前回の記事の続きになります。
※例によって個人情報保護の観点から設定等大幅に変更していますが、事実です。
お前は黙ってろ!
A太の学習相談には、いつも母親が来ていました。とても若く見えるお母様でしたが、よく息子の状況を把握しており、私のアドバイスにも真剣に耳を傾けてくれる、そうしたお母様でした。
受験が近づき、そろそろ願書を出す志望校を確定させる時期になって、ご両親でそろって相談にいらしたのです。お父様とお会いするのは初めてでした。
父親は40代後半くらいでしたが、なかなかに強い意志を感じさせる方で、大企業の偉い人か、あるいは自分で会社を経営しているか、そんな雰囲気の方でしたね。一言でいえば相手に威圧感を感じさせる方だったのです。
実は相談にいらっしゃる父親に、こうしたタイプの方は少なくありません。年齢的に仕事で油ののっている時期だからなのか、会社のポジションが理由なのか、人に命令し慣れていると思われる方も多いのです。
その父親の態度は、プロの私の意見を聞きにきたというより、自分の考えを述べにきただけといったものでした。父親の考えていた志望校は、それまで母親と何度も相談をしながら緻密に組み立ててきた受験戦略と全くかけ離れたものだったのです。
ああ、夫婦で意思統一ができていないご家庭なんだな。
すぐにわかりますが、実はそうしたご家庭も少なくないのです。一つずつ、理をつくして志望校についてお話をすすめていきました。父親は、いちおう私が話をしている間は耳を傾けている様子なのですが、次に口を開くと、まったくアドバイスを聞くつもりがないことが明らかでしたね。
「なるほど。先生は、息子は〇〇中学には合格できないと、そうおっしゃるのですね?」
「いや、合格できないとは申していません。合格可能性は非常に低いだろうと申し上げたのです。過去に同じ成績だった生徒で合格した生徒はいません。A太君は算数が得意ですので、その分この学校の受験には少し有利であることは確かですが、それだけではまだ不十分です。もし〇〇中学を受験するのなら、△△中学にも願書を出しておくことをお薦めします」
「息子は〇〇中学を受験させます。△△中学は考えていません。」
全てがこの調子でした。その間、母親は一言も言葉を発しません。普段の明るく闊達な印象とは全く異なっていたのを覚えています。それでも、夫の一方的な主張に、やっと口を開こうとしたのです。
「それは、先生と今まで相談してきて、受験校についてもA太の学力を考えていろいろ考えてくださってアドバイスをいただいていたから、」
その瞬間でした。父親は大声でこうさえぎったのです。
「お前は黙ってなさい!」
目が点になりましたね。
昭和の頑固おやじか?
母親は当然委縮して、貝のように口を閉ざしました。
最終的には父親はこう言って帰っていきました。
「先生のおっしゃることはわかりました。でも、息子には私が考えたとおりの受験をさせます」
この状況で私にできることは何もありません。
受験はあくまでもご家庭の考えが第一です。アドバイスはいくらでもしますが、それを受け入れるかどうかはご家庭の判断だからです。
ただ、A太とお母様が気の毒でしたね。実力を考慮しない受験をさせられる息子と、他人の前で怒鳴りつけられる母親。
最終的な結果は、ご想像通りでした。
医学部しか頭にない父親
B子は、国語と社会が得意な生徒でした。算数と理科はかなり苦戦しています。それでも、4科目総合ではまずまずのポジションにいたのです。
夏前に、志望校の相談でいらしたのは父親でした。そういえば、今まで顔を出すのはいつも父親でした。母親の姿を見た記憶はありません。
開口一番、お父様はこう言いました。
「先生、医学部に合格できる中高はどこですか?」
また、わかりやすい要望ですね。
そして、答えることの難しい質問です。
とりあえず、2023のデータを見てみましょう。
国公立と私立の医学部の合格者の合計です。
合格総数(現役人数)/卒業生数 となっています。
桜蔭 195(144)/231
豊島岡 142(91) /332
渋谷幕張 113(68) /349 ※
白百合 86(54) /159
雙葉 81(57 )/166
東邦大東邦 78(59 )/310 ※
広尾学園 70(41 )/269 ※
女子学院 69(44 )/214
横浜雙葉 56(39) /177
吉祥女子 51(28) /242
洗足 48(33) /229
浦和明の星 39(21)/169
湘南白百合 35(26)/165
単純に、現役と浪人を合わせた医学部合格者数を並べてみました。もちろん重複合格者を含みます。
やはりというか桜蔭が図抜けていますね。
そして、理系に強いと噂の豊島岡も3桁の合格者数を誇っています。
意外なのが白百合と雙葉で、この両校は伝統的に医学部に強いのです。
渋谷幕張・東邦大東邦・広尾学園は、男女合わせた数字しかわからなかったので、参考値です。単純に女子人数が半分とすればこの半分の合格者数となるのですが、男女比も半々ではないですし、医学部受験者の男女比が半々とはとても思えませんので。
桜蔭 62.3
雙葉 34.3
白百合 34.0
豊島岡 27.4
横浜雙葉 22.0
女子学院 20.6
渋谷幕張 19.5 ※
東邦大東邦 19.0 ※
広尾学園 15.4 ※
洗足 14.4
浦和明の星 12.4
吉祥女子 11.6
湘南白百合 9.8
卒業生数が違うので、比較しやすくするため、現役合格者数/卒業生数 の順に並べ替えてみました。医学部複数合格者を無視した計算ですので、割合(%)というわけではありません。あくまでも目安です。
やはり桜蔭は他校を圧倒しています。
こうしてみると、桜蔭・雙葉・白百合・豊島岡・横浜雙葉・女子学院、このあたりの学校なら、じゅうぶん医学部に強い学校であるといえるでしょう。
さて問題はB子の成績です。
正直いって、桜蔭は無理でしょう。
女子学院・豊島岡・雙葉も厳しい。
白百合・横浜雙葉・吉祥女子や洗足を組み合わせる、そうした受験パターンになるでしょうか。
こうしたお話をしたところ、父親は不満顔でした。そして、こんなことを聞いてきます。
「先生、広尾学園の医進サイエンスコースや、埼玉栄の医学部コースはどうですか?」
ああ、やはり気になるのですね。最近、私立校の一部に、医学部進学の専門コースを設けるケースがみられるのです。
広尾学園・埼玉栄以外にも、江戸川取手の医科ジュニアコースや開智の医系コース(高2・3)、八王子学園八王子中学校東大・医進クラス 、三田国際学園中学校メディカルサイエンステクノロジークラスといったものが目に付きました。
東大や医学部進学を名乗るのは自由ですが、別に名乗ったからといって実績が上がるものでもありません。八王子学園八王子中学校の2024年の合格実績を見てみると、医学部に3名、東大に0名となっていました。
おそらくは、こうした中高で「医学部進学特別コース」のようなコースを設ける理由はこの2つでしょう。
◆コース名に惹かれて医学部志望者が進学してくれる
◆医学部対策の授業がやりやすい
このお父様には看板に惑わされぬ志望校選びをアドバイスしました。
父親と面談をした数日後、母親から連絡があり、面談をすることになりました。
すると、こんな話が出てきたのです。
「先日は夫が面談していただきありがとございました」
「B子さんは医学部に進学したいそうですね」
「そのことなのですが。娘は医者になるつもりはないと言っているのです」
へ? どういうこと?
「医学部と言っているのは父親だけで、娘本人は、大学に行ったらフランス文学かフランス史を学びたいといっています」
「はあ。それはどうしてでしょう?」
「そんなに大した理由ではないのですが、フランス革命を扱った小説や漫画を読んだのがきっかけだと思います。だから中学生になったら英語とフランス語を勉強して、大学生になったらフランスに1年間留学したいなんて言ってるんですよ」
「それは素敵な夢ですね。いいと思いますよ」
「ただ、父親が全く娘のいうことを聞いてくれなくて。そんな子どもじみた夢は意味がないだとか、どうせすぐに飽きるにきまっているだとか。さらに、フランス史なんか習っても将来何の役にもたたないと」
それはそうかもしれない。でもそうではないかもしれない。少なくとも、小学生の娘が、そうした夢を持っているのなら、応援してあげればいいのになあと思います。
「お父様はどうして医学部にこだわりがあるのでしょう? 先日は聞きませんでしたが、ご職業が医療系ですか?」
「いえ。普通の企業のサラリーマンです」
父親が娘をどうしても医者にしたくなった理由は不明ですが、そこは問題ではありません。問題なのはご家庭の方針がバラバラなところです。
「お母様はどのようにお考えなのですか?」
「娘の希望をかなえてあげたいと思っています」
よかった。少なくとも母親は娘の味方でした。そこで母親と相談し、白百合と雙葉を志望校とすることで父親を説得してもらうことにしました。幸いどちらも医学部への合格実績が良いということで先日父親にお話した学校です。そして、どちらも中高でフランス語が学べる学校なのです。
中学生になってすぐに医学部向けの特殊な勉強がはじまるわけではありません。文系と理系で別れるのも高校1年~2年になってからです。それまでの時間をかけて、父親を母娘で説得するのです。もしかして娘が父親に説得されるという可能性もゼロではありません。いずれにしても、今から医学部だけをターゲットとすることには意味がないのです。
それにしても、子どもの教育や将来について、こうまで夫婦の意見が食い違っていることのほうが問題だと思います。間に挟まれる子どもがかわいそうだからです。