中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

いつか子どもにも読ませたい きれいな日本語を味わう小説たち

こんな仕事をしていながら、私には美しい日本語は書けません。

論理的な文章は書けても、「美しい日本語」は書けないのです。

だから、そうした日本語を操る作家の本を読むことが大好きです。

小中学生にはまだ早くても、いつかきちんと読ませたい。

今回はそう考える作家を何人か紹介したいと思います。

 

三島由紀夫

 

もう間違いなく、「美しい日本語」の使い手です。

代表作の一つ金閣寺の文章を見てみましょう。

 

夜空のように、金閣は暗黒時代の象徴として作られたのだった。そこで私の夢想の金閣は、その周囲に押し寄せている闇の背景を必要とした。闇のなかに、美しい細身の柱の構造が、内から微光を放ってじっと物静かに坐っていた。

 

三島由紀夫の文章の特徴は、その読みやすさにあると思っています。

 

金閣はだんだんに深く、堅固に、実在するようになった。その柱の一本一本、華頭窓、屋根、頂きの鳳凰なども、手に触れるようにはっきりと目の前に浮んだ。繊細な細部、複雑な全容はお互いに照応し、音楽の一小節を思い出すことから、その全貌を流れ出すように、どの一部分をとりだしてみても、金閣の全貌が鳴りひびいた。

 

どの部分を切りとっても美しい。

こんな文章を読んだ後に実際の金閣を見に行くと、そこから得られる印象も豊かになる気がします。

 

金閣寺がまだ読めない方のためには、こんなものもおすすめです。

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

恋したりフラレたり、金を借りたり断わられたり、あざけり合ったり、憎み合ったり、ネコをかぶったりと、もつれた糸がこんがらかって……。
職業も年齢も異なる 5 人の登場人物が繰りひろげるさまざまな出来事をすべて手紙形式で表現した異色小説。見事なまでの離れ技で織りなす構成、洒落た文体で交わされる小粋なやりとり。一読すればこれまでの文豪・三島由紀夫のイメージが吹き飛ぶ、反則レベルのスタイリッシュ・エンタメ小説。
山本容子の挿画を添えて、手紙を書くのが苦手なあなたに。メールやラインが主流となった現代人に贈る粋な文例集。(amazon

なんとも説明しづらいので、アマゾンの紹介文をそのまま引用させていただきました。

三島由紀夫は、「仮面の告白豊饒の海などが代表作ですが、大人になってから読むべきだと思います。

これは週刊誌に連載されていたものをまとめた本ですのでとても読みやすい。

まずはこんな軽めの本から入るのもよいでしょう。

軽めといっても、三島由紀夫の文章ですので、たしかな日本語です。

 

※注意

 三島由紀夫の作品は多岐にわたります。

なかには、性愛に関わる小説も多いので、子どもに与える前に大人が読んでおくほうが無難です。まあ人間の営みとしては避けては通れないですし、小説を通して学ぶことも多いとは思いますが。

潮騒くらいなら可愛いものですが、「音楽」「禁色」「美徳のよろめき」「獣の戯れ」といったあたりは要注意です。

その他、三島由紀夫の衝撃的な最期からもわかる通り、右翼思想に傾倒した内容のものも時期尚早ですね。

 

川端康成

 

今更私が取り上げるまでもありません。

「美しい日本語」使い手の筆頭です。

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

ごぞんじ「雪国」の冒頭です。

「夜の底が白くなった」

どうしたらこんな表現を紡ぎだすことができるのか。ただただ美文に酔いしれましょう。

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

こちらは伊豆の踊子の冒頭です。

 

「雪国」「伊豆の踊子あたりは皆読むのですが、それだけで終わってはもったいない。

「古都」「山の音」「掌の小説」「眠れる美女もぜひ読みましょう。

さらに、ノーベル文学賞受賞スピーチの「美しい日本の私」もとてもお勧めです。

 

 

小川洋子

 

古典から離れて、この作家もおすすめです。

博士の愛した数式は有名ですね。映画化もされました。

「密やかな結晶」 こちらも「記憶」をめぐる物語です。記憶が失われていく不思議な島にくらす小説家の「わたし」と世話係の「おじいさん」。設定は奇妙ですが、優しさに満ちた小説だと思います。

薬指の標本」「沈黙博物館」 も良いと思います。

小川洋子の小説は、ファンタジーに近い匂いがします。ファンタジー好きな子のステップアップとしてよいかもしれません。

 

中勘助

銀の匙

 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣ひきだしに昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。

 

さりげない出だしに見えて、吟味しつくした文章なのだと思います。夏目漱石に絶賛されたとか。

まるでエッセイのようにも感じられる自伝的小説です。

この「銀の匙」を題材として、灘中学の国語教師橋本武氏が授業を行っていたことも有名ですね。

何と、教科書を一切使わず、200ページのこの本を3年間かけて読みこむ、という大胆な授業だったそうです。

「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」という考えですすめられたこの授業。こういう授業があるのが、私立中高一貫校の凄みなのだとあらためて思います。

 

浅田次郎

鉄道員(ぽっぽや)」直木賞をとったことから、大衆小説の作家とみなされがちですが、それではこの作家の姿はわかりません。

鉄道員」は短編です。同じ本に、8編の短編が収められていて、どれもお薦めです。この作家の文章に対するこだわりが詰まっていると思います。個人的に好きなのは「角筈にて」ですね。父親に捨てられた過去を引きずる男の物語ですが、決してそれだけではありません。

「純文学」と「大衆小説」を線引きして考える人が多いのですが、この作家の文章を読んでいると、そうした線引きに意味などないと感じてしまいます。

軽妙なエッセイや任侠物も面白いですが、それは大人の暇つぶし読書の友として、子どもには時代物が秀逸でよいでしょう。

ぜひ蒼穹の昴を読んでいただきたい。中国史に対する造詣の深さがうかがえます。その後は、続きである『珍妃の井戸』『中原の虹』へと読み進めるとよいでしょう。

徹底的な取材に裏付けされた史実にもとづき物語が展開します。ページをめくる手が早くなるタイプの小説ですが、ふと手をとめて文章を味わうこともできるのです。

豊かな教養を背景とした確かな日本語の使い手だと思います

 

宮部みゆき

この作家も器用で多作な作家です。

そして非常に文章がうまいと思う作家のひとりです。

ミステリーもいろいろ書いていますが、時代小説をお勧めします。

「本所深川ふしぎ草紙」「初ものがたり」あたりがいいですね。それで気に入ったら、シリーズ物がたくさんありますので、そちらにすすむのもよいでしょう。

江戸時代を扱った時代小説は山のようにありますが、読むだけで江戸にタイムスリップした感覚を味わえる本はたくさんはありません。この作者のものは確実に江戸へいざなってくれます。

 

谷崎潤一郎

 

最期はこの作家でしめくくります。

誰もが文句ない、美しい日本語をあやつる作家ですね。

細雪まずはこれから。さすがに設定は古いので入り込むのに時間がかかるかもしれませんが、ぜひどっぷりと4人姉妹の会話の織りなす世界にはいってください。

春琴抄 少々難しいかもしれません。谷崎といえば「耽美」です。避けては通れません。

 

こいさん、頼むわ。―――」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」
―――なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子に掴まって、稽古を見てやっているのであろう。悦子は母が外出する時でも雪子さえ家にいてくれれば大人しく留守番をする児であるのに、今日は母と雪子と妙子と、三人が揃そろって出かけると云うので少し機嫌が悪いのであるが、二時に始まる演奏会が済みさえしたら雪子だけ一と足先に、夕飯までには帰って来て上げると云うことでどうやら納得はしているのであった。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
「そう、―――」
姉の襟頸から両肩へかけて、妙子は鮮かな刷毛目をつけてお白粉を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆たかく盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。
「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、―――」

これは「細雪」の冒頭です。

情景描写よりも登場人物の説明と会話が多いのが特徴です。

また、理解するのには、時代背景についての知識も必要です。「抜き衣紋の長襦袢姿」が想像できないとならないのです。

でも、分からないながらも読み通すことで得られるものもたくさんあります。がんばってみてください。

 

夏目漱石

谷崎潤一郎で締めくくろうと思ったのですが、この作家を外すわけにはいかないですね。

「坊ちゃん」「吾輩は猫である」あたりから読む子が多いですが、やはりここは「草枕」を推奨しておきましょう。

 

こうして考えてみると、昔の文豪達の文章は良いですね。読んでいるだけでこちらの教養まで高まる気がします。この時代の基礎教養ともいうべき漢文の素養が大切なのだなと改めて感じます。