中学入試の得点力向上に読書は不要
読書は大事です。
みなが口をそろえてそう言いますよね。
私もいつも、生徒や保護者に向かってそう話します。
とくに中学受験が終わり、これから中学校に進学する生徒たちには、どんな本をどれだけ読むべきなのか、いろいろお話します。
しかし、中学受験の合格、この1点のみに絞った場合、はたして読書は必要なのでしょうか?
じつは結論は出ています。
中学受験の合格、つまり国語での得点力向上のためには、読書は不要です。正確にいうと、回り道すぎます。
読書の目的として、「国語の得点力を上げる」ということ自体が大きく間違っています。目的が間違っている以上、当然結果も伴いません。
「国語が得意な生徒は本好きが多い」
これが正解です。しかも、あくまでも「多い」だけであって、本好き=国語が得意、でないことに注意してください。
「知能の高い人間はバッハが好きな者が多い」
こんなことを聞いたことがあります。もちろん、「バッハを聞けば知能が上がる」はずもありませんよね。
1.中学入試の国語で求められるのもの
①漢字の知識
②文法の知識
③ことわざ・慣用表現の知識
④読解力
⑤解答のスキル
①~③については、本来ならば豊富な読書体験から身に着けるべきなのでしょうが、現実的ではありません。
みなさんが英語を学んだときのことを思い出してみてください。文章を読みながら単語力を向上させるのが理想的なのはわかっていても、実際にはそれでは間に合いません。英単語集のようなものの暗記が必須でしたよね。同じことだと思います。国語の知識系については、良い参考書類が豊富にありますので、それらを利用して暗記していくのが最も効率がよい学習法です。
では、④の読解力についてはどうでしょうか。
中学入試で扱われる文章は、大きく分けて2種類です。物語文と論説文です。小学生の読書に論説文は入っていないでしょう。つまり論説文の読解力は、読書体験でばカバーできません。物語文についてはどうでしょうか。
入試でよく扱われるのは、小学高学年~中学生くらいの主人公が、壁にぶつかり・悩み、そして成長していく、そんなストーリーです。そうした読書が大好物なら、それはそれでよいでしょう。しかし、中学入試で出てくる物語文は、そうしたものだけとは限りません。時代背景が戦争中であったり、主人公が中年男性であったり、家庭環境が複雑であったり、普通の受験生がとても感情移入できないような物語もよく見かけます。なかには、主人公が団地の屋上でキリンを飼う話であるとか、海に入ってウミガメになってしまう話であるとか、感情移入しようもないファンタジーすら題材となっています。つまり、読書体験だけではカバーできないような物語が多く出題されているのです。
こうした物語文の読解は、系統だてて論理的に進める必要があります。これは読書では身につかないスキルなのです。
⑤の解答のスキル、これはもちろん問題演習を大量にこなすことで初めて身に着くスキルです。
こうして考えていくと、読書が中学入試の国語の読解には直結しない理由がおわかりいただけるでしょうか。
もちろん、読書が時間の無駄だといっているのではありません。得点力向上と読書は別物である、そう認識する必要があるのですね。
読書が入試に役立つ場合
ずばり申し上げます。
それは、入試本番で国語の問題を開いたときに、「あ、この本、読んだことある!」となる場合です。
中学入試の国語の問題として人気の本というものがあります。重松清が代表的なものですが、さすがにもう飽きられたのか、あまり見かけなくはなりました。
その他に良く出題されている作家を少しあげてみます。
青木 和雄 / 朝井 リョウ / あさのあつこ / 朝比奈 あすか / 阿部 夏丸 /伊集院 静 / 江國 香織 / 小川 洋子 / 恩田 陸 / 佐藤 多佳子 / 相沢 沙呼 / 角田 光代 / 瀬尾 まいこ / 辻村 深月 / 梨木 香歩 / 宮下 奈都 / 森 絵都 / 寺地はるな
どの作家の本も、「入試に出るから」という不純(?)な動機で読むのはもったいない良書ばかりです。
そして、もし万が一、読んだ本が入試に出たら、それはとてもラッキーなことなのです。
例をあげて説明しますね。
もう何年か前のことなのですが、とある受験生に国語の入試問題の解説を頼まれたときのことです。問題は、恩田陸の「蜜蜂と遠雷」から出題されていました。2016年に直木賞をとった本ですね。その後映画化もされましたので、読んだ方・ご覧になった方も多いと思います。
ピアノを少々嗜む私としても、とても面白く読みました。
さて、この生徒はこの本は読んだことがありません。そして、ピアノも習ったことはありません。文章は平易で問題も簡単なのですが、全く解けていないのです。その理由は簡単でした。物語世界が理解できていないのですね。
ピアノコンクールの最中の話です。主人公の女性が、コンクールの別の出場者が弾いた課題曲に感銘を受け、夢中で練習している、そんな場面です。
「・・・椅子を調節し、蓋を開けてすぐにウォーミングアップのスケールを弾き始める」
生徒:先生、スケールって何?
私:それはハノンとかの音階練習のことだ。プロでも必ず練習の前に一通り弾くものなんだ。
生徒:ハノンって?
私:ひたすら指のトレーニングなんだ。つまらないぞ。
生徒:先生、カデンツァって?
私:注釈に即興的な演奏って書いてあるぞ
生徒:即興的な演奏って?
私:アドリブのことだな
生徒:アドリブって?
私:自分の好きなように弾くことだ
「少年の白い指がひらりと舞った。本当に、月光の中に舞い上がった蝶のように。ドビュッシーの月の光。ああ、本当に、綺麗な月。」
生徒:ドビュッシーって?
私:今から120年くらい前のフランスの作曲家だ。印象派の代表的な作曲家だよ。
生徒:印象派って?
私:・・・。ごめん、忘れて。
「・・・いつのまにか曲が変わっていた。フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」
生徒:フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーンってどんな曲?
私:ジャズのスタンダードの名曲だ。
生徒:スタンダードって?
私:みんな知ってる有名な曲ってこと。
「二人は一糸乱れぬテンポで、全くユニゾンで第三楽章を弾いていた」
生徒:ユニゾンって?
私:同じ音程で弾くこと。
「・・・途切れることのないめまぐるしい十六分音符で伴奏をつける。合間に挟まる、亜弥の超高速グリッサンド」
生徒:先生、グリ
私:グリッサンドは音を滑らせるように弾くやり方。まあ知らなくてもいい。
この場面は、物語の最重要な場面といってもよいところですね。コンクールのライバル同士でありながら、ピアノで二人の心が解け合うような、恋愛感情ではなく、もっと上級な何かの感情があふれ出すような、名シーンです。
「・・・亜弥は、ピアノを弾きながらいつしか天井を見上げ、さらにそこを突き抜けて高い空に浮かぶ月を見ていた。あそこまで。いや、もっと遠くへ。実際、二人はその時遥か彼方の宙を飛んでいた。コンクールも、神様も、何もかも忘れて漆黒の宇宙を。『あっ』亜弥は、宙に浮かんだまま、遠い一点に光る星を見上げた。春と修羅。あたしの。あそこに・・」
入試問題では、下線部の意味を答えさせる問題が出されていました。
もちろん、この生徒はできていません。
なにしろ、この物語に出てくる曲を一つも知らないのです。「月」をテーマに、ベートーベンの月光からジャズスタンダード、そしてドビュッシーまで自在に二人で弾いているうちに、亜弥は自分の音楽を見出したのですね。読みながら頭の中にそれぞれの曲が鳴ってきますよね。残念ながらこの生徒の頭には何の音も鳴りません。したがって、二人がここで何をやっているところなのか、さっぱり理解できないのです。ピアノを弾いていたはずなのに、なぜ宇宙を飛んでいるのか、そんな疑問で止まっているのです。
ピアノを習ったことがなかったとしても、ベートーベンの月光やドビュッシーの月の光を聴いたことがなかったとしても、せめてこの本を読んだことがあれば、もう少し解けたのになあ。
そう思ってしまいました。
本を読みましょう。「良い本」を読みましょう。
やはりとても大切なことですね。