中学受験のプロ peterの日記

中学受験について、プロの視点であれこれ語ります。

中学受験生にとって、小学校の夏休みの宿題は大変すぎる

今回の記事は、中学受験をする小学生の保護者向けとなっています。

そうではない方、さらに小学校の先生には怒られてしまう内容です。

小学校の夏休みの宿題を完全否定する内容となっているからです。

そもそもどんな宿題がある?

いろいろな方に聞いてみました。すると、だいたい以下のような宿題が出されているようです。

1.ドリル演習系

 ◆漢字ドリル

 ◆計算ドリル

 ◆教科書ワーク・ドリル・・・算国理社

2.記録系

 ◆夏休み日記

 ◆観察日記・・・朝顔

 ◆家のお手伝い記録

 ◆天体観測記録

 ◆読書記録

 ◆音読

3.創作系

 ◆夏休みの工作

 ◆読書感想文

 ◆自由研究

 ◆絵画コンクールへ応募

 ◆ポスター作製

4.タブレット学習

 

十年一日どころか、昭和の時代と何も変わっていないのですね。

せいぜいタブレット学習が導入されたくらいです。しかしこれも、紙をタブレットに置き換えただけで、別にタブレットならではの革新性は皆無です。

 

最近の傾向としては、「夏休みの宿題は減らす(出さない)」という方針の学校が話題となっています。

しかしよく見てみると、宿題ゼロということではなく、内容を変えてはいるものの、相変わらず何等かの課題は課されているというのが真相のようです。

 

創作系の宿題へのシフト

 

◆すでに取得済の漢字をひたすら書かされる

◆毎日日記を書かされるのが苦痛

◆ドリルやワークブックは時間ばかりかかって不毛

 

こうした批判は従来からありました。そうした声を受けてなのか、夏休みの宿題を創作系へシフトする流れというのがあるようです。

 

しかし、こうした創作系の課題というのがやっかいです。十分なインプットがまだない小学生に、独創的なアウトプットができるはずがないからです。

そうするとこのようになります。

◆誰かの模倣・・・すでに他の人がやったようなものを、真似してみるだけ

◆親が企画・・・・親が考え、おぜん立てし、場合によっては手伝う

これでは「創造力」など育まれないでしょう。

 

小学校に求めるものの違い

 

私は、小学校は以下の教育を実践しているところだと理解しています。

◆主要教科学習・・・・算国理社

◆技能教科学習・・・・音楽・図工・体育・家庭

◆社会生活を学ぶ・・・グループ学習・給食・掃除・花壇の世話等

◆人間関係を学ぶ・・・対教師・対級友

 

このうち、社会生活や人間関係は家庭だけでは学べません。その点の小学校の役割はとても大きいと思います。

技能教科学習についても、家庭で全てを学ぶことはできません。体育などそもそも不可能です。こちらも小学校の果たす役割は大きいですね。

 

主要教科については、意見が分かれると思います。

コロナで学校が閉鎖されていた頃、「これでは子どもの学習が遅れる!」と非難の声があがっていたと聞いて驚いた記憶があります。

小学校で学ぶ程度の教科学習なら、家庭で可能だからです。

高学歴の親ではなくとも、小中高では普通に学んできたのですから、小学生の教科くらい教えられないわけはないのです。

もしかして「勉強は小学校で教えてもらえばよい」という方針のもと、家では全く勉強をみない・させないということなのでしょうか。

 

また、夏休みの宿題がなくなると、子どもが勉強しなくなるから困る

そんな意見も見かけました。

 

勉強というものに対して、そこまで小学校に依存している家庭があるのですね。

 

このブログを見てくださっているということは、中学受験をしようとしているご家庭ということですね。

それなら、算国理社の学習は、小学校の学習内容をはるかに超えて、中学生レベルの内容を今あつかっていると思います。

そうした子供たちにとって、夏休みに一斉に課される「学習ドリル」「教科書ワーク」のようなものは、時間をとられるばかりで何の学習効果も見込めません。

易しすぎるのです。

例えば、大人がひらがな・カタカナ・アルファベットの書き取りを大量にやらされるようなものでしょうか。

そう考えれば夏の課題がいかに不毛であるかはわかってもらえると思うのですが、学校の先生方にはわからないようですね。

小学生には学力差がある。

この当たり前の現実を無視したところに、夏休みの宿題の問題の本質がある、というのが私の見解です。

 

どうしたらよいのか

 

対応は4つです。

1.指示通り、子どもだけの力で宿題を完璧に仕上げさせる

2.指示通り、子どもだけの力で宿題をそれなりに仕上げさせる

3.指示には背くが、親が少しだけ手伝う

4.指示には背くが、親が宿題に大きく関与する

 

おそらくは2か3のご家庭が大半でしょう。

「学校の先生の指示には従うものだ」

これも立派な教育方針です。

小学校の先生の言うことは絶対である。きちんと従いなさい。

そうした方針なら、1の方針しかないですね。

とはいえ、時間は限られています。塾の夏期講習もあります。

おそらくは2が落としどころなのでしょう。子どもが費やせる時間の範囲内の中で宿題に取り組み、完璧な出来具合でないとしてもそれでよしとする。

 

3のご家庭も多いと思います。

少しの罪悪感を抱きながら、親が少し手伝う。

例えば工作や創作物を手伝ったり、作文の案を考えてあげたり。

それも良いと思います。

大人が手をだせばあっという間に終わるのに、子どもだけにやらせていると、無限の時間がかかるものってよくありますよね。

ちょっとだけ手伝うことで早く終わるなら、それもまた有効な時間活用だと思います。

しかも、「少しの罪悪感を抱きながら」というところがポイントです。

親子とも、これは本来いけないことだと自覚はあるのです。

そうした気持ちも大切ですね。

 

さて議論を呼ぶのが4でしょう。

最初から子どもではなく、親が宿題をやるのです。

もう手伝うレベルではなく、親が全てやります。

その間、子どもは入試問題に取り組んでいるのです。

 

賛否両論だと思います。いや、否定的な意見しか出ないでしょう。

「自分さえよければそれでよいという考えを子どもに植え付ける」

「小学校の先生を見下す子どもに育つ」

「そんなことまでしなければ合格できないのか」

「小学校を否定する気か」

「宿題の意味をわかっていない」

そんな声が聞こえてくるようです。

正論です。

 

私の教え子の一人に、4の方針で臨んだご家庭がありました。

決して小学校を馬鹿にしているわけでも、先生を見下しているわけでもありません。

毎日遅刻も欠席もせずに通学し、学校生活はきちんと先生に従う、出木杉君かしずかちゃんタイプの子でした。自分をひけらかさない優等生なので、先生の信頼も厚かったのです。

そこで、夏休みの宿題が対象としている生徒に、自分の子どもは含まれていない、という親の判断です。

作文は、親が書いたものを子どもが清書しただけです。

漢字は、母親が子どもの字に似せて書きました。幸い、幼少期より書道を習っていた子どもの字は、大人同様の字だったそうですから真似やすかったとのこと。むしろ母親の書いた字の方が下手で、子どもに叱られてしまったそうです。

 

全く宿題を無視するという手もあったのでしょうが、小学校の先生にもお立場があるでしょうから、といっていました。担任の先生もわかっているのです。半数近くの生徒が中学受験をするのですから、一律の宿題に無理があることなど。しかし学校の決まりですから出さざるを得ません。大人同士の阿吽の呼吸のようなものですね。

 

私にはこのご家庭を批判する気はありません。

むしろ非常に賢明な判断だと思います。

 

「そんなことまでしなければ合格できないのか?」

という批判には、大きな声でお答えできます。

YES、はい、そうです。

中学受験を少しでもわかっている人はみな知っています。

1点が明暗を分けるのです。

1時間の学習が大きな違いとなるのです。

夏休みの1時間も、入試前日の1月31日の1時間も、同じ1時間です。できる勉強の量も一緒です。

夏休みの1時間を無駄にするということは、入試前日の1時間を捨てるのと同義です。

 

わが子の将来にとって何が大切か

この判断を下すことができるのは、親だけです。

 

 

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peter-lws.hateblo.jp

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