中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験】兄弟なのに、なぜこんなに学力が違うのか?

兄弟といえども、別個の人格です。

学力差があるのは当然です。

でも、悩まれる方が多いのですね。

「兄は手がかからなかったのに、なぜ弟はこんな・・・・」

「姉の学校に行かせたいのに、妹は届きそうもない・・・」

今回はこの話題です。

 

遺伝はどこまで有効か?

遺伝を持ち出すのは、この業界のタブーです。

生まれつきの遺伝で学力が決まってしまうのなら、努力は無意味になってしまうからです。

しかも、大規模な統計調査もありません。

もちろん、行動遺伝学としての研究はさかんですし、様々な論文や著作が紹介されていることは確かです。

一般の興味を引く話題だからでしょうか、専門家の方や専門家ではない方までが色々な情報を発信されていますね。

東大附属が双子の研究をしていることは有名ですが、そこからどのような知見が得られたのかについては、よくわかりません。いちおう学術論文は多数出されていますが、画期的な成果とはいえないと思います。(そもそも読みにくい!)

〇音楽の才能は双生児ではほぼ同じ

〇数学の才能は双生児でも差が開く

そう言われても、反論などたくさん思いつきますね。

 

ただ、何となくの常識?として、

蛙の子は蛙

鳶は鷹を生まない

といったイメージがありますね。

 

「とっても優秀なA君のお父様は大学教授なんですって」

「やっぱりね。だからうちなんか敵うわけないのね」

 

こうした話はよく聞きますが、A君以外の優秀な子の親を全て網羅して調べているわけでもありませんし、他にも優秀なB君がいるのに、その父親が普通?の人だとスルーしているだけです。つまり自分の考えに沿った例をあげているのにすぎません。

また、とても優秀ではない(学力が劣る)C君の親の詮索は、さすがに品が無いので行いません。

こうして、「優秀な子の親はやっぱり優秀」伝説が広がるのだと思います。

 

太古の昔なら、「身体能力が高い=獲物を捕る能力が高い」人間が、伴侶を見つけやすく、結果として優秀な遺伝子が強化されていくということもあったかもしれません。とくに身体能力は遺伝の影響が大きいといわれていますので。

 

しかし、「学力」「頭の良さ」のような複雑な能力がそんなに単純な自然淘汰の法則にしたがうはずもありません。

また、現代では、「獲物を捕る能力が低い」者もきちんと居場所を見つけて子孫を残せる社会となっています。

 

まず、遺伝という考え方を捨てることをお勧めします。

 

つまり、「兄と弟の遺伝子(の素となった遺伝子)は共通しているのに、どうしてこんなに学力差があるのか?」

という疑問は、最初から前提が間違っているのです。

 

環境の差は大きい

 

ここで「環境」と言っているのは、充実した子供部屋のことではありません。

家庭の「空気感」のようなもののことです。

 

◆幼少時より周囲に良書があふれていた

◆親もよく本を読んでいる

◆勉強するのが当たり前という雰囲気になっている

◆親も中学受験経験者である

◆子も最初から中学受験が前提となっている

◆子どものしつけをきちんとしている

◆ゲーム機は無い

スマホを自由に使わせる環境ではない

 

このようなものでしょうか。

 

とくに私はゲーム(含スマホゲーム)を嫌悪していますので、そんなものを子どもに買い与える親が理解できません。

まさか親が夢中とか?

最難関中高→最難関大学に進学したある生徒の父親は、自分が最新のゲームをやりたいので子どもに最新のゲーム機を次々と買い与えたのに、子どもが全く興味を示さなかったと嘆いていました。

知性の比較でいえば、あきらかに 子ども>父親 です。

 

中学受験が一部の特別な子どもだけのものだった時代は過ぎ去りました。

おそらくは、小学生の保護者の世代は、中学受験が一般化している世代だったと思います。

人は、自分の経験からしか教訓を得ることはできません。

親が中学受験経験者なら、子にも中学受験をさせることが当たり前となっているでしょう。

 

勉強することが当たり前

 

これが大切な「環境」なのですね。

 

兄(姉)のほうが優秀だったケース

 

これは弟(妹)が気の毒なケースです。

何かというと、兄(姉)と比較されるのです。

まして同性の兄弟だと悲惨です。

 

私なら間違いなくグレますね。

 

このケースは、実は親に大半の責任があるのです。

兄でうまくいったやり方が、そのまま弟に通用すると考えることが間違っています。

それなのに、上の子でたまたま成功体験を積んでしまったため、親が「中学受験の経験者=ベテラン」になっていると勘違いするのですね。

 

だから、下の子の状況に真剣に向き合えていない。

 

一人目の子どものときは、中学受験について右も左もわからず(自身が経験者だとしても時代が変わりましたので)、試行錯誤・悪戦苦闘したはずです。

無駄なこともたくさんあったでしょう。

しかし、それが良かったのです。

親子で夢中で足掻いたからこそ得られるものがあります。

二人目・三人目の子に対して、同じテンション・モチベーションで接していましたか?

 

ここは素直にプロの意見を聞く場面です。

同年代の子を、数百人(実は数千人)指導しているからこそ、見えてくるものがあるのです。

 

 

弟(妹)の方が優秀なケース

 

これはさほど実害はありません。

むしろ上のお子さんのケアをきちんと行ってあげてください。

 

年齢差が2歳以内のケース

 

上の子が中学受験をしたとき、下の子が4年生か5年生だった場合です。

上の子の受験にかまけすぎて、下のお子さんが放置されていませんか?

 

やっと上の子が中学に進学して、さて次は弟(妹)の番、と思ったとき、すでに手遅れかもしれません。

 

そうしたケースを多数見てきました。

みなさん反省を口にしますね。

「もっと下の子もきちんと見てあげればよかった」と。

 

 

同性の兄弟の難しさ

 

上の子が優秀で難関校に進学したとしましょう。

皆が第一志望にあげる学校です。

 

実は、こうした「第一志望にしていた生徒しかいない学校」には、大きな特徴が5つあります。

◆生徒の能力が青天井

 なにせ、その学校よりも上と呼べる学校が無いのです。したがって、「超優秀」な生徒が何人も進学しています。

◆多芸多才な生徒がいる

 受験勉強だけしかしてこなかった生徒ばかりじゃないのですね。実はピアノコンクールで名を馳せていたり、絵画の才能に恵まれていたり。

◆教師が優秀で個性的

 優秀な生徒を指導することで、教師も優秀に育ちます。多少個性的な授業をしたとしてもついてこれる生徒ばかりです。

◆校則が厳しくない

 厳しくせずとも大丈夫な生徒たちだからです。

◆親子の満足度が高い

 通っている本人はもちろん、親も学校に満足しています。

 

さて、こうした上の子の成功体験が、下の子の学校選びに暗い影を落とします。

 

上の子よりだいぶ成績が劣るのです。

そこで、見に行く学校も、レベル(偏差値上だけの)を下げた学校を見に行きます。

先入観を排除して見に行けば、良い学校・素晴らしい学校も多数あるのですが、残念ながらそうは見られないのですね。

完全に「偏見フィルター」が邪魔をします。

「生徒たちも頭が悪そう」

「先生も何かぱっとしないわね」

「校則が厳しすぎて息が詰まりそう」

 

上の子の学校を基準として、全てを引き算で評価してしまいます。

 

こういう学校選びは不幸です。

 

兄弟は別の人間

 

受験においては、兄弟・姉妹は別の人間だと思うことが重要です。

上の子の尺度を下の子にあてはめてはいけないのです。

 

そうは言っても難しいのはわかります。でも、そう心がけ続けるしかありません。

 

姉のために妹に我慢を強いる

弟のために兄にあきらめさせる

 

昭和の大家族制度の時代なら、家族のために自分を殺すことが美徳とされたでしょう。

しかし、今は違います。

一人一人が別個の人格なのですから、それぞれが学力も能力も才能も性格も志望も夢も異なる、他人同士だと考えるべきなのでしょう。