中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

【中学受験都市伝説】小学校生活を犠牲にしないで志望校に合格した

中学受験の世界には、様々な噂が流れています。

真実もあれば全くのデタラメもあります。

私はそうした噂を「中学受験都市伝説」と名付けました。

「都市伝説」とは大げさかな?

今回は、「小学校生活を犠牲にしないで志望校に合格した」について検証します。

※実例をあげますが、個人情報保護の観点から当事者が読んでも自分のこととわからぬレベルまで設定を変えています。でも実話です。

少年野球に燃えたA太

 

A太は野球チームに所属していました。

A太のポジションはピッチャー。つまりチームの要です。

塾には、いつも遅刻して、泥だらけのユニフォームでやってきます。小学校から帰って、塾に行くまでの隙間時間でも練習しているのですね。

幸か不幸か、A太のチームは強かった。大会も順調に勝ち進んでしまいます。

6年生の夏も練習と試合に明け暮れ、秋が深まっても試合は続きます。母親は気が気でありませんでしたが、まさか「勝つな」ともいえません。

ところでA太の成績は、トップでした。文字通りのトップです。

塾の授業中の小テストでは満点以外とったことがありません。模試でも偏差値70台を連発します。

母親曰く、家では全く勉強していないとか。塾の時間中に全て理解し全て覚えてしまうからです。

受験結果は周囲の予想通り、首都圏最難関の国立中学と首都圏最難関の私立中学の2校に合格しました。

 

A太の成功要因は、持って生まれた「頭の良さ」としかいいようがありません。

聞けば、幼少時よりそんな調子だったそう。親は一度たりとも「勉強しなさい」と口にしたことはないそうです。あまりに家で勉強しないので「これでいいのか?」と不安になったこともあるそうですが、結果が結果ですから。親の全幅の信頼のもと、充実した「少年野球生活」を満喫できたのですね。

 

「先生、ゆうべはごめんね」

B子の母親は心配性でした。

毎日のように私に電話をかけてきます。電話をとった瞬間、名前を聞く前からB子の母からの電話であることはわかります。電話の背後で大音量のオペラがいつも流れているからです。

電話での相談内容は、ささいなことばかりです。娘のちょっとした言動や成績について、ほんの小さなことでも気になってしかたがないのです。

この母親からの電話は、毎回2時間コースでした。電話をとってオペラ音楽が聞こえた瞬間、「ああ、今日も終電逃すな」とあきらめたものでした。

そうした電話の翌日、B子に教室で会うと、開口一番こう言われました。

「先生、昨夜はお母さんが迷惑かけてごめんね」

娘はわかっているのです。母親の電話が非常識なレベルであることを。

B子は大人でした。小学6年女子といえば、思春期に入りかけの時期です。3年生? と見紛う幼い子もいれば、大人びた子もいます。また背伸びしたくなる年頃でもありますね。B子は背伸びをせずとも自然に大人としてのふるまいができる生徒でした。

そんなB子も子どもらしさを見せる時というものがあります。毎回のように実施する小テストで満点をとれなかったときです。周囲の生徒たちが頑張っても7割程度のテストで、B子は常に満点でしたが、たまに数点落とすときがあります。そうするとうつむいてぽろぽろと涙をこぼすのです。満点でなかったのが悔しいのです。

そんなB子が進学すべき学校は1つしかありません。もちろん順当に進学していきました。

ところでB子の家庭での学習状況はどうだったかというと、B子母曰く、ピアノばかり夢中になって弾いていたそうです。幼少時より習っていたピアノが本当に大好きだったのですね。コンクールで優秀な成績だったこともあったそうです。ピアノの指導を受けていた先生に、将来は音大に進むべきだと強く勧められたそうでが、本人はピアノの道に進むつもりは全くありませんでした。

よく学業が優秀な者には、ピアノやヴァイオリンなどの音楽の才能も備わっている者が多いなどと聞きますが、B子はまさにそれに相当したのでしょう。

 

バレエに捧げた生活

C美は、幼少時よりバレエを習っていました。正確にいうと、母親に習わされていました。家庭生活はすべてC美のバレエを中心に回っています。聞くところによると、母親はバレリーナに憧れていたのだとか。ただしバレエは習ったことがありません。親に習わせてもらえなかったとのことでした。その親の夢を娘にかけるという、まあよくある話ではあったのです。

C美の家庭が普通でなかったのは、母親の熱の入れ方でした。東に優秀な先生がいると聞けば押しかけて指導を請い、西でコンクールがあれば駆けつけます。さらに、発表会の役柄が気に入らないといっては教室を移り、指導方針で喧嘩をしては教室を辞める。そんな風にして教室を転々としながらバレエを続けさせていたのです。

やがて中学受験を考える時期になりました。バレエに多大な時間を費やしていますので、勉強時間は最低限しか確保できません。しかし、目指したのは無理筋な受験校でした。

受験結果は、第3志望の学校へ進学することとなりました。

母親曰く、「バレエの時間をとる余裕ができる学校だから」とのこと。

いつのまにか進学した学校が第一志望校に脳内変換されているのですね。でもこれは良いことです。いつまでも受験の失敗を引きずるのは最悪ですから。子どもが進学した学校が「最高の学校」でなければならないのです。

そんなC美ですが、大学進学をきっかけにバレエは辞めました。

親がいくらバレエに情熱を燃やそうと、本人にその気が無いのではしかたがありません。

大学生になったC美に会ったとき、こう言っていました。とにかく生活の全てがバレエ一色で塗りつぶされて、それ以外の思い出は一つも無い、と。日焼けをさせないために海にも連れていってもらえず、怪我を恐れてスキーもスポーツも禁止されていた。

バレリーナをどうしてあきらめたのか尋ねると、笑ってこう答えました。

「先生、無理に決まってるでしょ」

どうやらバレエの世界では、幼少期にすでにバレリーナの素質の有無ははっきりするそうです。努力で何とかなる世界ではないのだとか。そのことは、小学校低学年のときのバレエの先生にはっきりと言われたそうです。

芸事はみなそうだとはいえ、厳しい世界ですね。

C美の言葉が頭に残っています。

「今思えば、あの時間をもっと勉強に向けていればよかったよ。勉強はかけた時間は無駄にならないから」

 

親からすれば、「充実した小学校生活を送り、受験にも成功した」

娘からすれば、「バレエのおかげでまともな小学校生活を送れず、勉強も受験も中途半端に終わった」

立場が異なればとらえ方も異なるのですね。

 

時間管理を徹底した

D介は塾に通いませんでした。

両親が検討した結果、「塾は時間の無駄」であると判断したからです。

◆通塾時間が無駄

◆塾の時間割にこちらの生活時間を合わせなくてはならなくなる

◆集団指導では、子どもの学習ペースで勉強できない

◆個別指導では物足りない

まず通塾時間が気になりました。2駅離れたところに評判の良い集団指導塾があるのですが、片道25分程度かかります。つまり往復で50分かかるのです。

塾についても、すぐに授業が始まるわけではありません。無駄な小テストなどをやりながら、他の生徒がそろうのを待たなくてはならないのです。

授業も、D介よりできない生徒のために教師が説明に費やす時間はD介には不要ですし、D介よりも優秀な生徒を対象とした説明はD介には理解できません。

個別指導も検討しましたが、教師の力量に不安が残り選択肢から外れました。

一番求めていたのは優秀な家庭教師です。しかし、そんな家庭教師はなかなかいないことも知っていましたし、無限にお金がかかることも承知してます。

そこで、「塾には行かせない」という判断となったのです。

塾は、模試と講習だけ利用することにしました。

また、D介は、水泳・英語・ピアノの3つの習い事を続けていたのです。

水泳は体力をつけるために続けます。英語は中学生になってからも最重要科目となりますので、止めるわけにはいきません。ピアノは受験には無用だが、「ピアノを弾ける人生」と「弾けない人生」では、あきらかに前者のほうが豊かです。本人も好きなのです。

また、家庭の方針として、小学校生活を最優先とするのは当然だと考えました。運動会ではリレー選手に選ばれたり、作文コンクールで表彰されたり。

こうして、小学校生活をきちんと送りながら、時間を有効活用することで、受験勉強の時間も捻出したのです。

一つだけ犠牲にしたのは、冬休み以降の小学校でした。冬休みから1月まで、小学校は完全に休んだのです。もちろん担任教師には事情をきちんと理解してもらいました。

D介は、この時期に得点力は目覚ましく伸びました。

受験結果は、第一志望校に進学することとなりました。

親曰く、D介は天才タイプでもなければ秀才タイプでもないそうです。ただコツコツと努力を継続できるのが強みだったと。だからこそ、時間がとても重要だったそうです。

無駄な時間をどこまでそぎ落とせるのかにかかっていたのですね。

本音を言えば、小学校で教科学習をする時間が一番無駄だったと思う。そういって笑っていました。さすがにそれを削るつもりはなかったがといって。

 

都市伝説検証

 

まず、「犠牲にしなかった小学校生活」の中身が問題です。多くの場合、塾以外の習い事やスポーツを指すようですね。

水泳・サッカー・野球・バレエ・新体操・ヒップホップダンス・柔道・剣道・ピアノ・ヴァイオリン・英語・将棋等々。

こうした習い事は、多くの場合受験勉強が忙しくなると辞めるものです。

それを辞めないで継続していても「第一志望校に合格できた!」ということなのですね。

しかし、これはあくまでも「成功者の発言」にすぎません。そうして習い事やスポーツを継続しながら受験に失敗した例のほうがはるかに多いのです。ただ表だってそれを言う方がいないだけの話です。

「習い事を続けていたから受験に失敗した」

「習い事を止めていればうまくいったはず」

心の中ではそう思ったとしても、それを口には出さないですよね。

 

都市伝説の正体はこれなのです。

 

また、別のケースとして、いわゆる「天才」「秀才」とよばれそうな、「ギフテッド」レベルの子どものケースというものもあります。

実例として紹介した、A太とB子がそうです。

そんな例外的な子どもの例をわが子に当てはめるのは無理だと思います。

さらに、C美のように、本当はいろいろ犠牲にしていて、さらに受験にも成功したとは言えないのに、「すべてうまくいった!」と親が思い込むというケースもあるでしょう。

 

一番理想的なのは、D介のケースなんだと思います。親が子どもの現在、そして将来にとって何が重要なのかを考え、さらに子どもの資質も把握して、その上で小学校生活を犠牲にしなくとも志望校合格に導く。なかなかこうはいかないですが。