今回のロジカルライティングの授業は、「茶色の朝」(フランク・パヴロフ著)を読んで政治について考えてもらうことにしました。
この本は政治や民主主義について考えるのに絶好の本なのです。
例によって、生徒は麻布志望のタロウ・ゲンタ・ワタルの3名です。
「茶色の朝」を読んでみよう
私:今日は、まずはこの本を読んでもらおうか。
皆:え~! 今から?_
私:そう、今からだ。そんなに長くないから、すぐ読めるぞ。
皆:読んだよ。
私:どうだった?
タロウ:うん、おもしろかった。
私:それだけ?
タロウ:だって。犬や猫が茶色じゃなくちゃいけないなんて、おもしろいじゃないか。
ゲンタ:それに、なんだか怖い話だったね。
ワタル:そうそう。この主人公の「俺」って人、最後は逮捕されるんだよね、きっと。
タロウ:昔白黒の猫を飼ってたってだけでね。なんでだろう?
ゲンタ:急に茶色の猫を飼い始めただけだと信頼してもらえなかったんだね。
ワタル:そこがもう一つピンとこなかったんだ。この「茶色党」っていうのは、きっと何かの風刺だと思うんだけど。先生、少し解説お願いできるかな?
皆:お願いします!
私:よし、それじゃあ背景を説明しよう。
右翼・左翼・右派・左派とは?
私:まず用語を整理しよう。みんなはフランス革命は覚えているかな?
タロウ:もちろん! 1789年7月14日にパリの市民たちがバスチーユ牢獄を襲撃したことからはじまった、民主主義を求める革命でしょ。およそ10年続いた。
ゲンタ:メモ見てる! ずるいぞ、タロウ!
私:別にかまわないぞ。ゲンタ、他に付け加えられるかな?
ゲンタ:ええと、国王とか貴族が追放されて、マリーアントワネットがギロチンで処刑されたんだよ。
ワタル:それで、フランス人権宣言が出されて、民主主義となったんだ。
私:うん、だいたいそんな理解でいいだろう。もっと詳しい話は、中学校で世界史で学ぶからそれまで楽しみにしていてくれ。フランス革命の途中で、憲法を新しく作る相談をしていたんだな。その時、国王の味方、つまり絶対王政の支持者たちが議会の右側の席に座り、国王の権力を制限して市民の権利を主張する人たちが左側の席に座ったんだ。そのことから、保守派・王政派・体制維持派のことを右翼・右派と呼び、急進派・リベラル派・民主派のことを左翼・左派と呼ぶようになった。
ワタル:ふうん。2つに分かれたんだね。
タロウ:でもさ、そんなに単純に2つに分類できるものなのかな?
私:いいところに気がついた! もちろん右翼と左翼の2つに分類できるほど社会は単純じゃない。右といっても、ものすごく右寄りから真ん中よりの人もいるし、左でも同様だ。まあ今はシンプルに考えておいてくれ。国粋主義・全体主義・独裁政治が右、自由主義・民主主義・平等といったほうが左、それくらいのとらえ方でいいだろう。
ゲンタ:わかった。先生の話って前置きが長いんだよな。先を教えてよ。
私:悪かった。さてフランス革命以降、ヨーロッパはおおざっぱにいって左寄り、つまり民主主義的な政治が主流だった。しかし民主主義には弱点もある。
タロウ:弱点? そうなの? 俺、一番いい考え方だと思ってたけど。
私:良い・悪いでいえば、もちろん良い。つまり国民一人ひとりの自由や権利を大切にするっていう考え方だからな。だけど、それでは都合が悪い出来事が起きてしまったんだ。わかるかな?
ゲンタ:国民一人ひとりの自由や権利を大切にすると都合が悪くなる? なんだろうね? 誰かが国民の自由や権利を奪いたくなったとか?
タロウ:それって独裁者じゃないか。
ワタル:あっ、わかった! ヒトラーだ!
ゲンタ:そっか。戦争だね!
私:正解だ。誰だって戦争は嫌いだ。殺されたくないし、殺したくもない。だから、本当の民主主義の社会では戦争なんて起きないはずだね。でも、それじゃあ都合が悪い。なんとしても戦争したい、戦争で勝ちたい、国民一人ひとりの幸せよりも国全体の権力を広げていきたい、そう考える人たちが勢力を握ることで、戦争が可能になってしまったんだ。
ワタル:それが、さっき先生が言ってた、全体主義とか国粋主義とかいうことなんだね。
私:その通りだ。国粋主義というのは、自国が最も優れているという考え方でもある。
タロウ:別に自慢するのはいいんじゃないの?
私:自慢するだけなら悪いことではない。でも、この考え方が危険なのは、自国が優れている=他国が劣っている、自分の民族が一番だ=他の民族は劣っている、そういう、民族主義・人種差別思想になってしまうからなんだ。
ゲンタ:それじゃあ、戦争中の日本は、右翼が幅を利かせていたってことなの?
私:まあ、単純に言えばそういうことになるかな。
ワタル:それじゃあ、ヒトラーも右翼ってこと?
私:分けるとすればね。
ヨーロッパにおける移民問題
私:先生は最近何度かヨーロッパに行ったんだが、気が付いたことがある。
タロウ:どこ行ったの?
私:イギリス・ドイツ・フランス・ベルギー・オランダあたりだ。
皆:いいなあ!
私:みんなも中高生になれば行く機会もあると思うよ。ヨーロッパに行くと、よく日本の私立高校生達が先生に引率されて来ているのも見かけるし、先生が教えていた生徒達も、中3から高1くらいの時期に夏休みを利用して海外に留学する生徒も多いね。そういう制度が充実している学校も多いし。
ワタル:麻布は?
私:残念ながら学校が手取り足取り留学を用意してくれるような学校ではない。でも、カナダやイタリア・韓国の高校と提携しているし、そういえば麻布に進学した昔の教え子で、高校生時代に奨学金制度を利用しまくって、海外にたくさん出かけていた生徒もいたな。大学生になってから会ったら、「もう海外は飽きたので、これからは国内に目を向けます」なんて生意気なことを言っていたぞ。
ワタル:そっか。自分で探して自分で行けってことだね。麻布だしね。
私:そうだ。それで、ヨーロッパで気が付いたことなんだが、移民がずいぶん増えているんだ。アフリカや中東地域からの移民が増えているのを実感したね。パリの公園にはそういった貧しい移民のテント村が出来ていたし、ロンドンの地下鉄でも英語以外の言語が飛び交っていた。
タロウ:おもしろそうだね。
私:たしかにそういう見方もある。でも、困った問題も多い。
ワタル:言葉が通じないとか?
私:それもある。学校の授業が理解できない生徒が増えていて困っているそうだ。
ゲンタ:犯罪が増えるとか?
私:それもある。本来は、移民だから犯罪を起こすなんていうことは無いはずだ。でも、なかなか収入の良い仕事につけなくて、結果として犯罪に手を染めてしまう人がいるのも事実だ。もちろんそれは自国民にもいるんだけどね。それなのに、移民のほうが犯罪に染まりやすいって思ってしまうんだね。
ゲンタ:それって人種差別じゃない?
私:そうだ。
タロウ:わかった! そうやってなんでもいいから働きたい移民の人が増えるんだよね。そうすると、たとえばイギリスで移民達がなりふり構わずどんな仕事でも安い給料で引き受けるようになると、イギリス人の仕事が奪われる、つまり失業者が増えるんだよ。
ワタル:あっ、イギリスがEUから離脱した原因の一つがそれじゃなかったっけ?
私:よく覚えてたな。そうなんだ。そうすると、移民はうちの国から出て行け!って考える人たちが出てくるよね。
タロウ:なんだか嫌な考え方だね。
私:そうだな。でも、そういうことを叫ぶ政党や政治家が急に人気を集めるようになったのも事実なんだ。そうした極端な差別主義者を、極右とよぶ。右翼でも極端な過激思想をもっているからね。
ヨーロッパにおける極右の台頭
私:民主主義発祥の地といってもいい、フランスでも極右の台頭が問題になっていたんだ。選挙のたびに勢力を伸ばし、フランス議会で得票率トップにまでなった。
タロウ:あっ、それって、第二次世界大戦前に、ドイツでヒトラーのナチス党が勢力を伸ばしたのと似てない?
私:よく気が付いたな。とくに経済的に行き詰っていて国民の不満が高まっていると、こうした極端な意見を受け入れてしまう人も増えていくんだろうね。しかし、それに対抗する動きももちろん起きてくる。この「茶色の朝」は、ちょうどそんなタイミングで書かれた本なんだ。今から20年も前なんだけどね。
ワタル:そんなに昔なんだ。でも、なんで茶色なの?
私:それはね、ヨーロッパの人にとっては極右を連想させる色だからなんだ。ヒトラーの部隊の制服の色が茶色だったんだよ。
皆:なるほど!
私:この本は、1ユーロで売り出されたそうだ。金儲けのためというより、多くの人に読んでもらいたかったからだね。さて、それじゃあ、そろそろ記述してもらおうか。お題は、「茶色の朝を迎えないためにできること」だ。
「茶色の朝」を迎えないためにできること
タロウ:「私たちは、政治について興味を持たない人も多いし、自分たちの権利がどのようなものなのか、どのようにして守られているのかも興味がない人が多い。しかし、それでは、自分たちの権利が奪われていく現実にも気が付かないかもしれない。政治とは本来は私たち一人ひとりの幸せを作り出すためのものなのだから、私たち一人ひとりが積極的に努力すべきだと考える。」
ワタル:完璧! すごいね、タロウ! いつのまにこんなに書けるようになったんだ?
タロウ:ふふん。先生、これは満点でしょ。とくに最後のところ見てくれた? ユネスコ憲章をぱくってみたんだ
ゲンタ:「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」ってやつ? あっ、そういえば似てるかも。
タロウ:ね、いいでしょ?
私:そうだな。先生も感心したぞ。これなら9点だ。
タロウ:なんで減点?
私:最後に、「私たち一人ひとりが積極的に努力すべきだ」と書いてくれたが、いったい何をどのように努力すればいいのかが書かれていない。それで減点した。
タロウ:しまった! 具体的に、っていつも言われてたのに。
ゲンタ:「主人公たちがのんびりしている間に、政治に批判的な新聞が禁止され、政府の出す新聞だけが唯一の新聞となってしまった。私たちはマスコミの報道によってのみ政治について詳しく知ることができる。今後はマスコミの役割を理解し、多様な新聞・報道を守ることに力を入れるべきだと思う。」
ワタル:すごい、これも完璧!
私:たしかによく書けた。これは満点としよう。
ゲンタ:やった! 本当は減点されるかなって思ってたんだ。
私:どこを?
ゲンタ:「新聞・報道を守る」って書いたけど、どうやったら守れるか具体的に書けてないから。
私:たしかにそうだな。でも、守るべきものと、守らねばならない理由までがきちんとかけていたからな。
タロウ:「・・・マスコミの報道によってのみ・・・」ってところはいいの? 僕たちが政治について知るのに、マスコミ以外、例えばネットとかでも情報は得られるよね
私:確かにな。でも、ネット情報やSNSは、政治についての正しい情報を得るためにはほとんど役立たない。正しくない情報のほうが多いからな。しかも、意図的に情報をゆがめて発信している者すらいる。それらをきちんと区別して正しい情報だけを得るためには相当な努力と訓練が必要になる。そう考えると結局マスコミが一番頼りになるのは間違いない。
タロウ:でも、マスコミだって間違えることあるよね?
私:もちろんあるな。でも、少なくとも記録に残りやすいし、大勢の人の目に触れているのですぐに間違いは突っ込まれるしな。ネット情報よりもだいぶましだってことだ。
タロウ:わかった。最後はワタルだね。
ワタル:「どんな出来事にも始めの1歩というものはある。ナチス党が躍進した最初の選挙でナチス党に投票してしまった人もそうだし、日清戦争の勝利で浮かれてしまった日本人もそうだ。あとになって歴史を振りかえってはじめて、あの時の行動が原因だったとわかることも多い。だから、日々の政治や社会の動きに興味を持ち、後の歴史で、あのときの行動が、と言われぬよう、また他人事ではなく自分自身の問題として考える習慣を身に着けるべきだと思う。」
タロウ:これもいいね!
ワタル:そうかなあ。ちょっと自信がないんだ。
タロウ:どうして?
ワタル:ちょっと幼稚かなって。あと、最初の1行が余分かもって。
私:いや、そんなことはないぞ。ナチスや日本の軍国主義の第一歩を取り上げたところは素晴らしい。これも満点だ。
ワタル:ほんと? やった!
私:もしかして、私たちが気が付いていないだけで、今まさに茶色以外のペットが禁止されかかっているのかも? と考えてしまうところが、この本の怖いところなんだ。選挙の投票率が50%を切った、なんてニュースを見ると、ほんとうに怖いと思う。
皆:つねに政治や社会に関心を持ち続けることが大切なんだね!
中学生になるくらいの子供たちに、ぜひ読んで欲しい本の1冊です。
日本の学校教育では、なかなかこうしたテーマに踏み込んで指導することはできていません。
学校で政治的な話題は「タブー視」されているからです。
しかし、そもそも「タブー視」する考え方こそが、この本で問題とされている「無関心」の元凶です。
選挙権年齢が18歳に引き下げられたときにも、「高校生が学校で政治について議論したらどうする!」という反論までありました。
幸いにして、麻布をはじめとする私立中高の先生方は、良い意味で「尖った」授業をする先生がたくさんいます。また、それを受け入れられる力量の生徒たちも集まっています。
中学受験をする目的の一つがここにあると私は思います。
※私の実践するロジカルライティングの授業展開例を他にも紹介しています。