入試問題には、「おや? この学校を受ける受験生に解けるのかな?」と思わされる出題があるのです。
それも結構な数です。
今回は、そんな国語の問題を紹介しつつ、対処法等考えてみましょう。
学校のレベル
その学校は、日能研偏差値で35以下,首都圏模試の偏差値で39の学校です。
ただ、そのことをもってして学校について判断するわけではありません。学校の良し悪しと偏差値は正の相関関係にあるとはいえないからです。
私は、学校については、HPから調べはじめ、説明会に足を運び、先生方と話をし、入試問題を分析し、大学実績を分析し、教え子で通っている生徒の話を聞き、通わせている保護者の話を聞き、元教え子の大学進学まで待って、それではじめて多少の判断ができるようになると思っています。
残念ながらこの学校の説明会には行ったことがなく、進学した生徒を一人も知らないもので、何の判断もコメントもする立場にはないのです。
あくまでも入試偏差値だけを見る限り、入学ハードルの低い学校であることは確かです。
こうした学校の多くは、生徒募集に苦戦したり定員割れしているものですが、確認できませんでした。生徒数についてもHPでは公表されていません。「まとめサイト」的なところを見ると、こうなっています。孫引きデータですので正確かどうかは不明です。
中 1:47名
中2:38名
中3:39名
高 1:335名
高2:273名
高3:231名
もしこの数字が事実なら、中学受験の募集定員は男女計80名のようですので、やはり定員割れなのでしょうか。
高校入試メインの学校なのですね。
2023入試問題
今回は、純粋に国語の入試問題についてみてみました。
大問1は漢字です。
まあ、これは普通のスタイルですね。
ただし、書き取り10問、読み方10問はなかなか多いです。
臨む・悲鳴・穀物・豊富・有意義・憲法・恩師・食欲・喜劇・好印象
どれも基本的な漢字です。
大問2 熟語・慣用句
一目を置く・言葉をにごす・脚光を浴びる・指揮をとる・核心をつく、これらの2字熟語を選択肢から選びます。
これも平易な問題です。
大問3 物語文
難易度が高めの文章です。
長野まゆみ「野川」からの出題でした。
この作家も中学入試に良く出題される本を書いています。
「野川」も多くの学校で使われましたが、それは2011年でした。
中学校の入試問題は、その年に出版された本の中から入試の題材を探すことが多いので、ちょっと出題タイミングが遅い気もします。ただし、それが作品の価値を下げるわけではないので、別に最新作でないからダメということではもちろんありません。
10年以上前の小説だと、過去問演習で解いたこともないでしょうから、好都合かもしれません。
主人公の中2男子は、都心の学校から田舎に転校してきました。
両親が離婚し、父親が失業し、その父親とみすぼらしいアパート暮らしです。
父親は、「積極的に同居をきめたのではない」のです。
この主人公が、何とも「冷めている」というか、シニカルというか、感情の起伏に乏しい印象です。今の自分の古ぼけたアパートの写真を元同級生に送りつけたいという衝動を覚えています。
主人公が一人の教師と出会ったところまでが切り取られています。
実は、この小説は、物語が動きだす前のイントロの数ページが素晴らしいのです。
「川べりの道に、背丈のある夏草が、まだ緑のよそおいのまま茂っている。川床すれすれに、大小の石のあいだを流れる水も、雲のうすい空から照り付ける日ざしをあびて反射がきつい。それでも、草の実は熟し、根もとあたりは白く乾いて枯れ始めるなど、よく見れば秋の気配があった。」
すぐれた小説は、最初の数行を読めばわかる。これが私の持論です。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
あまりにも有名な冒頭です。もうこの1行で、物語世界に引き込まれます。
おそらくこの問題の文章は、多くのこの学校の受験生にとっては「入りにくい」ものだったと思います。設定に共感できないからです。一度そういうモードに入ってしまうと、記号選択ですら間違えます。
本当は、物語文読解のコツは、「入り込まない」ことにあるのですが、これが小学生には難しい。私など、読解指導の際には、男子生徒には女性が主人公のものを、女子生徒には男子が主人公のものをわざと使います。
大問4 説明文
説明文というよりエッセイに近いですね。手塚治虫の「ガラスの地球を救え」でした。
中学入試でもたまに見かけます。
私が気になった問題を紹介します。
生命はかけがえのないもので、どう転んでも人生はたった一度だけであり、そして人類と同じように価値ある生命が自然界に満ち、それらが密接にありとあらゆる形で相互に生かし合っていること、また地球は人類はもちろんのこと、生物にとって絶対不可欠の星であることを熱意をもって、幼い時からかたりかけていきたいと思います。
こんなことは、わかりきったことかもしれません。けれども、このあたりまえなことへの感動を、何度でも呼びさまさねばならないのは、ぼくたち大人自身だろうと思われます。
幼いころからの生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
問 「このあたりまえなこと」とありますが、その内容として適切なものを選びなさい。
1 大人のすべてが満足な人生を送ってきたわけではないということ。
2 地球は自然と人類が共に生きることができる大切な星であるということ。
3 現代の教育では幼稚園の頃から衰弱した子どもが育っているということ。
4 人類は地球の自然の中でみずみずしい感性を育てているということ。
さあ、みなさんならどれを選びますか?
まず、1と3は消しますよね。これは説明不要でしょう。
「このあたりまえなこと」は何なのかを文章をもう一度みて考えます。
大人たちは、「この当たり前なこと」への「感動」を何度でも呼び覚まさねばならないそうです。
つまり、感動を引き起こすような何らかの事象が「この当たり前なこと」の正体であると解釈できます。
ところで、AへBというときの助詞「へ」は、Aが移動の到着地点か、移動の方向であることを示します。
「学校へ行く」
「うちへ帰る」
「の」という助詞は、名詞について名詞相互の関係を示します。
机の上・・・・位置を示します
池の鯉・・・池の中に鯉がいるという位置関係を示しています。
僕のケーキ・・・・所有を示します。
もうひとつの使われ方は、「が」に代わり主語を表すというものです。
・雪が降った朝 → 雪の降った朝
・ポチが死んだとき → ポチの死んだとき
※今回はこちらの用法ではない
そこで「へ」+「の」を組み合わせた「AへのB」となると、BがAに向かっているニュアンスになりますね。
「ホノルルへのフライトは遅れた」
「優勝への道のりは遠く険しい」
「彼女へのメールを打った」
ここまで考えると、「この当たり前なこと」への「感動」とは、「感動」の向かう方向が「この当たり前なこと」ということで間違いありません。
「この」という指示語は、直前の「こんなこと」と同じ内容を指していると考えて間違いないでしょうね。
指示語の指す内容は直前にある。
この鉄則に従えば、直前の段落全体を指していることも間違いないでしょう。
直前の段落にも「こと」が2度ほど使われていますので、このあたりを指すことが示唆されているからです。
さらに、「感動」しているのは誰でしょう?
主語が抜けている文章ですが、その直後に「ぼくたち大人自身」とありますので、主語は「大人であるぼくたち」となりますね。
つまり、「おとなであるぼくたち」が「感動」、それも「何度でも呼び覚まさねばならない」ほどの「感動」の向かう「当たり前なこと」は何なのか?
これが聞かれている問題なのです。
ついでにいうと、その「こと」とは「当たり前」なのだそうです。つまり誰でも当然知っている・理解しているような「当たり前なこと」を考えます。
実はこれは問3なのですが、その直前の問2はこうなっています。
問2 「人類と同じように価値ある生命が自然界に満ち、それらが密接にありとあらゆる形で相互に生かし合っている」とありますが、それはどのような世界ですか。本文中より16字で抜きだしなさい。
答:「虫も鳥も子どもも共存していた世界」
そこで、選択肢の2と4を検討します。
はい、そうですね。
2を選びますね。
それで正解! といいたいのですが、学校が出している模範解答は4なのです。
「?」となりませんか?
この問題を解いた生徒達は全員が2を選びました。
だって、傍線部の直後の段落も、明らかに2を示唆した内容ですよね。
まさか「感動」する内容が、「人類がみずみずしい感性を育てているということ」だとは。
つまり、人類の行動に感動している、そういうことなのでしょうか?
しかも直前の設問で、明らかに受験生の「ミスリード」を誘っています。
最初にこの問題を見たときには、あきらかに出題ミスor模範解答ミスだと思いました。
(今でも半分はそう思っている)
文章のタイトルは「ガラスの地球を救え」になっていますが、実は、手塚治虫のこの文章のテーマは、「地球環境を守れ!」ではないのです。「子どもが育つ周囲の自然を守れ!」なのですね。
つまり、あくまでも筆者の視線は子どもに向けられているのです。
そこが理解できないと、この問題は正解できないのですね。
断言できます。
この出題は、受験生のレベルと合っていません。
対処法
家(や塾)で過去問演習を行っているときに、こうした問題にぶつかった場合の対処法は簡単です。
無視する
これです。
だってしかたがないですよね。
勉強している子どもの学力では解けないレベルなのですから。
そんな問題にこだわっている時間がもったいない。
この問題は無かったことにしましょう。
どうしても無視したくな場合は、上述したような解説を行うのですが、おそらく子どもたちには理解できないと思います。
ちなみに、この問題を解かせたときの私の対応は簡単です。
「2でも正解だ」
こう済ませました。
演習ですから、2を選ぶことができればそれでOKです。
実は、国語の問題演習ではたまに(そうしょっちゅうではありません)そうしたケースに遭遇します。
模範解答から見れば間違っているが、そこまで思考できれば正解としてあげよう、そういうケースです。
では、入試本番でそうした問題に遭遇した場合はどうしたらよいのでしょうか。
これも簡単です。
適当に答えて先に進む
解けないレベルの問題に時間を費やすのはおろかです。
空欄のままにはできませんので、とりあえず解答欄を埋めて、先へ進みましょう。
社会科でも見かけますね。
例えば、関ケ原の合戦における、東軍と西軍の戦国武将を選ぶ問題などがそれです。
石田三成と徳川家康が敵対したことさえ理解していればそれで充分です。
あえて言えば、島津義弘はおもしろいかもしれません。江戸時代に薩摩藩が外様大名であったことを思い出せば、外様=関ケ原の敵側、という思考で選べますので。
まさに、適当に答えて先に進むべき問題です。