連れてスーパーにでも行けば、何時間でもエンドレスで思考力系社会科の授業をする自信があります。迷惑だから実際にはできませんが。
せっかくの学習機会を活用しないのはもったいないと思います。
4.買い物にいかない理由
そんなわけで、よく授業中に、スーパーマーケットでの買い物を題材として取り上げることが多いのですね。しかし、どうにも反応が薄いなあ、と思ってよくよく聞いてみると、ほとんどの生徒が買い物をしたことがないことが判明しました。
◆親に買い物を頼まれない
まず、買い物を頼まれなくなった、これはわかります。現に、スーパーに行っても、小学生が一人で買い物をしている姿など見かけませんからね。
「小学生が一人で買い物に行くのは危ない!」というデンジャラスな地域に住んでいるならともかく、日本ですからね。そこまで危険な地域はない(たぶん)と思います。
そういえば、アメリカのスーパーでも子どもの買い物姿は見かけません。というより、あり得ないのです。
まず車社会のアメリカでは、スーパーには歩いていけません。一度シカゴのホテル近くのスーパーに行こうとして、車を出すのが面倒だったので歩いて向かったのですが、激しく後悔しました。距離にして数百メートル、ほとんど見えているのです。しかし、交通量の激しい大通り、信号があっても不安です。また、歩道を誰一人歩いていないのです。歩道には雑草が繁茂しています。つまり、そもそも歩道を使う人が全くいない証拠です。アメリカに限りませんが、地元の人がしない行動をとらないことが安全確保の鉄則です。似合いもしない真新しいハットをかぶり腰にはウェストポーチ(信じられませんが、いまだにいるのです)、そこから長財布を取り出して会計している姿など見かけると、他人事ながらハラハラします。 今歩道を歩いている自分は目立っているだろうな。昼間でもドキドキしました。
しかし、日本ですから、車を使わないでスーパーに行くのは問題ありません。治安も大丈夫でしょう。
子供をひきつれて 買い物をしているお母さんというものも、昔より減っていると思います。少なくとも、私が教えているような小学生(高学年、中受を頑張っている層)はまず見かけません。受験勉強には縁遠そうな(失礼!)子供たちが走り回っているのを見かけるばかりです。
理由は簡単です。受験生は忙しいのです。今時の小学生は時間がないのです。親の買い物に付き合っているような暇はありませんし、親も子どもに買い物を頼みません。
かくして、買い物の経験が無い小学生が生まれているのですね。それでは、私の講義での買い物ネタに反応が薄いのも道理です。
これが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。しかし、社会生活の体験の入口としての買い物体験、必要なのだと思うのですよね。たまには、社会勉強の一環としても、お子さんを買い物に連れていってみてはいかがでしょうか。(ただし、洋服選びに付き合わせるのは賛成できかねます。こう言っては失礼ですが、無限の時間がかかりそうですから。)
※ニュータウンと呼ばれるような新興住宅地にあるショッピングモールを休日に歩いていると、小6の男女のグループをよく見かけますね。男女3人ずつくらいで、フードコートなどに溜まっています。女子達は、いちおう目いっぱいおしゃれしているのが笑えます。男女交際の第一歩という感じで微笑ましいですね。しかし、断言できますが、この子たちは中学受験組ではありません。休日の彼らは、塾か家のどちらかで机に向かっていますので。
ということは、もしかして子どもたちが買い物に行けないのは中学受験のせい?
5.商店街を知らない子ども
これは住んでいるエリアにもよるでしょう。
しかし、全国的な傾向として、いわゆる町の「商店街」が消滅しつつあるのです。
よく「シャッター通り」などと話題になるのも、こうした商店街のことですね。
私の指導してきた生徒たちの多くは、「こぎれいな住宅地」の「高級マンション」に住んでいます。そうした町には、昔ながらの「商店街」というものがそもそも無いのです。
日ごろの買い物は大型スーパー(それだって子どもは同行していない)、たまにクルマでコストコでまとめ買い。
そんな生徒たちに、シャッター通りの話をしたところで反応が薄いのも道理です。
教え子の一人が、中学生になって初めて商店街を知ったそうです。指導を受けることになったピアノの先生の家が、都内でも活気ある商店街を抜けたところだったのですね。
毎週商店街を通るたびに、焼き鳥の匂いや揚げたてコロッケの匂いの誘惑に負けそうになると楽しそうに報告してくれました。「俺、来週は絶対帰りに焼き鳥買って帰る!」と謎の気合を見せていたのが笑えます。
おそらく彼にとって、焼き鳥屋の煙の向こうのおじさんから買うという行為が、それだけで小さな冒険なのだと思います。なにせコンビニくらいしか知らないのですから。
別に昭和のノスタルジーの話をするつもりではありません。
大人にとっての「当たり前」が子どもたちの「当たり前」ではなくなってきているという現実を認識しないといけないという話なのです。