中学入試問題で、国語の物語文の題材として扱われる文章の大半は、青少年向きの文章からの出題です。
その年に出版された、中学生前後の登場人物たちの葛藤を描いた小説、成長を描いた小説、そうしたものが「ねらい目」の本なのです。
実は我々も、そうした本をチェックして生徒に読解させたりもしています。
しかし、全てがそうとは限りません。
とくに上位校ほど、大人向けの本から平気で出題してきます。
今回はそうした例として、2024年聖光第一回の入試問題をとりあげてみます。
題材
「すきだらけのビストロ うつくしき1皿」(冬森 灯)
作者の冬森灯(とも)さんは、第1回おいしい文学賞(ポプラ社)にて最終候補となり、2020年に「縁結びカツサンド」でデビューしました。
食をテーマとした作品を書いている方のようですね。
その他の作品としてこのようなものがありました。
うしろむき夕食店
縁結びカツサンド
ひめくり小鍋(眠れぬ夜のご褒美収録)
うつくしき一皿(WEB小説)
「うつくしき一皿」は短編集ですが、そのタイトルはこうなっています。
Ⅰ.ヴィルトゥオーゾのカプリス~真鯛のグリエ、アメリケーヌソース~
Ⅱ.マエストロのプレジール ~仔牛のポワレ、パレット仕立て~
Ⅲ.シュヴァリエのクラージュ~地鶏のコンフィ~
Ⅳ.トルバドゥールのパシオン~自家製ソーセージのアリゴ添え~
Ⅴ.ピオニエのメルヴェイユ ~夕暮れブイヤベースと船~
Ⅵ.フィロゾフのエスポワール ~伊勢海老と帆立貝のメダイヨン~
みているだけで美味しそうですね。
というより、私など味の想像がつかぬ料理ばかりです。
どうやら、このweb小説に数編加えたものが「すきだらけのビストロ」という書籍として出版されているのではないかと思われます。
さて、入試でとりあげられた「すきだらけのビストロ」は2023年3月に出版されています。学校の国語の先生方のアンテナって高いですね。
一応対象年齢は中学生以上となってはいます。
ポプラ社のHPから紹介文を引用します。
イルミネーションに飾られた小さなサーカステントにキッチンカー、お腹がぐうと鳴るいい香り。それらに出会ったあなたは運がいい。
そこは期間限定で現れる幻のビストロ「つくし」。
猫を思わせるギャルソンとシロクマのようなコックが、抜群においしい料理で迎えてくれる場所だ。
キッチンカーの赴くままに店を開く「つくし」だが、きまっていつも芸術のある場所に現れる。ピアノの演奏が聞こえる野外劇場、絵画が飾られたマルシェ、映画が上映されている砂浜……。
おいしい料理と素敵な芸術は最高のマリアージュ。弱った心と体をふっくら満たしてくれるので、どうぞ夢のようなひと時を楽しんでお帰り下さい。
どうでしょうか?
文章は平易で読みやすい作品です。
その点では、受験生向けのレベルの文章といえるでしょう。
ただし、設定が子ども向きとはいえません。
上の紹介文を見てどう思われたでしょうか?
問題にとりあげられた部分
web小説として公表されている短編のうち、「Ⅱ.マエストロのプレジール ~仔牛のポワレ、パレット仕立て~」が今回の問題になった短編です。
したがって、webで全文読むことができます。
読むとわかるのですが、主人公の「僕」は、2年半つきあった彼女に、今日プロポーズする予定です。
今まで二人で訪れた「思い出の場所」をめぐる計画を立てているのです。
初めて一緒に出掛けた映画館、一年目の記念日を祝ったカフェ、毎年クリスマスプレゼントを選び合うブックストア、二年目の記念日に訪れたレストラン。そこでサプライズで指輪を渡すというプランでした。
そこまで読んで、私など無粋な人間なもので、「へ?」となってしまったのですが、みなさんはどう思われますか。私の周囲の人間に聞いてみると、男女とも「痛い!」との反応でしたが、やはり無粋な人間の周りには同類が集まっているようです。
筆者が女性ということもあるのでしょうが、文体も設定も完全に女性、それもある程度の年齢の女性が対象の小説のような気がします。
文章の読みやすさだけでいえば小中学生でも読めることは読めるのでしょうが、彼女の前で必死に「絵画に詳しい男」を演じようとする男の滑稽さは理解できないでしょう。
入試問題冒頭に、その場面にいたるまでの経緯が前書きとして紹介されています。
「山吹くん」(僕)と「織絵さん」は二人で美術館を訪れたが、目当ての絵を見ることができなかった織絵さんは落ち込んでしまった。そのため、「僕」は指輪を渡してプロポーズをするタイミングをつかめずにいた。二人は、美術館からの帰り道に織絵さんが見つけた風変りなレストランに入ることにした。問題文は、そのあとの場面である。
このように、登場人物の人間関係や舞台設定、そこにいたるまでの経過などを最初に紹介するというのはよくみかける手法ですね。
本来なら、こんな紹介などせずに問題を作るほうがいいに決まっています。なぜなら、こうした紹介文が受験生の読解を「助け過ぎる」からです。
引用された問題文の中の様々なヒントから全体像や登場人物像を構成する力をはかれなくなるからです。
例えば、こんな前書きがあったとしたらどうでしょうか。
『太郎と花子は小学6年生、家が近所の幼馴染である。口喧嘩ばかりしているが、本当は仲が良い。最近太郎は花子のことが妙に気になってきていて、そんな自分の感情に戸惑い、かえって花子に乱暴に接するようになっていた。花子もまた太郎の思いに気付き始めているがなかなか素直になれず、自分の気持ちを持て余している。学校の昼休み、太郎はふざけていて花子の大切にしていた本を破いてしまった。放課後太郎は同じ本を探し回り、やっと手に入れた本を持って花子のところに謝りにいくことにした。問題文は、そのあとの部分である。』
これでは問題が台無しですね。
太郎と花子の恋愛感情の芽生えについて、もうはっきりと書いてしまっています。
さすがにここまで「親切過ぎる」前書きはあり得ませんが。
さて、問題文に話を戻します。
いきなり「プロポーズ」の場面です。
本文を読む前から、「これはプロポーズできずにいた男が、レストランの料理の助けを得てプロポーズする話に違いない」と予想がついてしまいます。
ただし、受験生は小学生です。プロポーズしようとする微妙な男心なんてわかるのかな?
変わった店です。豪華なテントのようなレストランです。私はグランピングか、あるいは大英帝国時代の貴族がアフリカで狩猟を楽しむときに建てさせた豪華なテントを連想しました。
ほどなくギャルソンがやってきて、僕たちは白いクロスに覆われた楕円形のテーブルに着いた。
おっと。いきなりアペリティフが出てきました。
個人的には良いシャンパンに洋梨など入れたら台無しだと思いますが、まあ美味しそうではあります。
しかし小学生にわかるかな?
さて、次は前菜。
「ゴボウのポタージュ、秋ナスのベニエ、芽キャベツとブロッコリーのソテー、ホウレンソウとくるみのキッシュ、サーモンのテリーヌ」
が出てきました。
この後味の詳細な説明が続きます。
どうやら「僕」は、美術に興味がありません。ただ彼女にいいところを見せたい一心で、美術館にあった絵については綿密に下調べをしていたのです。しかし、このレストランにかけられた絵については全くわかりません。それをついに彼女に白状します。
「お待たせいたしました。本日のスペシャリテ、マエストロのプレジールは、巨匠のよろこびに思いを馳せた一皿。お料理は、仔牛のポワレ、パレット仕立てでございます。やわらかな仔牛肉を、色彩ゆたかなソースでお楽しみください」
その後も、料理の味の説明がたっぷりと続きます。
こうした料理を食べた経験がなければ、小学生にはほとんど意味不明だったと思います。
ギャルソンおすすめの赤ワイン、サン・テミリオンは重すぎず、果実感ある味わいが肉とソースの味わいをさらに深めて、体の奥底から深い満足感がしみじみと湧いてくる。
のだそうです。
レストランにはマティスの絵がかけらており、その絵こそが織絵が美術館で見たかった絵なのです。
絵は本物か複製かわかりません。
絵と料理を前に、織絵の気持ちが明かされていきます。
このあふれるような、言葉にできない想いの欠片を、画家たちは筆に込めて、描き込むのではないだろうか。渦巻くような、うねるような、かがやく思いを、永遠に留めるために。
僕の差し出す手のひらの上、リボンの結ばれた小箱に、織絵さんが目を見開いた。
きっといま、絵画が生まれる。
これが最後の場面です。
ついにプロポーズしたのですね。
小6男子ですからね。
ノーヒントだと、「先生、この小箱って何?」とか平気で聞いてきそうです。
前書きがなければ読解できなかった生徒も大勢いるかもしれません。
そして最後の問はこうでした。
「きっといま、絵画が生まれる」とありますが、どういうことですか。30字以内で説明しなさい」
そうですよね。
ここを出題しないわけにはいかないですね。
さて、どんな解答になったでしょうか。
「プロポーズが成功し、二人が結婚するということ」なんて書いた生徒がいそうで怖いです。
それでは情緒もへったくれもありゃしない。
直前の部分に、絵画についてこう書かれています。
「あふれるような、言葉にできない想いの欠片」を、「筆に込めて描き込む」
「かがやく思い」を「永遠に留めるため」に。
もうほとんど解答が書かれているようなものですね。
「絵画」=「二人の未来」くらいに置き換えれば、まずまずの解答が作れそうです。
ここで、「画家」=「僕」とやってしまうと失敗します。
それでは、「絵画」=「僕の作品」=「プロポーズ」となってしまうからです。
「今この瞬間に、プロポーズすることができたということ」
などというとんでもない解答が出来上がってしまいます。
傾向が似た小説
この「すきだらけのビストロ」が小6男子にとって読解困難な理由は以下の3点です。
◆マティスを知らない。
◆料理がわからない
◆プロポーズが主軸
まあ、小学生でマティスを知っている(好き)生徒は皆無でしょう。
私もあまり好きではありません。
上野の東京都美術館(だったはず)のマティス展にも足を運びましたし、オルセーでも見ていますが。
フォービズムの画家で好きなのはブラックだけです。
もちろんこれは、私に審美眼が無いだけの話です。
こちらでも紹介していますが、同じく子どもに理解できそうもない「芸術」が主軸となった小説にこのようなものがあります。
◆「羊と鋼の森」
◆「蜜蜂と遠雷」
どちらもピアノがテーマの作品です。
映画にもなっていますので、ぜひごらんください。
◆原田マハの作品
原田マハは、もと美術館のキュレーターです。専門家です。
そのため、美術をテーマとした小説、美術作品が重要な役割を果たす小説をたくさん書いています。
これが、冨士見中・聖光学院・清泉女学院・鎌倉女学院・成城中・芝中など多くの学校でこの人の小説が取り上げられています。
ただし、がっつり正面から画家を題材としたものは、まだ出題がなかったような気がします。
「楽園のカンヴァス」はルソーを、「たゆたえども沈まず」はゴッホを扱っています。
そういえば後者は神奈川県立高校入試の問題で見かけたことがありますが。
読解法
これは簡単です。
まずは、余分な(本当は作品を構成するとても重要な部分です)描写を無視して読むのです。
料理・絵画・音楽、どれも実際に見る・聴く・味わうことがなければ、理解ができません。それを、小説家が「魔法の筆」で描写しているのです。
この部分が、小学生の読解の妨げになってしまうのですね。
そこで、そうした飾りを全て取り除いてみると、シンプルなストーリーが見えてくるのです。
前述した「すきだらけのビストロ」はこうなります。
変わったビストロに入った僕と彼女。壁には美術館で見損なったマティスの絵がある。
やたらに蘊蓄だらけの料理が提供されるが、どうやら壁の絵を表現したものらしい。
美術館では絵の知ったかぶりをした僕だが、本当は絵について無知で、そのことを彼女に白状する。
いったんプロポーズをあきらめかけた僕だが、料理も芸術も単純に味わえばいいと知った。彼女も自分のことを好きらしいと知った僕は、ついにプロポーズする。
ううむ。
作者が見たら、殴られること必至です。
もともとせっかくの作品を入試問題にするのが悪いのです。
こうして主軸の物語がわかれば、あとはそれに肉付け・彩を加えているのが「絵」や「料理」にまつわる描写だとわかります。
「読書」としては最低の読み方ですが、「読解」は「読書」とは別物です。
文字通り「読み解く」作業ですから。
くれぐれも物語世界に浸らないようにしましょう。迷子になること間違いありません。