中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】小学校での時間は無駄なのか?

今回は、少々過激な内容となっています。

小学校の関係者の方は、どうか読まないでいただきたい。

お断りしておきますが、私は小学校に否定的な立場ではありません。とても大切な学びの場であると考えています。また、歴史をみても、世界を見回しても、万人に開かれた教育が実践されているのは稀有なことだと思います。

今回の記事は、あくまでも「中学受験にとって」という狭い視野での話にすぎません。

※この記事は公立小を想定したものです。

 

小学校の指導内容

小学校授業時間

小学校の指導は、文部科学省の定めた学習指導要領に縛られています。

まずはそこを見てみることにしましょう。

 

授業時間はこの表の通りです。

1コマ45分となっています。

これではわかりにくいので、1コマ60分に換算してみましょう。

1コマ60分換算 時間数

60分に直すと、6年生では算国がおよそ131時間ずつ、理社がおよそ79時間ずつということになりました。

総授業時間数は735時間です。

 

塾での授業時間と比較してみます。

夏期講習や冬期講習などは、塾によっての設定の差が大きすぎます。

ここは乱暴ですが、年間通して毎週授業が行われていると仮定します。つまり年間50週です。

1週間の授業時間が、理科・社会で4時間ずつ、算数・国語が6時間ずつといったあたりが普通だと思います。

年間では、算数・国語が300時間、理科・社会が200時間となりますね。

 

小学校での授業時間のほうが塾の授業時間よりはるかに多いと思い込んでいたので、意外です。

 

もちろんその理由はわかります。

◆小学校は、夏休み等の長期休みが多い

◆およそ半分の時間を、主要4教科以外の学習にあてている

◆問題演習の時間が無い

 

塾では、6年生ともなると、新規内容の授業は減り、大半が問題演習と解説の授業となります。小学校ではそのパートがなく、6年生といえども最後まで新規内容の授業となりますので、この時間数で間に合うと考えられます。

 

次に指導内容を見てみます。

 

社会科

 

学習指導要領を引用するとこうなっています。

 

(1) 国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに,我が国の歴史や伝統を大切にし,国を愛する心情を育てるようにする。
(2) 日常生活における政治の働きと我が国の政治の考え方及び我が国と関係の深い国の生活や国際社会における我が国の役割を理解できるようにし,平和を願う日本人として世界の国々の人々と共に生きていくことが大切であることを自覚できるようにする。
(3) 社会的事象を具体的に調査するとともに,地図や地球儀,年表などの各種の基礎的資料を効果的に活用し,社会的事象の意味をより広い視野から考える力,調べたことや考えたことを表現する力を育てるようにする。

 

個人的には、「国を愛する心情」というところに引っ掛かりを覚えますが、まあそれはいいでしょう。

歴史で「取り上げるべき人物」となっているのは以下の人物です。

卑弥呼聖徳太子小野妹子中大兄皇子中臣鎌足聖武天皇行基,鑑真,藤原道長紫式部清少納言平清盛源頼朝源義経北条時宗足利義満足利義政雪舟,ザビエル,織田信長豊臣秀吉徳川家康徳川家光近松門左衛門,歌川(安藤)広重,本居宣長杉田玄白伊能忠敬,ペリー,勝海舟西郷隆盛大久保利通木戸孝允明治天皇福沢諭吉大隈重信板垣退助伊藤博文陸奥宗光東郷平八郎小村寿太郎野口英世

 

わずか42名です。

もちろんこれは、「例えば,次に掲げる人物を取り上げ,人物の働きを通して学習できるように指導すること。」という指示でとりあげられているだけですので、これ以外の人物を教えてはいけない、ということではありません。「足利尊氏天皇に歯向かった逆賊だから教えてはいけないのか!」などと早とちりしていはいけませんね。

 

もし私が42人限定で選ぶとしたら。

いやあ、無理です。100人でも足りません。

それでもあえて選ぶのなら、歴史の転換点で影響を与えた人物に絞るしかないでしょうね。

その場合、文化関係の人物はカットするしかないでしょう。また、明治元勲が妙に充実しているのも、カットです。真っ先にカットするのは東郷平八郎ですね。またこの42名では、昭和がやってきません。そこも入れないと。

 

小学校の社会科では、現代史と公民分野が薄いという特徴(欠点)があります。

せっかく社会科見学で国会に行っているのに、もったいない話です。

しかも中学入試再頻出分野です。

 

算数

(1) 分数の乗法及び除法の意味についての理解を深め,それらの計算の仕方を考え,用いることができるようにする。
(2) 円の面積及び角柱などの体積を求めることができるようにするとともに,速さについて理解し,求めることができるようにする。
(3) 縮図や拡大図,対称な図形について理解し,図形についての理解を深める。
(4) 比や比例について理解し,数量の関係の考察に関数の考えを用いることができるようにするとともに,文字を用いて式に表すことができるようにする。また,資料の散らばりを調べ統計的に考察することができるようにする。

これが目標です。

もしこれをきちんと指導してくれるのなら、なかなか充実した内容です。

とくに比や文字式、また統計については中学受験においても重要です。

 

外国語活動

週に1回、45分です。

何もできません。

教え子にリサーチしても、身になる授業を受けている様子はうかがえませんでした。

個人的には、10倍くらいに増やしてほしいと思っています。

毎日2コマ、いや1コマでも授業があれば、相当英語力が向上するはずです。

英語という教科は、習慣・蓄積が物をいう教科ですので。

中途半端に歴史や算数を扱うくらいなら、そこに力を入れてくれればなあ、と夢想します。

 

中学受験指導の立場から

 

率直に言って、小学校での教科学習は、無駄な時間としか思えません。

あまりにもレベルが低く、内容が薄いからです。

これは、小学校の授業見学をしたうえでの意見です。

5分で終わるような内容を45分かけて扱っている。

それが小学校の授業だと私は認識しています。

それが証拠に、授業の確認小テスト、いわゆる「カラーテスト」で、満点以外をとる生徒は、私の指導した生徒にはいませんでした。

 

とくに気になって仕方が無かったのが時間の使い方です。

45分なんてあっという間ですからね。1分1秒も無駄にはできません。

これは完全に「塾屋」の感覚です。指導時間に対して授業料を頂戴していますので。

しかし小学校の授業ときたら・・・・・。

 

なぜそこまでレベルが低いのか?

 

私なりに考察しました。

 

◆学校の先生が優秀ではない

一人で4科目どころか、美術や音楽以外の全てを担当します。やっと最近教科専任制が導入されつつありますが、一人でそれだけの教科の指導をできるなんて、凄すぎます。少なくとも私には無理ですね。よほど優秀な先生しかいないのでしょうか。

そうですね、それは期待しすぎというものでしょう。先生だって人間、そんな異能力の持ち主ばかりではないですから。

つまり、「学校の先生が優秀ではない」というのは酷すぎる言い方でした。

「学校の先生といえども、全ての科目を最高レベルの生徒まで指導できるほど優秀な先生はほぼいない」というべきでした。

 

◆学校の先生が忙しすぎる

教育現場のブラックな仕事状況が随分前から話題になっています。

学校の先生の役割は、生徒を導くことに他なりませんので、授業準備やテストの採点と指導等だけに特化すべきなのですが、そうはなっていないようですね。

これでは「質の高い授業」をする前提が成立しません。

 

◆生徒の質がバラバラである

これが最大の問題です。

学力別のクラス編成をとっていないのです。

ベテランの(馬齢だけは重ねています)私とて、偏差値70超えの生徒と30未満の生徒を同時に教えるのは嫌ですね。下の生徒にも理解しやすく、上の生徒も飽きない授業。不可能ではありませんが困難です。正解の無い課題について多様な意見を集約しながら考えさせるスタイルの授業なら何とかなりますが、全ての授業をそのスタイルでやることは意味がありません。

「何で江戸時代にはフランス革命のような革命が起きなかったのですか?」と質問する生徒と、「何で歩道は凸凹なの?」と質問する生徒が同じ教室にいるのですね。

ちなみに後者の質問をした生徒に、「君はどう思う?」と聞き返したところ、「僕たちを転ばせるため」と答えました。そんな次元の生徒に真正面に向き合う授業をすれば、前者の質問をした生徒は退屈するだけとなってしまいます。

 

まして、小学校の教室にはまともに座っていられない生徒や不規則発言を繰り返す生徒、受けるとでも思ったのかくだらない発言で授業を妨害しようとする生徒などが混在しています。

学校の先生方の苦労がしのばれます。

 

◆小学校の授業の目的が異なる

国を愛する心情を育てる

世界の国々の人々と共に生きていくことが大切であることを自覚できるようにする

楽しんで読書しようとする態度を育てる

日本人としての自覚をもって国を愛し,国家,社会の発展を願う態度を育てる

学習指導要領にはこんなことが書かれています。

中学受験指導の世界観とは全く違います。

中学受験の目的はシンプルです。

合格させる」

これだけです。さらに詳細に言うと、

「合格させるだけの学力を身に着ける」

「中学校が求める学力を身に着ける」

「中学生になって学校の指導に対応できるレベルまで学力をたかめる」

これが目的なのです。

 

全く目指す方向性がことなる小学校の授業を、塾屋目線であれこれ批判することは愚かです。

 

◆親の求めるものがバラバラである

塾はシンプルな価値観に支配されています。繰り返しになりますが、

「合格させる」

これだけです。

全ての指導は、このシンプルな目標を達成するためだけに組み立てられています。

親も、それだけを求めています。

 

しかし、小学校は違います。

・とりあえず学校に行かせておけばいろいろ教えてもらえるだろう

・小学校に行かせるだけで、一通りの学習は面倒みてくれるはず

こうした考えで、家庭学習に一切親が関わらない家庭も多いそうですね。

コロナ禍の際、小学校が休校になった時期がありましたね。

すると、「学校が休校になると、学習が遅れてしまう!」

という声があがったそうです。

小学校の学習内容ですら、親が教えられない(or教える気が無い)ご家庭があるということなのでしょう。

子どもの基礎学力を親が把握している割合は、半分に満たないという調査を見たことがあります。

 

小学校の有効活用

 

嫌な言い方ですいません。

中学受験にとっては「無駄な時間」に思える小学校の時間を、いかに有効に中学受験につなげるのか、という観点からの話です。

実は、小学校での姿勢を少し変えるだけで、多くの学びが得られる環境でもあるのです。

 

◆学校の先生は優秀でも人格者でもない

 

これは事実です。

当たり前の話です。

優秀な先生もいればそうでない先生もいる、人格者の先生もいればそうでない先生もいる。

この当たり前の現実を、親としては再認識する必要があります。

そうすることで、学校にどこまで期待できるのかが明確になるからです。

 

しかしここで最重要な鉄則があります。

 

決して子どもには言ってはいけません!

 

先生の優劣や人間性について判断するのは、大人の考えです。

子ども本人は無条件で先生を尊敬するのが当然です。

決して、先生の悪口を子どもの前で口にしないでください。

 

◆結論に至る過程を大切にする

どうしても受験を目的とした学習は、無駄を排除して結論を急がせることになります。理科など、本当は実験をすることで少しずつ理論を体系化していくのが理想なのです。社会科なら、実際に足を運んで考察するべき教科です。それはわたかっているのですが、塾ではそんな時間も設備も無いのですね。

しかし、小学校は違います。

塾では公式として暗記したような内容や、知識として覚える内容についても、じっくりと時間をかけて実験をしたり、実際に社会科見学で足を運びます。

この経験は得難いものなのです。

周囲の生徒と一緒になって楽しく騒ぐのではなく、じっくりと「実地体験」に向き合いましょう。

 

◆教科学習以外の時間を大切にする

音楽も図工も体育も家庭科も、塾ではできません。小学校ならではの学びです。

ここを大切にしましょう。

「受験に関係ないから」と軽視したのではあまりにもったいない。

中学受験生に見られる傾向としては、主要教科以外の成績が低い、というものがありますね。

真面目に授業に参加しなかった

提出物をさぼっていた

これはおそらく親の姿勢が反映しているのだと思います。

木工だって調理実習だってピアニカだって、大切な学びです。

 

 

◆いろいろな友達ができる

小学校には多種多様な生徒が集まっています。共通しているのは、「近くに住んでいる」ことだけなのです。

これが中高一貫校に行くと状況は一変します。

共通しているのは、「その学校を志望し、勉強をして、試験をクリアした」点だけです。下世話な話を付け加えれば、家庭の可処分所得が一定以上であることもあげられます。

地縁を感じる6年間を過ごすのも、小学校の利点なのだと思います。

 

◆息抜きの時間を過ごせる

おそらく学習面で負荷がかかることは無いと思います。ある意味、身構えずに気楽に過ごせるのも小学校の利点だと思うのです。

よく受験勉強をさせている親から、「気分転換や息抜き」をさせるという話を聞きますが、不要です。小学校でたっぷりとそうした時間を過ごしていますので。

 

◆教科書を隅々まで読む

失礼を承知で言えば、教科学習の時間は退屈です。

ある教え子は、「夢想する力が発達した」と言っていました。空想の世界に逃げ込まないとやっていられなかったということなのでしょう。

それも気の毒なのですが、1つアドバイスがあります。

教科書を隅々まで熟読する時間にあててほしいのです。

たしかに小学校の教科書は情報密度は薄く、あっという間に読み終わるくらいページ数も薄いです。

しかし、よくみてみると、なかなかに工夫がこらされた「良書」なのです。

とくに理科・社会はお薦めです。

「どうせ小学校のレベルなんて」と馬鹿にする前に、じっくりと教科書に向き合うことは大きな意味があるのです。

 

最期に

 

繰り返しになりますが、私は小学校を否定しているのではありません。

小学校でしか得られない多くの学びに満ちていると思っています。

小学校の授業目標と、塾の授業目標は全く異なります。

目標がことなる授業に対して、あれこれ論評を加えることは意味がありませんでしたね。

 

私がこの記事を書いた目的は2つです。

◆せっかく小学校に行くのだから、そこで少しでも「中学受験に役立つ学び」を得てほしい

◆教科学習以外の学びも大切にしてほしい

 

いろいろと無駄の多い授業ではありますが、せめて向き合う意識を変えることで、無駄を少しでも減らしてほしいと思っています。