中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

リベラルアーツのすすめ



今回は、前回に引き続き、教養について考えてみたいと思います。

peter-lws.hateblo.jp

 

1.リベラルアーツとは

リベラルアーツliberal arts)は、日本では「一般教養」と訳されています。そう聞くと、「ああ、パンキョウね!」と思い当たりますよね。ところで皆さんは「パンキョウ」、お好きでしたか? 学びたくもなく興味もない科目を無理やり取らされた嫌な思い出ですか? それとも、興味の新たな地平が切り開かれる科目でしたか?

周囲に聞いてみると、どうも前者の人が多いような気がします。単位取得のためになるべく単位が取りやすい科目を選択しただけだった、そういうことのようですね。

リベラルアーツを「一般教養」と訳すのはどうも違和感があります。そもそも語句の意味が全く呼応していません。

liberal・・・自由主義進歩主義

arts・・・・芸術、美術・音楽・文学など人間の想像力を用いて表現する

ラテン語までさかのぼると、liberal artsは「解放する作法」とでもなりましょうか。ギリシャやローマでは古代、「自由7科」とよばれる分野が重んじられたといいます。自由7科とは、文法・修辞・弁証・算術・幾何・天文・音楽だそうですね。イメージとしては、「自由人として生きるための学問」ということになります。この時代の「自由人」とは「奴隷でない者」を意味しますので、人間が様々な「くびき」から解放されるためには重要だったのです。

そういえば、ずいぶん昔のことになりますが、アメリカのとある大学で、そこの女子学生に「あなたの宗教は?」と尋ねられたことがありました。日本においては他人の宗教を詮索するのは無作法とされていますので、ちょっとびっくりしたことを覚えています。思わず正直に「無い」と答えてしまったのですが、そのとき女子学生の私を見る目つきが急に変わったのです。後になってから、欧米のキリスト教圏においては、宗教は人と獣を区別するものだと知りました。あの目は、蔑み・哀れみの目だったのですね。よく考えてみれば先祖の墓も寺にあるのですから、”I am Buddhist.”とでも答えておけばよかったのです。

閑話休題、幾何や天文を学んだところで実生活には何の役にもたちませんし、お金を稼ぐこともできません。でも、何か豊かな気分になりそうですよね。リベラルアーツは、人を一段高い次元へと押し上げてくれる、人生を豊かにする大切なものなのです。

ヴァチカンで見たラファエロアテナイの学堂」を思い出しました。学問、それも実生活には役立たない学問について真剣に議論する様子が描かれていましたね。

 

2.リベラルアーツを学べる大学

 ICU

何と言ってもICUですね。

そもそもICUは日本唯一のリベラルアーツカレッジとして創立されたのですから。ICUのHPにはこうあります。

リベラルアーツとは、あなたが手に入れる知識の何かではありません。
新しい知識を得る、そのあなた自身が成長し変貌することです。
ICUの4年間で、あなたは新たな自分を創造し、他者を発見します。
このわくわくする体験を与えてくれるのが、ICUリベラルアーツなのです。
文系、理系の区別なく幅広い知識を得た後に、専門性を深めることで、豊富な知識に裏打ちされた創造的な発想力を養ってください。

www.icu.ac.jp

広大で緑豊かなキャンパスがうらやましいです。都内私大では、法政大学多摩キャンパスに次いで2番目の広さを誇ります。ちなみに東大の本郷キャンパスよりも広く、駒場キャンパスの1.8倍ですね。

まあ、国立大学は敷地は贅沢に広いところばかりですので比較にはなりませんが。

 

 東京大学

良く知られているように、東京大学は入学してからの2年間を駒場キャンパスで教養を学ぶ基幹と位置付けています。アドミッションポリシーにはこうあります。

前期課程における教養教育(リベラル・アーツ教育)から可能な限り多くを学び、広範で深い教養とさらに豊かな人間性を培うことが要求されます。この教養教育において、どの専門分野でも必要とされる基礎的な知識と学術的な方法が身につくとともに、自分の進むべき専門分野が何であるのかを見極める力が養われるはずです。

www.u-tokyo.ac.jp

東京大学を選ぶ学生の4割以上が、入学後に学部を決められる点に魅力を感じたそうです。

しかし、この制度=進学振り分け(進振り)がリベラルアーツの本筋から逸れるベクトルをも生み出します。

東大新聞の記事にはこうあります。

 前期教養課程とセットであるのが後期課程で進む学部・学科を選ぶ進学選択制度だ。後期課程の各学部・学科がどの科類から何人受け入れるかは決まっており、前期教養課程の成績・志望順位を基に内定者が決められる。そのため、志望の学部・学科に進学すべく、興味関心がある授業よりも点数を取りやすいとされる授業を履修する学生は少なくない

さらに東大新聞のアンケートにはこうありました。

 

Q:進学選択時の点数に響きそうという理由で、興味がある授業の履修を取りやめたことはありますか?
  取りやめたことがある・・・39.3%
  取りやめようかと考えたことがある・・・30.6%
  取りやめたことも、考えたこともない・・・30.1%

7割の学生が、興味よりも得点を優先する傾向があるというのですね。学生の間でも、どうやったら高得点をとって進振りを有利に進められるかのノウハウが行きかっています。

これは仕方のない話でしょう。4年間の大学生活のその先には実社会が待っているわけですから、なんとしても希望する学部に入りたいと考えるのは無理もありません。リベラルアーツだの教養だの言っている場合ではなくなってしまうのです。

 

しかし東大にはリベラルアーツの牙城たる学部があります。教養学部です。

つまり、東大に進学すると、最初の2年間は駒場教養学部に所属する、そういうことですね。その後進振りによって本郷キャンパスの学部に分かれていくわけですが、そのまま駒場教養学部に残ることもできます。

教養学部では、言語情報科学、超域文化科学、地域文化研究、国際社会科学、広域科学といった学科が専攻できます。

いいですねえ。リベラルアーツの匂いが横溢しています。

もし生まれ変われるなら、次はICUと思っていましたが、東大教養学部も素敵です。

 

 秋田国際教養大学

今から20年前に設立された大学ですね。学年150名程度の地方の単科大学ですが、名前をよく聞く大学です。

web.aiu.ac.jp

〇授業は全て英語

〇1年間の海外留学が義務

〇1年次の寮生活が義務

〇1/4が留学生

〇9割の学生が学生寮

〇1流企業への就学率が高い

このような特徴があります。秋田の地にありながらグローバルな大学として注目を集め、たちまち人気校となりました。

ただ、大学名に「教養」とあるので一瞬期待したのですが、この大学は私のイメージするリベラルアーツとは少々方向性が異なような気がします。

国際教養大学は、「国際教養教育」を教学理念に掲げ、グローバル社会におけるリーダーを育成することを使命とする。

国際教養教育は、世界の広範な事象に関する幅広い知識と深い理解、物事の本質を見抜く洞察力や思考力、これらの上に築かれたグローバルな視野とともに、英語をはじめとする外国語の卓越したコミュニケーション能力を涵養する。

どうも、多文化共生・英語力を武器としてグローバル社会でリーダーになる人材を育成する、そういう方向性だと思われるのです。「人として解放される」リベラルアーツの概念とはちょっと違いますよね?

しかしながら、とても魅力的な大学であることには間違いありません。日本にありながら日本の教育のしがらみと無縁な感じがするのが素敵です。生まれ変わったら通いたい大学の一つです。

 

 山梨学院大学(国際リベラルアーツ学部)

リベラルアーツ教育によって高い英語力だけでなく、
多角的な教養を修得。授業のほとんどを英語で行い、
国際社会で活躍できる学生の育成にさらなる力を注いでいます。
グローバルな思考と行動力を併せ持つ、真の国際人を目指します。

国際リベラルアーツ学部のHPにはこうありました。

www.icla.ygu.ac.jp

この大学のこの学部だけ目標が異なるようですね。

学生の8割が留学生で占められ、寮生活を通じて多文化理解が深まる、国内にいながらにして留学のような環境を謳っています。

 

この他、「教養」「リベラルアーツ」を冠した大学・学部はたくさんあります。しかし、それを持ってして「リベラルアーツ復権」ととらえるのは尚早です。

 

3.教養とは?

ここで、日本の大学のリベラルアーツ教育について私の感じる違和感がわかりました。

「英語」「グローバル化」と結びつけ強調するから焦点がぼやけるのですね。

もちろんグローバル化する社会の中で英語は重要な「教養」です。

「教養」? ここですでに語句の使い方がひっかかってきます。

そもそも「教養」って何でしょう?

国際社会で活躍するグローバルリーダー育成に必要な「教養」としての英語、こう位置づけるならここでの「教養」は手段でしかありません。さすがに手段=教養と考えることはできません。

寿司職人を目指すなら魚の目利きとさばき方・握り方等が大切なスキルですが、それを教養とはよびません。

弁護士を目指すなら、法律や判例についての知識は必須ですが、やはりこれも教養ではありません。

「教養」とは、今すぐに実社会で役立つスキルではないはずですしね。

私の知人に、長年書道を学んでいる方がいます。書を入口として、古典文学の世界、崩し字の判読から古文書の解読、歴史の探求と興味・好奇心の幅を広げています。実生活にはまるで役立たない(年賀状を書くときくらい)教養ですが、実に充実した日々を送られています。英語やグローバル化と無縁であっても、教養を深めることはできると思うのです。